日々の彩り、日々色直し

日々、悩みは尽きないけれど、負けず焦らず、生きていこうよ!
時には写真つきにするよ!

これが醍醐味!旬のもの季節外れのものも楽しませてくれています

2021-09-29 14:29:20 | 暮らし

長らくぶりのブログです。最後までお読みくだいさね。
今年の我が家では、柑橘類が豊作で、レモンにジャンボレモン、ミカンにグレープフルーツとそれぞれに、沢山の実が青々と実っています。収穫時期が楽しみです。
それと、秋ナスが実を膨らませています。


まだ花も咲いていますし、“ ポツポツ1個ずつ ” といった調子で収穫できそうです。
我が家の土曜日の夕食は、決まってカレーライスです。ワイフがビーチボールに出かけるからです。今はコロナ禍で実施されていませんが。それでもカレーライスです。
そのカレーの具として入れるか、採れた日の夕食にバターで焼いたて食べるかです。
いずれにしても “ 旬 ” の味が楽しめるのは嬉しいことです。
生っているナスの取り具合を確かめるために、弱くぎゅっぎゅっと握って柔らかさをみ(診)る時なんかはなんとも嬉しいものですよ。
ちなみに、枝を剪定せず伸び放題にしていて、実が地面に着いているのもありましたので、写真のようにポールを立て、麻ひもで吊るしています。

ストレリチア(極楽鳥花)は今年も咲いてくれました。
知人に切り花にしてもらっていただいたりもしました。
株分けをした2鉢の株も良く育っていて花をつけてくれましたので、玄関でお客様を歓迎してもらっています。
写真は地植えの親株に咲いた花です。

こうして、この時季の植物の生長を楽しんでいます。

ただ、昨今の気候変動もあって、思わぬ生長を見ることもあります。

梨の花と桃の花が咲いているのです。一応、梨の花は受粉を試みましたが、おそらく途中でどちらも散ってしまうでしょうね。季節知らずはだめですからね。

それからハイビスカスです。これまでこのブログで紹介してきたハイビスカスの木が枯れてしまったので、ホームセンターで “ 捨て売り(!?) ” されていた苗を9月20日に買って4鉢植えています。
なぜ “ 捨て売り ” と表現したのかは次の通りです。
種苗店で買い求めようとしたのですが、苗を売る時期を過ぎていたので無く、その帰り道のホームセンターに “ まだあるかもしれない ” と寄ってみたのです。
そしたらあったのです! それも棚には並んでなく、棚横の地面に、いわゆる “  陳列 ”ではなく、固めて置いてあったのです。
それに値札も無かったので、定員さんに聞きに行くと、棚の所でハイビスカスの苗を見て「傷んでいるし、安くできるか聞いてあげる。」と言ってくださり、結局、1,000円の苗が500円に、400円の小さな苗が270円にと値引されました。それぞれ2個ずつ購入しました。
実は、大きくなり枯れてしまったハイビスカスもこの店で、見切り品として500円で買ったものでした。
ワイフが他の買い物でそのホームセンターに行って見てみたら、まだ小さい方の苗が2本あったとのことでした。
やっぱり季節外れのものは売れないのですね。育てる気があれば “ 買い得 ” だと思うのですが。
その9月21日に鉢植えにした大きい方のハイビスカスにあった蕾(つぼみ)が花開いたのです。
今朝はご覧のように落ちていましたが。

ピンクのきれいな花でしたよ。
それに、まだ蕾がついているのですよ。まだ楽しめます。秋なのにね!!

季節外れに分類できそうなミニトマトにも実がつき、これも “ ポツポツ1個ずつ ” といった調子で収穫できています。

一旦収穫を終えたミニトマトの鉢植えの茎を根元で切っておいたら、鉢から地面に下りて広がりだしましたので、麻ひもで茎を吊るしました。通路を歩くのにも不便しますから切って根を起こしてもよかったのですが、せっかく実をつけ始めているのだしと吊って残したのです。

さて一方で、今・これからが季節の渋柿と甘柿(富有柿と品種不明の柿)ですが、ともに全滅です。3本もあるのに、実がついているのは、富有柿の木の1個だけです。残念!! 剪定が悪かったのでしょうね、きっと。ごめんね。
毎年、知人に「吊るし柿を作って!」と富有柿も添えて届けているのですが、今年はお休み。寂しい限りです。

それにしても、季節それぞれの時期ごとに “ 旬 ” の植物が楽しめたり、“  こんな季節環境だから” と育てる作物や種を播く時を調整してみたり、失敗もありますが、楽しんでいます。


今、頭には「大本営発表」の言葉が浮かんでいる!

