孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

魑魅魍魎たち。

2015年08月30日 | 日記
フォントと呼ばれる書体デザインというと、明朝体とかゴシックとかが一般的だが、私は英文の報告書などでは、Georgia というフォントを好んで使用する。特に数字が古風で、書体にもドコと無く品があって読みやすい感じがすると思う。

他にもマイクロソフト社がコンピュータ用に開発した、Verdana というフォントも読みやすくて好きだ。

コンピュータの発明される前から、活字書体はいくつかあって、その歴史はドイツ人のヨハネス・グーテンベルクが15世紀に活版印刷を発明した頃に遡る。火薬・羅針盤と並ぶ活版印刷の発明は、当時教会に一冊しか存在しなかった聖書の大量印刷を可能にし、聖書は個人所有が可能になり、それがやがてルターの宗教改革へと繋がっていくわけだ。

ルターの主張を押しつぶそうとすると、彼は自説をパンフレットに印刷して配り、支持者を獲得することができた。

活版印刷の普及に伴い、活字を組み、印刷から製本までを統括する職人が必要となり、彼らはタイポグラファー(typographer) と呼ばれた。

活字の書体デザインも手掛け、タイポグラフィックデザイナーとも呼ばれることがある。

ヤン・チヒョルト氏(Jan Tshichold) もタイポグラファーの一人で、1902年に看板屋の長男としてドイツのライプツィヒに生まれた彼は、その後ナチスの弾圧を避けてスイスに委譲している。

 

いくつかのフォントのデザインを手掛けているが、1966年に作成したサボン(Saban) というフォントは一般化した。



活字を組んだときの間隔やバランスを考えながら、文字のデザインを形作る作業はセンスと根気のいる作業である。

彼の作ったフォントに Waddem Choo という書体があって、この中のTのデザインがどこかで見たようなデザインだと気がつく。



二年前に東京のギャラリーで開かれた「ヤン・チヒョルト展」で掲げられた幟やポスターにもWaddem Choo フォントが使用されていた。(赤い矢印に注目)



先週、28日に東京五輪組織委員会は五輪ロゴの件で記者会見を開いた。例のパクリスト佐野研二郎氏のデザインについての会見だった。デザイン選考会の選考過程を説明したかったようだ。

審査委員8名は全部で104点の作品から二日間かけて、4点にまで絞っていったそうである。その4点について、審査委員が議論した結果、パクリスト佐野氏の作品に決定した。

ただし、その時選んだパクリスト佐野氏の作品というのはこちらだった。 ↓

 

『T』の右側下に赤丸というデザインで、ベルギーの劇場のロゴとは似ても似つかないものだったという。



権威のある審査委員たちが二日間かけて議論した結果決定した、パクリスト佐野氏の作品を商標登録しようとして調べたら、他に似たようなデザインがあるとわかったようだ。

そこで、パクリスト佐野氏に伝えたのか、あるいは審査委員がやったのかわからないが、権威ある審査委員たち8名が二日間かけて決定したパクリスト佐野氏の作品を、「修正」したそうである。しかも一度の「修正」では何かまずかったようで、二度に渡って「修正したそうだ。



審査委員代表を務めた日本グラフィックデザイナー協会特別顧問の永井一正氏は
「リエージュ劇場のものとは発想、思想、造形すべてが違う」と、説明し、『・・だから、ワシらが決めたことをこれ以上つべこべ言わないで欲しい・・』とでも言いたげだった。



この御方、現在日本デザインセンター最高顧問、日本グラフィックデザイナー協会理事、日本デザインコミッティ理事長という偉い御方で、御長男は博報堂デザインという会社の社長さんだそうです。

なんと、博報堂デザインという会社は、独立する前にパクリスト佐野氏が勤めていた会社で、佐野氏の奥さんも博報堂時代の同僚。さらに、2020年東京オリンピックエンブレムのデザイン選考の審査員のひとり、長嶋りかこというデザイナーは、博報堂デザイン時代のパクリスト佐野氏の部下であったそうだ。

最近テレビCMなどで、東京五輪のロゴを出すスポンサーがあるが、見てこんなに不愉快になるロゴマークは私の経験ではこれまでに一度しかなかった。

例の日の丸を切り貼りしたようなあの屈辱的な政党ロゴマークである。


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