活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

分かるということ(空とは)7

2018年04月12日 | 法理

「色受想行識」は「縁」に応じて一瞬で起きるのです。

これが「縁に触れる」ということです。


「自己の正体」を見極めれば、元より「色受想行識」というようなものがある訳ではなく

「只その縁に成る」ということがあるだけなのです。


ですから、「ものの実体」というものは元元あるはずが無いものなのです。

「一切のものは実体の無いもの」なのです。


「縁に因って知らず識らずに集まって来たもの」というものです。

このことを「無自性(むじしょう)」又は、「空(くう)」といっています。


「分かるということは事実の後にあること」です。


「分かるということを認めた(認識した)上」で全てを追い掛けて行かないように

しなければなりません。


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