浪漫飛行への誘(いざな)い

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小塩節先生との出会い

2018年05月21日 22時06分35秒 | ドイツ

 

小塩先生は、1967年から1985年まで、NHKラジオの「ドイツ語講座」を担当していたので、お世話になった人も多いのではないかと思うが、ちょうど自分がドイツに転勤になった頃、ドイツの日本大使館公使、ケルン日本文化会館館長として、ケルンに滞在されていた(1985〜1988年)。自分自身、大学での第二外国語はフランス語だったので、定期的に聴いていたわけではなかったが、素敵な声の持ち主でラジオを通じて少しは存じ上げていた。ドイツ文学者としても有名で、ドイツ赴任前に彼の本を一冊だけだが持っていた。

小塩先生のエピソードとして、真っ先に浮かぶのが、ローレライの一件である。当時、ライン川にあるローレライは観光地として有名で、日本人観光客が多数押し寄せていたが、なんとローレライの岩の下の河岸にカタカナで「ローレライ」と書かれていたのである。場所がわかりにくいので、親切心で設置したのかもしれないが、それを見た小塩先生は日本人として恥ずかしいのですぐにその文字を撤去するよう働きかけ、今ではドイツ語表記のみ残されている。

最初の出会いは、1986年にフランクフルトで、小塩先生の講演会が開催された時であったと思う。次に、ドイツ人客室乗務員の採用にあたって、その研修の一つとして講演をしてもらったと記憶している。ドイツから名古屋に転勤になった時に、たまたま名古屋で小塩先生の講演会が開催され、再会することになった。その後、東京に戻って1994〜1998年まで、航空券を販売する関連会社に出向していたが、その時、小塩先生から航空券の手配を何回か頼まれてやりとりすることがあった。当時、小塩先生は、フェリス女学院の理事長をされていて、卒業生の就職先企業に学生をPRするパーティにたまたま参加して、お話をする機会もあった。

それから何年かして、客室乗務員の教育を担当されていた仕事上の友人が当時文化事業の業務を担当していて、小塩先生に大変お世話になっているとのことで、一緒に食事をするお誘いを受けた。当時、渋谷でドイツ時代の仕事仲間がオーナーをしていたドイツ料理レストランで、フランクフルト時代の支店長と計4人で旧交を温める機会を得た。このドイツレストランはもうなくなってしまったが、今の皇太子殿下と雅子さまがお忍びでドイツ料理を食べに来たことがあったほど雰囲気のあるお店であった。

その後、先生は一時体調を崩されたが、回復された時にお祝いを兼ねて同じメンバーで一緒に食事をする機会があった。遠出は難しいということで、先生のご自宅の近くで会食し、家にもお邪魔させていただいた、ご自宅は経営されている幼稚園に隣接していて、幼稚園とご自宅の両方にお邪魔させていただいた。英文学者の奥様ともお会いし、書斎も見学させていただいた。

個人的には残念ながらドイツ語を勉強する機会がなかったが、生活用語だけは今でも覚えている。小塩先生が書かれたドイツ語の本も何冊か持っているが、宝の持ち腐れの感がある。若い頃に先生からドイツ語を習っていれば、少しは物になっていたかもしれないと残念な思いである。

写真は、4人での会食風景(手前が小塩先生)


YouTubeは、ローレライ  https://www.youtube.com/watch?v=_c7ji5nHt6c


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