活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

分かるということ(空について)10

2018年04月15日 | 法理

「道(法)」というものは、分かれば尊いというものではありません。


「分かったことが有(在)る人」は「分かったこと」をいつまでも持っていては

いけないのです。捨てないといけないのです。


「私は修行して道(法)が分かり、道(法)を捨てました」と分かる人は、それも

捨てなければならないのです。


何故ならば、「捨てるということと、分かるということ」は同じ

「心の働き(心意識)」だからです。


私たち衆生は本来「空(くう・から)に成っている」のです。

何時でも何処でも何をしていてもです。


「空(くう・から)」というのは、何も無いということではありません。

「比較するものが無くなった」ということです。


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