2021-05-26 19:37:28 | 報道

歴史に疎(うと)い私ですが、だから “もっと勉強してから言え” と言われそうですが、堪(たま)らず書くことにしました。
なんで「大本営発表」の言葉が頭に浮かんでくるかと言いますと、構造的には、今が、戦前の政府と臣民の関係にとらえられるからです。
戦前は大日本帝国憲法の下、天皇の決めたことに臣民は従わざるをえない関係でした。
今、私たちは、日本国憲法の下、内閣総理大臣の決めることに国民は従わせられようとしています。
ですが、“欽定憲法”下ではなく “民定憲法”の下で生きている私たちは “物言えない臣民” ではなく “物言える国民” です。物言うことが保障され尊重される国民なのです。

とすると、“内閣総理大臣の決めることに国民は従わせられようとしています” こと自体、今の日本にはあってはならないことなのです。
そもそも “内閣総理大臣” も間接的にですが国民が選んで、“私たち(国民)のためによろしくね!” と政治運営を託した存在なのですから。
その “内閣総理大臣” が私たちの言うことをまったく聞かず、従わせようとすることはあってはならないことなのです。

ところが、東京オリンピック・パラリンピックの開催か中止かをめぐること1つをとってみても、新型コロナ禍の中であるにもかかわらず、世論の多数が反対しているにもかかわらず、開催で突っ走っているのです。
そして、特に自民党議員たちは大政翼賛的に “内閣総理大臣” を支えているのです。

ところで、なぜ、こう突っ走ることができるのでしょうか?
1つには、前安倍晋三内閣総理大臣の手法の存在が大きく影響していると考えています。
森友学園問題・加計学園問題、桜を見る会問題等々における対処の手法です。
“とことん言い切れば国民は従ってくるもの!” というものです。真相究明を求める私たち国民の声をまったく聞かない在りようです。
2つには、先にも書いた “自民党議員たちが大政翼賛的に内閣総理大臣を支えている” ことです。この自民党議員たちも国政選挙で選ばれた私たちの代表であるはずなのですが。
3つには、彼らに “国民は我らが強く当たり、引かなければ我らに従う” と認識させる私たち国民の在りようです。

しかし、“物言うことが保障され尊重される国民” である私たちには、いくつもの拠(よ)りどころがあります。友人知人しかり、職場や各種の団体しかり、新聞社等々のマスメディアしかり、国政選挙しかり、各政党しかり等々。
これらの中に “協調” や “連帯” などが生まれてきています。さらに生まれていくでしょうし、生まれていかなければなりません。“大同団結” も必要です。
そして私たちは、事実をあぶり出し、深掘りし、責任を追及し、正すことができるのです。暮らしやすい世の中に向かっていけるのです。
森友学園問題・加計学園問題、桜を見る会問題にしても、ボロボロと責任を追及される羽目に陥ることになっています。まだどれも責任を取ろうとはしていませんが。
河井氏への1億5千万円問題も少しずつその全容が明らかになってきています。この件では、自民党の二階幹事長が「責任は自らと安倍氏にある」と答えているにも関わらず、前安倍晋三内閣総理大臣は何も答えず無言を貫いています。彼はさらに窮地に陥ることでしょう。 “大政翼賛的に前安倍晋三内閣総理大臣を支えている自民党議員たち” もいるようですが。

今一番の課題は、広がっている新型コロナウイルス感染症の克服と、東京オリンピック・パラリンピックの開催か否かです。
これらには、安倍流も菅流も通じない! ゴリ押しすれば、待っているのは墓穴のみ!

私たちは、できるところでできるだけ大きな声を上げていこうではありませんか!!

 


コロナ禍の日本の問題

2021-02-10 12:35:19 | 報道

「一律」が蔓延(はびこ)って「不公平」が蔓延(まんえん)しているコロナ禍の日本!

『1日6万円』にしても、大きな店では足りないが、小さな店では “もらいすぎ” になっている現実。
このありようはこれから何年も続くだろう。

コロナ禍を緩和する・乗り越えるために、まずすべきは “基本の基” の『社会保障制度』の活用とさらなる拡充であったのだ。今もこの活用と拡充を中心にすべきことは変わらない。
当然のこと、この『社会保障制度』は「社会保険」・「社会福祉」・「公的扶助」・「保健医療・公衆衛生」で国民の生存・生活を守ることを保障している。また当然、この中に生活保護を受ける権利も医療による予防・治療も含まれているのである。

では、なぜ、『社会保障制度』の活用とさらなる拡充での手当にならなかったのか、今もならないのか?
それは、政治の中枢に「憲法が根付いていないことが最大の原因であり、政治家が自分の地位に甘んじ、利己的利益を得ようとするありようを堅持しているからである。

今回は、『Go to トラベル』を実施するために「観光業界を真っ先に!」と目先を固定したためである。前回に書いている
『新型コロナ対策が先か、経済が先か』と同様に、 “コロナ禍を緩和する・乗り越えるため ”の看板のもと、国民に実行している政治家の最大の作為なのである。

さて、コロナ禍が減じてくる中、様々な貸与金の回収の問題が出てきて、回収するか否かから論議されることになるだろうし、さらに、財政回復が大きく私たちに立ちはだかってくる。
そのための「消費税を15%に」の声も上がってくるだろう。「累進課税制度」もあるが、政府はこの税率を見直すことはしないだろうし…。
当然、「一律」が蔓延(はびこ)り、「不公平」が蔓延(まんえん)する状態が何年も続く状態が生み出されるのである。

