東アジア歴史文化研究会

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親韓派日本人女優の善意はこうして韓国に裏切られた(SAPIO2018年3・4月号 黒田勝弘)

2018-03-20 | 韓国の歴史・韓国情勢
2018.3.19

著名な日本人のなかで女優の黒田福美は有力な親韓派といっていいだろう。韓国ガイドのベストセラーである『ソウルの達人』の著者であり、韓国語が達者で韓国のテレビにも出演している。韓国政府からは友好親善の功績で勲章をもらっているし、韓国の自治体の“観光大使”になったこともある。韓国との付き合いは長く、並みの韓国通ではない。韓国で有名な日本人の一人である。

筆者(黒田勝弘)とは日韓がらみのセミナーや講演会などでしばしば席を共にしている。彼女の韓国での出版記念会では祝辞を述べさせられたりもした。しかも姓が同じことから、彼女について筆者は私席ではよく「ボクの妹」とか「別れた女房」などと冗談をいってきた。そんなこんなの親近感からこの稿では敬称抜きで書かせてもらう。

その彼女が昨年、『夢のあとさき-帰郷祈願碑とわたし』(三五館刊)と題する本を出版し、送ってきた。日韓関係史上きわめて貴重なものなのでぜひ紹介しておきたい。これは「自他共に許す親韓派の黒田福美が韓国でなぜ裏切られたか」の体験的記録であり、年間700万人もの韓国人が日本を訪れ日本を楽しんでいる韓国で、なぜ今なお「反日」なのかというナゾ解きをしてくれる。

韓国通で親韓派の黒田福美はある時、夢枕に立ったという韓国人特攻隊員(卓庚鉉、日本名・光山文博)への思いから韓国にその慰霊碑を立てることを志す。遺族は彼女に感謝し、多くの紆余曲折があったが慰霊碑は「帰郷祈念碑」として完成し、韓国メディアも好意的に伝えるなか2008年5月、故郷に近い慶尚南道・泗川市の公園で除幕式が行われるところまでこぎつけた。碑文は特攻隊員のみならず日本の戦争で犠牲になった韓国人すべてを慰霊、追悼するものだった。

ところが除幕式の当日、民族団体など反日デモが押しかけ大騒ぎとなった。除幕式は急きょ中止となり、石碑は撤去されてしまった。敷地は市が提供し市長以下、市当局の協力・支援で碑の設置が決まっていたのに、反対が表面化したことで市当局など協力者は手を引いてしまったのだ。

このことは当時、日本のメディアでも報道された。碑は現在、彼女の志に共感するさる尼僧の配慮で、ソウル近郊のお寺(龍仁市・法輪寺)の境内に横になって“安置”されている。

手記『夢のあとさき』には彼女の夢から始まるコトの顛末が詳細に書かれ、日韓双方の善意と協力の結晶が一瞬にして砕かれ、そうなると誰もそれを押し留められない韓国の「反日」の現状が克明に記されている。反対のきっかけは地元市議会の反市長派が「議会(市民?)を無視している」といいだしたことだ。彼らは反日・民族団体の「光復会」と通じ「親日売国奴の特攻隊を称えるのはケシカラン」という反日・愛国論で反対を扇動した。

黒田福美は「韓国人たちは反日という柵の中に囲い込まれている羊の群れのようだと思う。(中略)光復会に対して意見をしたり、いさめたりすれば直ちに『親日派』というレッテルを貼られて柵から追い出され、社会的に抹殺される。だからだれもが『身を縮めて黙ってうつむく』しかない」と嘆き、さらに「韓国社会が『親日的』とされる言論を封殺し、地位を奪ったりして、人々を社会的に抹殺するようなやり方を止めないかぎり、韓国の言論も社会も成熟しないだろう。このことは韓国人自らが気づき改めないかぎり実現することはない」という。

彼女は反日団体に物いえない韓国の現状を「北の首領さまの粛清を恐れて忠誠心を表す人民のようだと思うことがある」と書いている。韓国社会は親韓・韓国通の黒田福美にそんなことまで思わせてしまったのだ。

●文/黒田勝弘
【著者PROFILE】1941年生まれ。京都大学卒業。共同通信ソウル支局長、産経新聞ソウル支局長を経て産経新聞ソウル駐在客員論説委員。著書に『決定版どうしても“日本離れ”できない韓国』(文春新書)、『隣国への足跡』(KADOKAWA刊)など多数。

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黒田福美さんのおっしゃるとおりである。
「韓国人たちは反日という柵の中に囲い込まれている羊の群れのようだ」、「北の首領さまの粛清を恐れて忠誠心を表す人民のようだ」という表現は言い得ている。反日韓国人が取り仕切る韓国社会はまさに暗黒社会だ。言論の自由もない。韓国版「自虐史観」によって洗脳された韓国社会の結実であろう。

影を潜めている親日派韓国人、保守派知識人たちにいつ希望の光が来るのだろうか。それこそが韓国光復節であろう。

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