2014年 12月 19日
幻のネガ 1
いよいよ今夜より戦時中の山写真をアップしていきます。
戦時中と言っても、開戦直後は差し迫った様子が見られません。
最初は戦場が遠すぎて、本土には伝わっていなかったのかも・・。
都市部ではないので、疎開先にあたる地域だったと予想されます。
とても牧歌的で、戦争を感じさせないのは撮影者の意図でしょうか。
年を経る毎に、出征の写真が混じってきますが・・・。
限られたエリア(丹沢)の当時の風景、というより「当時の日本の写真」として
見た方が面白いと思います。
今夜はちょっと長め。
こちら昨晩に続き、不老山より丹沢を望む景色。
注目すべきは・・・丹沢湖が無い。
1970年代後半に出来上がったから・・・。この写真より約40年後にダムが完成した訳です。
多分、左下の川は世附川かと。
丹沢三峰を奥に見ています。
オオコメツツジ(だと思う)の白さがモノクロでも分かります。
春の息吹を感じますね。
こうして見ると、現代と同じですね。
塔ヶ岳山頂より大山を望む。手前が表尾根、奥が大山です。
尾根筋の木が少ないように見えますが・・。薄くなっているのは笹原ですね。
北東斜面は今も荒れています。
丹沢自体、地質学的に言うと「壮年期」の地質と言えます。
地形輪廻の宿命として、これから老年期になります。膨大な時間が掛かりますが・・・。
簡単に言うと崩れやすい。
丹沢山頂にて。
この方が撮影者です。
奥に富士山がうっすら見えますね。
簡単な案内板、「ハイキングコース」とあります。
戦時中は英語の使用がどうだったか・・。興味深い。
丹沢山頂は今の方が見晴らしが良くないかも。
太陽がいっぱいのいい写真です。
セルフか?セルフで撮ったのか・・?
上の3枚は塔ヶ岳(当時は塔ノ岳ではなかった)
の山頂に丹沢初の山小屋・尊仏山荘を建てている時のもの。
建てている時の写真はこれまで見たことが無い。
資料として、一級の写真です。
夏の暑い盛りに、多くの人が「勤労奉仕」として山小屋を建てています。
体つきを見ても小柄ですが、かなりパワフル。
歩荷(ボッカ)や強力(ゴウリキ)が絶賛活躍中の時代。
荷揚げは人力でした。
この小屋も例に漏れず、一木一石まで人の手によるもの。
昭和13年に決議が出され、昭和15年に完成。
横浜山岳会の10周年記念事業としての一面もあったようです。
当時の資料から抜粋します。
"昭和14年炎熱の七、八月(中略)土曜日の終電にて土木用具を擔(かつ)ひで
横濱を出發し夜を徹して登頂、早朝より夕刻に至るまで或る者は鋤、鍬を振ひ、
畚(もっこ)を運び(中略)或る者は澤の源頭を降り、ザイルに身を繋ぎ合わせて石を採り
或る者は大倉尾根の登路を物資の背負揚げ等(中略)不眠不休の勤労に奉仕された"
・・・写真そのものです。
読んでいるだけで息切れがしそうな程大変な様子です・・。
こうした人の力によって今の小屋の礎があると思うと、感慨深い。
ネガの中で最も明るい表尾根が写っています。
清冽な山の風が吹いてきそうな写真。
どんな風が吹いていたのでしょうか。
今夜はここまで。
続きます。
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どういう経緯で入手したんですかねぇw
あーそうそう
このあいだ、職場にお邪魔しようと伺ったんですけど、作業場、変わりました?
こんにちは!
そうなんです。青山から動きました。それはまたいずれ…笑
色んな経緯があって私の元へきたんですが、山岳連盟も大喜びだったんです。
まだまだ続きますのでお楽しみに〜。
これは、とても素晴らしい山岳の山小屋を作っている
風景ですね^^皆さん勤労奉仕をされているんだと
思います。それによって今の山小屋があるんですから
こんな貴重な写真が手に入ったなんて紐解くように
調べていけばきっと全てが、分かるような気がします、
いえ分かれば良いな~思いますよ
大変なご苦労があったと思いますね
何も無いだだっ広い山の荒地を山道を作っていくんですから皆さんのパワフルな力を感じますね。
こんばんは!
相当貴重な写真なんです。完成後の写真は結構あるんですけどね。他にも色々ありますが、人力というのがよく分かる写真です。
みなさんメチャクチャマッチョです(笑
この山は関東の方で、山が好きなら知っている山なんです。
色々面白いことが出てきて、まだ楽しめます。
郷土史って本当に面白いですね。
自分の住んでいる地域も色々あるかもしれません。