世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●重高齢化社会もいずれは終わる 少子化対策に全力を注げ!

2018年04月18日 | 日記

 

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●重高齢化社会もいずれは終わる 少子化対策に全力を注げ!

 久々に永田町の四方山話から距離を置き、安倍が死のうが生きていようが、全然関係なく我が国に現存する問題は山積だ。おそらく、一番の悩みは、少子高齢化問題だろう。生産人口が減るのだから、自動的にGDPなどは、停滞乃至減少に転じても不思議でもなんでもない。それを無理に増やそうとするから、アホノミクスと揶揄されるような経済音痴な20世紀型通産官僚らに騙されるのである。

たしかに、日経が恫喝的高齢化社会を「重老齢社会」になり、大変だ。まったく経済が回らなくなる、と不安がったり、嘆息している。正直、いまさら、何を言っているだと云う気分になる。まっとうに、少子化問題に取り組まなかった政治や行政の貧困であり、それ以上でも以下でもない。すべての責任は霞が関にあり、少なくとも国民の所為では、絶対にない。


 ≪「重老齢社会」が到来 日本、75歳以上が過半に
 日本の高齢化が新たな局面に入る。75歳以上の後期高齢者が65~74歳の前期高齢者をまもなく上回り、高齢者全体の半数を超える。寝たきりや認知症など身体的な衰えが強まりがちな後期高齢者が急増する「重老齢社会」の到来。定年退職後も元気なアクティブシニアが活躍する構図は次第に薄まり、高齢者をどう支えるのかがより深刻に問われる時代が来る。
 総務省の人口推計によると、2月1日時点で75歳以上は1764万人、65~74歳は1766万人。寿命が伸びていることから、後期高齢者は平均月3万人ペースで増加しており、早ければ近く発表される3月1日時点の推計で前期高齢者を上回る可能性がある。今後、75歳以上はどんどん増え、高齢者に占める割合は上がっていく。
■個人消費に暗雲
 政府は人口に占める65歳以上の割合を「高齢化率」として算出している。1947~49年生まれの「団塊の世代」が2012年に65歳に到達し始めてから高齢化率は急速に上がり、17年時点では27%になった。
 世界保健機関(WHO)などの定義では7%超の「高齢化社会」、14%超の「高齢社会」を上回り、21%超の「超高齢社会」と位置づけられる。
 ただ今の日本では医療の発展などにより65歳を超えても元気な高齢者は多い。豊富な資産を持ち、積極的に旅行に出かけたり趣味に打ち込んだりするアクティブシニアは、むしろ個人消費のけん引役にもなっていた。個人消費の約半分は60歳以上の高齢者が占める。
 そんな状況も後期高齢者が中心になることで変わりかねない。
 大きく変わるのが介護だ。前期高齢者で要介護認定されている人は3%だが、後期高齢者になると23%に跳ね上がる。高齢者が高齢者を介護する「老々介護」は、75歳以上になると自宅介護の3割を占めるようになる。
 特に首都圏で介護の問題は今後深刻になる。東京は今後5年ごとに20万~30万人という急ピッチで後期高齢者が増えていく。東京都は昨年「超高齢社会における東京のあり方懇談会」を発足し、老々介護や空き家問題などの議論を始めている。
 認知症のお年寄りの急増も、お金の流れに大きな影響を与える。
 ■保有資産活用を
 「日銀でも年金基金でもなく、認知症の人が有価証券の最大の保有者になる可能性がある」。みずほ総合研究所の高田創チーフエコノミストは気をもむ。
 厚生労働省が補助する研究によると、認知症の人は60代後半で約2%、70代前半で約5%なのに対し、70代後半になると約10%とぐっとあがる。株式などの有価証券の多くは70歳以上が保有しており、持ち主が認知症などになれば運用が凍結される可能性が高い。
 2035年には最大150兆円の有価証券を認知症の高齢者が保有すると高田氏は試算し、「生きたお金が回らなくなれば金融面からの成長が止まる」と懸念する。
 財政の持続性などを研究する慶応義塾大学の小林慶一郎教授は「これからは高齢者を支える負担が増す『重老齢社会』といえる局面に入る。金融や働き方、財政など様々な分野で社会課題からイノベーションを生み出す工夫が要る」と指摘する。 ≫(日経新聞:福山絵里子)


長きに亘る自民党政権は、官僚と学者、経団連、農協を中心とする利益誘導な関係を基盤に、日本という国を操舵してきた。40年、50年前には判明していた重大案件だったが、少子化対策には、多くの場合一長一短があり、玉虫色の弥縫策的聞こえが良いが、効果が期待できない霞が関文学の中に沈みこまされていた。今になって気づくことだが、自民党と似たような体質を持つ“日本会議”をウォッチしてみると判るが、家父長制、家族単位という、よほどの田舎にしか通用しない枠組みに、国民を封じ込めようと云うイデオロギーに縛られた感がある。 ここが程度の低くさを物語っている。

