「色受想行識」は「縁」に応じて一瞬で起きるのです。
これが「縁に触れる」ということです。
「自己の正体」を見極めれば、元より「色受想行識」というようなものがある訳ではなく
「只その縁に成る」ということがあるだけなのです。
ですから、「ものの実体」というものは元元あるはずが無いものなのです。
「一切のものは実体の無いもの」なのです。
「縁に因って知らず識らずに集まって来たもの」というものです。
このことを「無自性(むじしょう)」又は、「空(くう)」といっています。
「分かるということは事実の後にあること」です。
「分かるということを認めた(認識した)上」で全てを追い掛けて行かないように
しなければなりません。