東アジア歴史文化研究会

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第138回東アジア歴史文化研究会のご案内(本能寺の変の真実 なぜ明智光秀は織田信長を討ったのか)再掲載

2017-08-08 | 研究会の案内

残暑お見舞い申し上げます。

この度は今までと趣向を変えて、日本の歴史のなかで最も有名な事件、本能寺の変を取り上げます。今から4年前、書店におかれていた『本能寺の変 431年目の真実』(著者:明智憲三郎)を購入し、読み始めてたいへん驚いたことを覚えています。明智憲三郎氏の歴史的考察は今までの概念をくつがえすものでした。

今年3月、織田木瓜紋会(織田信長が築城した安土城再建を目指す会)で本能寺の変の講演が行われ、明智氏の講演を初めて聞くことができました。東アジア歴史文化研究会でも一度明智氏をお招きしたいと思っておりました。歴史好きな方にとって目からウロコが落ちるほどの興味深い内容だと、感じております。

暑い夏の一服の清涼剤として講演を楽しんでいただければ幸いです。
お誘い合わせの上、ご来場いただきますようご案内申し上げます。

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第138回東アジア歴史文化研究会のご案内

この度の研究会は、作家であり歴史研究家の明智憲三郎氏に「本能寺の変 435年目の真実」のテーマで語っていただきます。今からさかのぼること435年前、天正10年6月2日未明、明智光秀の謀反によって織田信長は天下統一半ばにして自害に追い込まれた、その日本史最大のクーデターが「本能寺の変」です。これまで信長に対する「怨恨説」また「野望説」によって決起したというのが通説となっています。ところが、これらの通説の根拠となったのは羽柴秀吉が本能寺の変から四ヶ月後に家臣に書かせた顛末書(『惟任退治記』)であり、秀吉が政権簒奪のために都合よく書かせたものでした。それでは、なぜ明智光秀は織田信長を討ったのか。本能寺の変の真相とは何だったのか。光秀の子、於寉丸(おづるまる)の子孫である明智憲三郎氏に語っていただきます。

日 時 2017年8月23日(水)午後6時30分~8時45分
場 所 常円寺・祖師堂地下ホール
新宿区西新宿7-12-5 電話03-3371-1797
テーマ 「本能寺の変 435年目の真実」
講 師 明智憲三郎氏(作家・歴史研究家)
参加費 2,000円
連 絡 東アジア歴史文化研究会(事務局:花田 成一)
TEL:080-7012-1782
Eメール:e-asia@topaz.ocn.ne.jp
※どなたでも自由に参加できます。当日直接お越しいただければ幸いです。

明智憲三郎氏プロフィール
1947年生まれ。明智残党刈りの手を逃れた光秀の子、於寉丸(おづるまる)の子孫。明治まで一族は明田(あけた)の姓を名乗っていたが、曾祖父が伝承品を添えて政府に明智姓への復姓を願い出て改名。1972年、慶應義塾大学大学院工学研究科計測工学専攻修修士課程修了。同年、三菱電機株式会社入社。一貫して情報システム分野で活躍する。長年の情報畑の経験を活かした「歴史捜査」を展開し、精力的に執筆、講演活動を行っている。明智一族伝承の会会員、土岐会会員、社団法人織田木瓜紋会会員。2009年、会社勤めのかたわら『本能寺の変 四二七年目の真実』を出版。BS日テレの「片岡愛之助の解明!歴史捜査」の初回(本能寺の変)、TBS「世界ふしぎ発見」などに出演。
著書に『本能寺の変 四二七年目の真実』(プレジデント社)、『本能寺の変 431年目の真実』(文芸社)、『織田信長四三三年目の真実 信長脳を歴史捜査せよ!』(幻冬舎)、『「本能寺の変」は変だ! 明智光秀の子孫による歴史捜査授業』(文芸社)などがある。


山門をくぐって右にあるビル(祖師堂)の地下ホールです。

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