魏志倭人伝「対馬国」
始度一海千余里 至対馬国 其大官曰卑狗 副曰卑奴母離。所居絶島 方可四百余里。土地山険 多深林 道路如禽鹿径。有千余戸。無良田 食海物自活 乗船南北市糴。
訳:はじめて一つ海を渡る。一千余里ある。対馬国に至る。そこの大官(長官)は卑狗(ひこ、ひく)といい、副官は卑奴母離(ひなもり)という。住んでいるところは海に囲まれた島で、広さは四方四百余里ばかりである。その土地は山が険しく、深い森が多く、道路はけものや鹿の通り道のようである。また人家は千余戸がある。良い田がなく、海の物を食べて自活し、船に乗り南や北に海を渡って穀物を買い入れている。
「古事記」
次に津島(ツシマ=対馬)を生みました。
この名前を天之狭手依比売(アメノサデヨリヒメ)といいます。
と記されるこの島は女神の島として記載されています。
対馬には独特の固有種も多く
国境の島だけあって多くの軍事施設も作られました。
姫神山砲台
国防そして大陸に向かう最前線基地として明治20年から昭和20年までに30箇所を超える多くの砲台が建設され、島の要塞化が進められました。姫神山砲台は、明治33年2月着工、翌年11月に竣工し、その後明治37年1月に6門の28センチ榴弾砲が備え付けられました。
長崎ネットより
ここは壱岐の砲台に比べるととてつもない規模の砲台があったようです。
世界最大豊砲台
但し、車で行くならジープ バイクならもモトクロスでないとタイヤが裂けてしまう道です。
佐渡島・奄美大島に次ぐ大きさで砲台巡りだけでも2泊3日ほど必要かもしれません。
対馬は大きいのである焦点に絞った神社を御紹介します。