「やる気のある者は去れ」(タモリ)
「夢があるようじゃ人間終わりだね」(タモリ)

人生を斜に構えた、ひねくれた物言いに聞こえるが、タモリは以下のように解説している。

やる気のあるやつは暑苦しい。
自分以外のものまで巻き込んで、人のペースを乱す。
それに、なまじ夢があるから不幸になるのだ。
向上心のある人は今日を明日のために生きている。
向上心のない人は今日を今日のために生きている。
「もし夢が達成されなかったら悲劇だろう?」
そりゃ悲劇だ。
目も当てられない。

以上

似たことを所ジョージも言っている。
「人間は頭がいいから、明日のこととか、来年のことを考えちゃうでしょ。そうじゃなくて、もうちょっとばかになって、今日のことしか考えられないと、幸せになりやすいのにね」
とか…
「明日できることは明日にしましょうよ」
など…

「向上心は現状の否定から生まれる。向上心を持つなとは夢を持つなということだろうが、それは現状が幸福な人の傲慢(ごうまん)な言いぐさだ。タモリのように前向きに生きることを否定していたら、自分は何も変わらない」
と反論が出るのはタモリも承知の上だった。
こういう反論をする人は、何も見えていないのである。
競走馬のごとく、前しか見えていないのである。

タモリらしく「ジャズな人」と「ジャズでない人」に、人を二分する。
向上心のない人は、彼によれば「ジャズな人」なのだそうだ。

夢は夢でしかない。
夢を持つのではなく「目標」を持てと言われるのゆえんである。
元女子サッカー日本代表選手の澤穂希(さわほまれ)が言うように、夢は叶えてこそ意味を持つのであって、そうでなければただの夢なのだ。
ただし、あなたと澤さんとでは人間の出来が違うだろうがね。

目標は明確であることを根拠とする。
目標が明確であるとは、具体的で、どれくらいの経費と人員と時間でそれが達成できるかが明確であるということだ。
夢と目標が不分明な人が多い中、どうせなら目標をもって行動したい。

ならば、成功したい人は目標を持って行動するべきだ。
普通に平穏に生きたい人には目標などいらない。
ランナーには目標(ゴール)が必要だが、ただ歩いている人に目標(ゴール)はいらないし、なんなら引き返してもいい。
そして目標は低くてもいい。
ここが大事だ。
小さい成功例をたくさん経験した方が、人間豊かになりそうだ。
「小さいことからコツコツと」とは西川きよし師匠の参議院議員時代の言葉だ。

そして北野武(ビートたけし)は、こう言っている。
「努力すれば、きっとなんとかなるってそんなわけないだろう。一所懸命やればなんとかなるほど世の中甘くないってことは親とか周囲の大人が一番知ってんじゃねえか。必死にやってもうまくいくとは限らなくてどうにもならないこともあるそれが普通で当たり前だってことの方を教えるのが教育だろう」
至言である。

タモリは自分が成功した人だとは思っちゃいないだろう。
そりゃ、少しは思っているかもしれないが、それは奇貨として手にしただけの幸運だと思っているくらいかもしれない。
とはいえ、客観的に見てタモリは相当な成功者である。
だからその言(げん)が、いささか傲慢に見えるのは仕方のないことだとも言える。

では今日(こんにち)、確たる目標を持たず平穏に生きることがなぜ否定されるのだろうか?
青少年が「目標を持たない」あるいは「夢を持たない」生き方をしていたら眉を顰(ひそ)められるのはなぜか?
そういうあなたは目標を持ち、達成しえたのか?
青少年は大志を抱くのが本筋(ほんすじ)みたいな幻想が、日本人の、殊(こと)に大人に蔓延(まんえん)しているように見える。
そんな大した人間でないはずなのに、いつしか自分も「子供は夢を持て」なんて言葉を平気で吐く。
おこがましいとは思わないのだろうか?


私は、タモリや所ジョージ、北野武の生きざまに共感する者である。