人生黄昏時

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宮古 【11】

2017年02月15日 00時03分05秒 | 日記

   人頭税 <2>

 人頭税は15歳から50歳までの全ての島民に

収入のある、なし、に関わらず一定の納税をしなければならなかった

 

島民にとって過酷な人頭税システムであった

納税は全て物納での納税であった

 

男は穀物(主に粟)海産物などで、女性は織物を王府は求めた

そのため集落ごとに、宮古上布を織る施設方言でブンミヤーが設けられた

 

ブー(糸)、ンミ(績)、ヤー(屋・建物)糸績屋と呼ばれる

工房と染め屋が設けられ手積・織り・染めの分業制で

島の女性は朝早くから陽が落ちるまでブンミヤーに詰めて

半強制的な環境の中であった

 

仕事は役人の監視の中厳しい品質管理体制で

何度かの検査を受け合格して初めて貢納布として認められた

 

人頭税の過酷さを物語るエピソードは数多く残されている

個人の能力、体力は考慮されなかったため

嬰児殺し、滞納者への厳しい罰則、債務が増え奴隷のよう名子(なぐ)

他島への逃亡など、人頭税にまつわる悲劇、伝説、民謡、遺跡など

数多く語り継がれ歌われている

 

上地め主ぬ布納みアーグ・石嶺のあこう木ぬアーグ・豆が花アーグ

人頭税廃止のアーグなどの民謡として歌われ残っている

 

過酷な人頭税制度は1637年に始まり

実に266年続いて1903年(明治35年)に廃止になる

 

廃止のために、新潟県出身の中村十作、沖縄県出身の城間正案

島民代表の平良真牛、西里溝の4人の大きな働きがあった

 

琉球国は、1879年(明治12年)に沖縄県になるが

沖縄人自ら(政治家)人頭税廃止に

働きかけたと言う事はなかったといわれている・・・?

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1 コメント

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人頭税について (良実)
2017-02-15 10:01:41
人頭税が、1903年まであったのが驚きました。その頃は移動の自由とかあったと思うのに逃げることもできなかったんですね。

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