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人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

刀狩り、銃砲刀剣所持等取締法と核兵器禁止問題

2017年01月16日 16時29分00秒 | 国際政治
刀狩り、銃砲刀剣所持等取締法と核兵器禁止問題
 核兵器問題の取り上げ方として、あまりにもアナクロニズムと言われるかもしれませんが、人間が人間を殺傷する道具をどう取り扱うかという問題としては、基本的な共通点があると思い取り上げてみました。

 刀狩りには、支配階級が被支配階級を統治する際の便宜を考えてという理解が一般的かもしれません。 
 しかし、争いの絶えない社会で、争いが起きても、なるべく人の生死に至るようなことにならないようにという意識もあったと考えています。

 この、人間として普遍的と思われる、人の安全を重視する意識は、今の銃砲刀剣所持等取締法では極めて明白でしょう。
 勿論統治する側の統治を容易にするという意識(効果)もあるでしょうし、反社会的組織の活動などを考えれば、それも大事な役割でしょう。

 それでは今の核拡散防止条約とか、 核兵器禁止条約というのはどうでしょうか。
 これは本来、国連の常任理事国だけが核兵器を持つことが出来、それ以外の国は持てないという形のものでした。第二次大戦で勝った連合国の主要5か国、国連の常任理事国だけが核保有が出来るというものです。
 世界の恒久平和を目指して国連を組織したこの5か国が一致して国連を世界の中央政府の様に盛り立てていくという事であればそれは世界平和、核不拡散の第一歩になったのでしょう。

 しかし現実には、第二次大戦の連合国と枢軸国の対立は解消し、代わりに、連合国の中の米ソが戦後世界の対立国となり、最近は中国の台頭で、連合国(常任理事国)の中での対立が世界の主要な対立という事態です。

 これでは、核の管理をこの5か国に任せるわけには行かない、出来る所は自分も核保有国にというのは自然の成り行きでしょう。核不拡散は有名無実化しました。
 トランプ政権の発足で米ロ関係は予測不能ですが、米中関係は対立の激化を予測する人も多い状態です。

 刀狩りの故事に倣えば、核兵器は、中央政府であるべき国連が管理して、初めて実効性のあるものになるのでしょう。常任理事国5カ国だけが核兵器を持つことが出来るというのは、本来それ(国連管理)に至るプロセスロして存在すべきものではなかったのでしょうか。

 今や核兵器は、昔と違い、簡単に(?)作れる(オウム真理教のサリン製造より難しいにしても)ものになりつつあります。テロ集団が開発しないとも限りません。

 一般市民は銃砲刀剣等は持つべきでない、しかし中央政府(警察システム)が丸腰では、これはまた人類にとっての危機でしょう。核抑止力の行使は国連の権限であってしかるべきなのでしょう。

 核兵器廃絶は理想です。理想ではありますが、それは、核兵器の国連管理の次に来る、人類はもはや争うなどという事は毛頭考えないという、理想の時代に本当にふさわしいものなのでしょう。

 核保有を公的に許された国連の常任理事国が対立抗争を深めているような状態の中で、唯一の被爆国と言っても、日本国民に責任を持つ日本国政府が、いかなる対応をすれば本当に褒められるのか、これは大変難しい問題ですね。

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