エチルアルコール(IUPAC名はエタノール)のアルキル基は「飽和」、つまり炭素-炭素一重結合です。
ここの水素原子をelimination(脱離)させて「不飽和」、つまり二重結合にすると、ビニルアルコールという化合物になる。
しかし、ビニルアルコールは実際には存在しない(瞬間的には存在しているだろう)。
ケト・エノール互変異性で異性化しケトン体(ケト体)、つまりアセトアルデヒドに平衡が偏ってしまうからです。
脱離反応とほぼ同時に、エチルアルコールはアセトアルデヒドになってしまう。
これは人体内でのアルコール代謝でもおなじみの反応です。

じゃあ、ポリビニルアルコールというものが売っているではないか。
というご質問にお答えせねばなりません。
水糊(みずのり)、ゴーセノールという洗濯糊など、だいたいポリビニルアルコール水溶液です。
「ビニルアルコールが重合してポリビニルアルコールになってんのとちゃうの?」


「ちゃうんです!」
これは化学のからくりなんですよ。
酢酸ビニルという化合物があります。
これは酢酸とビニルアルコールのエステルと考えられます。
実際はそうやって作るのではありません。
だってビニルアルコールは現実には存在できないんですからね。
酢酸ビニルは簡単に熱重合して、ポリ酢酸ビニルという高分子になります。
木工ボンドやガムベースはポリ酢酸ビニルですので大変、身近な高分子化合物ですね。

それでですよ。
このポリ酢酸ビニルをアルカリ(水酸化ナトリウムなど)で加水分解(ケン化、鹸化)すれば、酢酸ナトリウムが分離して、ポリビニルアルコールという高分子骨格だけが残るのです。
これはトリグリセリドを水酸化ナトリウム水溶液でケン化して石鹸を作る化学反応と同じことです。
トリグリセリドはグリセリン(アルコール成分)と脂肪酸(カルボン酸)のエステルですから、水酸化ナトリウムなどのアルカリで分解され、グリセリンと脂肪酸のナトリウム塩(石鹸)ができるのでした。

つまりポリビニルアルコールは、ポリ酢酸ビニルのケン化でできる、結果的にビニルアルコールがたくさんつながった形になっているにすぎない物質なんですよ。

このカラクリ、わかりました?

ケトーエノール互変異性は、ケトンやアルデヒドというカルボニル基(ケト)とアルコール性水酸基(エノール)の化合物が混在して平衡(バランス)に達している状態を言います。
ケト体とエノール体が延々と分解・再合成されているんですが、見かけの反応は止まったように見えます(平衡状態)。
だから、ケト体だけを取り出すとか、エノール体だけを取り出すということが化学的にも物理的にもできないのです。
ビニルアルコールの場合はこの平衡が極端にケト側に傾いているので、この平衡系ではアセトアルデヒドしか存在しません。

なぜビニルアルコールは、かくも不安定なんでしょうか?
CH2=CH-OH (ビニルアルコール)
書くのは、たやすいですね。
でもこれは瞬時にアセトアルデヒドになってしまうんです。
CH3-CHO (アセトアルデヒド)

ビニルアルコールの構造式を見ますと、炭素-炭素二重結合に直接、水酸基が結合していますね。
酸素原子にはオクテット電子法則によれば化学結合に預からない不対電子が余ってます。
それから、二重結合にもπ電子といって結合活性の高い状態の電子が存在します。
この二つの電子が直で隣り合うと、電子が混ざり合い(非局在化)して、水酸基はケト(カルボニル:>C=O)になり、C=C二重結合は一重(飽和)してしまいます。
アリルアルコールのように、間にメチレン基(-CH2-)が一つでもあれば、遮蔽されて水酸基は安定に存在するのですがね。
CH2=CH-CH2-OH (アリルアルコール)

こういうのを議論するのが「有機反応論」とか「有機電子論」なんですね。
有機化学が暗記物だと思っていると、なかなかしんどいです。
嫌になりますよ。
本当は、ちゃんとした理論があって、有機化学は成り立っているんですよ。
その裏付けがあれば、分子の形でだいたいどんな反応が起こり得るのか、起こらないのかがわかるようになります。