私たちにはていねいな検証が必要であり、これからの自らの生存・生活(豊かな生活・社会)を作るためには、国・社会・個々人としてどうあるべきかを見出さなければならいのである。

 


新型コロナウイルスへの対応について

2021-01-02 12:14:00 | 暮らし

昨年家を出て一人暮らしを始めた長男が元日夜に「ただいま~」と帰ってきた。
夕飯を食べてくつろいでいた私は “こんな時間に! 連絡もなしに!” と少しムッとした。
コロナ禍の中、営業で外回りの多い長男である。
私には言わなかったが、高校時代の仲間に「新年会をしよう」と誘われたのだとワイフには言ったそうだ。
夕飯はまだだということで、ワイフが準備した雑煮やおせちを食べて、しばらく私と食堂でテレビを観ていたが、そのうち自分の部屋であった部屋へと上がっていった。同居していた時と同じようにお互い無口であった。

私は今朝早くから、膨らんでくる長男の甘さに何と釘を打とうかと言葉を考えていた。
遅く起きてきた長男にかけたのは「今日、新年会やて!?」(うむ)「何人で飲むんや!?」(わからん) ムカムカときた。
「新型コロナ(ウイルス)に罹ったら会社に迷惑かけるし、お父さんたちも困るし、気をつけろ!!」とぶっきらぼうに言えただけだった。
頭の中では、論理立てた中身を、それこそ小学生を説得するようにていねいに話そうと描いていたのに。

“こんなものかもしれないなぁ”、“だから外出する人が結構いるんだ ” とTVの有名処の映像を観ていたことも理由に、自分をなんとかなだめようとしている。

それにしても、「新型コロナウイルス感染対策か経済か」と早い時点から二者択一を持ち出され、迫られ、言われるがままに “経済” 重視を植えつけられしまった私たち。
国民支配や憲法改正を目指す輩(やから)にまんまと乗せられたのではないか。

私たちは病気になったら、まず、仕事の合間にあるいは仕事を休んで病院へ行き、とにかく病気を治そうとするではないか! そうして職場(経済)復帰を果たしてきていた。
それぞれの企業や部署・立場、地域などでもっともがかせてほしかった。その方が病的な中ででも、もっと健全性を維持できたのではないか。

「自然淘汰」があるように「新型コロナ淘汰」があるのではないか? と新型コロナウイルス感染初期の段階から思っていた。でも、こんなことを言ったり書いたりすれば蜂の矢面に立たされるので今まで表現しなかった。

検証的に書けば、飲食関係に顕著に言えることだが、やっとテイクアウトや出前(訪問)調理などが考え実行されるようになっている。ネット販売を強化する企業も増えた。飛行機業界では、卒業旅行のかわりに富士山を上空から眺める空中散歩を企画実施したり。
旅館業でも新たな展開があるように考えられる。
本来的には、このような企業努力が先にあるべきなのだ。あるいは支援政策と並行してあるべきだったのだ。

いつのまにか、私たちの心の卑しい部分を広げさせられて、私たちは “物(お金)を欲しがればいいんだという存在” に貶(おとし)められたのではないだろうか!?

普段泊まれない高額なホテルに半額程度で宿泊できるという非日常体験を地方の日常に持ち込んだり。それも不平等な制度を利用して。感染の広がりに加担させられたのでもある。
まさに、なんでもありの「新自由主義」の政策の中で、「新自由主義」的存在にならされアップアップしている自分を客観視できないだけなのに得した気分になっているだけなのにである。
まさに、さらなる格差の拡大を肯定させられているのである。現実のものにさせられているのである。

生きづらい。でも生きていかなくては! そのためには…。また書こう!


鈴なりの渋柿、たくさんの富有柿

2020-12-24 11:52:55 | 暮らし

今年は富有柿も渋柿も鈴なりでしたが、その実は例年になく小さいものばかりでした。
富有柿はたくさんの知人に貰っていただきました。それでも、まだ46個も残っています。

小さい柿は熟れてきていて、かぶりつくとジュッワーと柔らかく口の中に柿の味が広がります。甘さに反して皮の硬さが目立ってしまっています。

さて、渋柿ですが、干し柿には小さすぎると思って、しばらくは干し柿にする気もなかったのですが、やっぱり “もったいない!” と干し柿にしました。


取り入れた干し柿は、小さいけれど知人に貰っていただこうとジップロックの袋に入れて名札をつけて小分けにしました。家用にはタッパーウェアに入れて保存することにしました。

それにしても、富有柿も干し柿もたくさんで、ワイフと2人では2人とも太ることになってしまいます。

それから渋柿ですが、木で熟し始めていて、枝の渋柿を握ってみると柔らかくなっています。もう少しすると鳥もおいしくいただけるものと思います。

富有柿も全部収穫せずに鳥用にと10個ほど残しておいたのですが、今はもう1個も枝にはありません。
まさに鳥たちとの共食です。