寂滅2 2018年07月15日 | 仏教 ですから、煩悩の無い心の働きであるので「寂光浄土」なのです。 決して他に「浄土」という土地が有(在)る訳ではないのです。 「仏」が居れば何時何処に居ても「寂光浄土」であり、私たち衆生も 心が円覚に成り果たせれば何時何処で何をしていても「寂光浄土」なのです。 « 寂滅1 | トップ | 見性の意義1 »
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