この余程の田舎にしか通用しない社会構造を、都会に住む人間たちに押しつけようと云う、古びた考えが、問題なのだろう。この問題は、現在のあいかわらずの護送船団方式の経団連の醜悪な姿と重ね合わせることが出来る。今や、人口の6割が、首都圏や、名古屋、大阪地域に住んでいるわけで、彼らの生活様式を抜きにして、自分達の古臭いカビの生えたような、家父長制だとか云う家族制度に国民を押し込めようと考える勢力が存在する点が、大問題なのだ。介護は家族でなどと云う考えは、都会にはなじまない。しかし、国民の6割が都会に住んでいる事実を無視しようというのか。

重厚長大な製造輸出産業を守るためなら、国民生活が、ある程度疲弊しても、トリクルダウンがあるに違いない。きっとある。これが、哀れにも、日本の最大政党、自民党の無知蒙昧な寄り合い所帯である。トマ・ピケティではないが、資本主義は、ここ50年、ほとんど成長していないのが真実で、成長は見せかけに過ぎないのだ。特に、日本などの経済が成長することは、或る部分に、一極集中的に富を積み重ねている結果の統計上のマジックなのだ。

仮に、百歩譲るとして、その一極集中して稼がせてやった企業群が、国民の側に、犠牲を払わせた価値相当のものを、還元するなら、それも、経済循環として理屈はある。しかし、その企業群は、自民党政府の庇護の下、僅かな法人税を支払うだけで、庇護されたものに見合うペイをしない状況が、30年、40年と続いていたわけである。これでは、国民生活が良くなるわけもなく、20代から40代にかけての国民は青息吐息になって、購買力が増える筈もない。

70代、80代、90代に文句を言っても始まらない。これから、彼らが子孫を残す可能性は極めて低いので、20代、30代の国民が、自由に子供を産める環境を整備することが国家の務めで、その養育を、生んだ親に押しつける考えは、少子化対策に逆行する。正直、子供をたくさん産みたい人々は意外に多い。しかし、経済的に、多くても二人が限界だね、というところで妥協が生まれる。ここをブレークスルーするのが政治や行政の力だ。また、独身女性でも、妊娠出産育児が可能な環境整備も重要だ。

ここまで来ると、一定の範囲で、日本で働きたい外国人の受け入れも、公明正大に、実態に即した法整備が必要だ。東京などに住んでいると、サービス産業で、多くの外国人が働き、都市生活になくてはならない労働力になっている現実がよく判る。どんな環境の国民でも子供が産める環境整備など、日本が本気で取り組めば、日本だけで完結する国際的システムになるはずで、自慢の日本になれるのだ。出生率を2.3%程度に伸ばせば、あっという間に、少子化問題は解決する。三人目の子供は、養育費ゼロ+手当くらいの予算配分が必要だろうが、数兆円で済む話で、くだらぬ輸出産業を優遇するより、壊れた武器を買うよりも、数段増しだ。

異論もあるだろうが、独身女性の妊娠出産養育も、国家が包摂する哲学も必要だ。理屈は簡単で、将来税金を払い、社会保障のベースになる基盤づくりには、そのくらいの腹積もりで取りかかる問題だろう。高齢化や、重高齢化に関しては、彼らが循環的にいなくなるまで、国家はある程度の範囲で、面倒を見るのが筋だ。家族におしつけ、医療費削減という考えは棄民政策だ。

それでは、日本の財政が立ち行かないと云う反論がある。しかし、この問題は、団塊世代が、80歳、90歳になるまでで終わる話だ。あとは、円柱形の人口構成になり、子育て制度の見直しで、ピラミッド型の人口構成も夢ではない。

筆者の個人的見解だが、日本の財政赤字は2500兆円までは持ち堪えることが可能なので、慌てることはない。あと1400兆円くらいは、社会制度に回す財政上の余裕はある。IMFに何と言われても、カエルの面に小便で構わない。国民と企業の富は、合計で5000兆円を超えているのだから、国債が大暴落することは稀だ。イイですか、あのノーパンしゃぶしゃぶ、佐川国前税庁長官の財務省が言っているだけの財政赤字の問題であり、国民が気にする必要など一切ないのだから。

ただ、これからは、日本が富を更に増やせる、経済成長国家だと云う考えは捨てるのが賢明だ。定常乃至は極度の低成長経済国家という認識に立脚し、骨折り損のくたびれ儲けな醜い乞食のような経産省のような考えを捨てるべきだ。この点でも、安倍政権と云うのは最悪だ。

世界俯瞰外交等千年早い話で、極東に位置する島国は、その小さな島の中で、考え方一つ変えるだけで、楽園のような生活が送れる。無論、ハリウッドスターのような生活や、翔平大谷のように稼ぐことも出来ないが、元禄文化を生みだす能力はある。モノは考えよう、価値観ひとつで、人は幸せにも不幸にもなる。欧米化した日本社会に、魅力は殆どない。

 

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