活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

分からないということ 序章1

2018年03月30日 | 法理

私たち衆生は、「修行(禅)というもの」を知識としてよく知っています。


「知った上」で善い悪い、解決したしない等と様々な考えを巡らせて

「修行(坐禅)」を行じています。


人間(にんげん)の知恵で考えたものは、絶えず変化し移り変わっているために

知れば知るほど「分からない」ということが出て来ます。


そうすると更に「分からないもの」があるから「修行(坐禅)」をして

「分かるように成ろう」などと考えて、「修行(坐禅)」を手続きや方法として

用いるためにますます自分と「修行(坐禅)」とが離れてしまい、その結果

いつまでたっても「法、道、禅、修行等」が残ってしまうのです。


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