菊池という地名は、もしかしたらここからついたのかもしれません。

この神社からは菊池平野が望めます。

菊池ではよく会う顔の狛犬です。

手水舎

菊池神社
祭神 建武の中興より南北朝に至る間、終始吉 野朝に精忠を捧げられた菊池一族の中、贈従一 位菊池武時命、贈従三位武重命、同武光命の三 柱を主神とし、殉皇の一族二十六柱の神霊を奉 祀する。

摂社・城山神社は元寇撃退に殊功をたてられた 贈従三位菊池武房命と肥後文教の渕源と 仰がれる贈従四位菊池重朝命二柱を祀る。 祭日(春四月一日・秋九月一日)

別宮・雲上宮は征西将軍の宮として終始菊池氏 と共に吉野朝に勤労を盡された懐良親王 (後醍醐天皇皇子)と、良成親王(後村上天皇 皇子)二柱を奉祀する。祭日十月十三日。

末社・稲荷神社・生目神社倉稲魂神と生目の 神を同殿に祀る。祭日二月初午日。

沿革 精忠義烈の菊池公の御神霊奉祀を希ふ 志士の建白天聴に達し「菊池ノ儀ハ嚢祖武 時以来累代王室ニ勤労シ其ノ誠忠臣分ノ 模範ニ相成候段兼テ御嘉賞被為在云云」 として慶応四年祭祀を仰せ出され、菊池本城 址の聖域を卜し社殿造営、明治三年四月二十 八日神霊御鎮座。同十一年別格官幣社に列し、 昭和六年十一月十二日天皇陛下の御親拝 を賜はった。又度々幣帛料の御供進に預った。

祭日 春祭四月五日
櫻咲き香るこの日を中心に献幣の大祭が行はれる。 秋祭十月十五日 十月十三日より別宮雲上宮の例祭に次で松 囃子を始め、数々の行事があり、十五日には 町内を巡って菊池氏発祥の地深川の頓宮ま で御神幸が行はれる。

宝物 有名な菊池家憲を始め菊池関係古文書 画像・菊池千本槍・武具等多数の歴史資料を 歴史資料館に展示する

神紋 並鷹羽
菊池六代隆直公の時代より之を用ふるといひ伝ふ。これより以前は日足紋(旭日紋)であった。
-境内案内-

 

ちなみに日足紋(旭日紋)は

いわゆる日章旗や警察庁のロゴですね!

 

拝殿です。

拝殿の横の摂社 城山神社です。

この人が主祭神の菊池武光です。

 

後醍醐天皇の御子である懐良(かねなが)親王を征西将軍に迎え、南朝方として室町幕府と戦い、一時は九州を平定するなど活躍しました。

 

更に 

軍神松尾敬宇中佐

太平洋戦争におけるシドニー湾攻撃特殊潜航艇甲標的」艇長として戦死二階級特進により最終階級は海軍中佐になった菊池市出身の軍人だそうです。

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 人間魚雷の原型のようなもののようですね。

 

そして雲上宮です。

祭神 懐良親王、良成親王

末社

菊池市では菊池武光は英雄で町のシンボルにもなっています。

蛍丸や胴田貫を打った鍛冶集団です。 

 

胴田貫は以前草枕の項でご紹介しましたが蛍丸とは

 

総長4尺5寸(約136.36cm)、刀身が3尺3寸4分5厘(約100.35cm)という大太刀で、江戸時代松平定信により編纂された『集古十種』には、「肥後國阿蘇大宮司惟純螢丸太刀圖」として絵図が収録されている。南北朝時代の南朝側の武将、阿蘇惟澄が佩用したと伝えられる。惟澄は、1336年(建武3年)の多々良浜の戦い菊池武敏を助けて足利軍と戦い敗れた。その夜、この激戦で刃こぼれした刀に蛍が群がり刀を直した夢を観て、目が覚めて刀を見てみると本当に刃こぼれが直っていた、との伝説があり、これが「蛍丸」の名の由来となっている。

 

その後阿蘇家の家宝とされたが、現在所在不明の名刀です。

現在復元計画が進行中だそうです。

 

時間切れで見れませんでした・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

 

 


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