旧稿ですが、その進捗はより速くなっている。
組織の問題でよく言われる、ことなかれ、ヒラメの増殖だが、今は下剋上に進んだ。「進んだ...」と記したが、部下の反発や反乱、サボタージュは組織内壊の淵に近づいている。この視点は己を下座に置いてこそ見えるものだが、鎮まり、落ち着きはなかなか得られない世相になった。
以下は占術の類ではない
歴史の記述に繰り返し表れる人間の様相である。
アカデミックの分野では分派した諸学科はあるが、人間種の織り成す歴史構成でも、この難問に解決策は乏しい。
ここでは、「人間考学」として、異質な切り口で章をすすめる。
干支の「戌」(いぬ)は草カンムリで茂となる。
長年にわたって積層された残滓(繁茂)によって風通しが悪くなる。すると虫が葉を喰いつくし枝や幹、しまいには根まで弱らせる。
そこで植木職人が必要になる。素人がやたら切ると翌年は花が咲かない。
いまは国家の植栽、剪定をする人物がいない。多くは葉の裏を見て汚れている、枝ぶりが悪いと評論する。
マスコミや議員、はたまた拡大増産された衆愚によって、より混迷を深めている。
黄門や暴れん坊将軍に期待をかけても映像の中だけ。西郷や松陰を学んでも行うものは皆無。
処方箋の書けない病気のようなものだが、まずは「診たて」をすることだ。
一昔前の医者は、状況を聞いて、顔色を見て、目ぢからを見て、触診した。そのご詳しいことは検索研究してその患者にあった処方を考えた。
患者の顔もみずパソコンの画像や数値データーを見ながら処方する。患者も不安だ。
身体を預ける医者もそうだが、国を預かる議員や公務員も甚だしい。
ましてや、その見立てをすると、まず悪相だ。高位高官ほど己を偽り、人を欺く言葉を知っている。慇懃無礼とはこのことだ。
平成30年に入って多くの悪事が露呈した。
まさに小章で再三指摘する「五寒」の現れだ。
その前段では公務に位置するものの「四患」として、偽り、私、放埓、奢り、を上げ、この症状が進むと「五寒」に入ると記した。
懐が豊かになり、飲み食い、異性、利殖に邁進すると身体は習慣病、性は乱れ教育もおぼつかなくなり、生活は享楽に怠惰する。
この三欲が昂進して公が私ごとの我欲となり、社会規範は緩み、人間は自然界に対してもおごり高ぶる。
そして、衰亡から破壊になる。
王陽明は「外の賊は破るに易し 内の賊は破るに難し」と説くが、前ブログでもその「内なる賊」のなやましい退治がある。
内とは国内、家庭内、心の内、外は無責任に言いつのっても、内のことは言いずらい。
「掃除嫌いの買い物好き」というが、買い物好きの家は雑然として落ち着かない。女性なら化粧も派手になり言葉も騒がしくなる。
つまり家がおさまらないから、面倒だからといって外で気勢を上げる、「ねぇ 見て見て」に表れる世俗認知の類だ。
これが国家だと、国内が治まらなくなると外に危機を作り国民を煽って話題を外に向ける。これを五寒では「内外」と分別する。
以下は、前コラムだが、ここにきてより顕著に表れるようになった。しかも干支の「戌」も符合する・
参考に再掲載します。
祷るは 国のいくすえ
2020 11 25
内外(ないがい)、政外(せいがい)、謀弛(ぼうち)、敬重(けいちょう)、女厲(じょらい・れい)、
それらが国家の衰亡、亡国に表れる現象であり、その前段に人々の心に表れる姿や、その原因となる病巣に公務員に表れる「四患」を当ブログで紹介し、その例示も再三記してきた。
後の祭りを語ったり、あまり現象の現れていない状況でその兆候を警告したところで浮俗の耳には入ってこない。
あまり政局のことは当ブログの趣には馴染まないが、時々の人々の姿に表れたり、誘引されたり、「五寒」にいう現象が絡み合うと個々の興味や得意分野、あるいは己にかかる厄災などから発する言葉や行動が騒然とする状態になる。
それぞれの関係を手順を追って解きほぐすと、その現況の行き着くところや、解決が見えてくると。そのように考える筆者のお節介を記してみたい。
「内外」と「謀弛」が顕著に現れたのは米英が推し進めたイラク戦である。
内政問題を覆い隠し外に向かった衝突は大量破壊兵器の保有が前提にあった。しかし無かったことが漏れ、露呈した(謀弛 はかりごと弛む)。
それによって情報部の管理力は疑われ、その推進役であった米英の政策責任者への信頼は失墜し政権交代にすすんだ。それは政策責任者への敬重(信頼と尊敬)の失墜でもあった。
そしてリーマンショックである。これは「四患」にある偽、私、放、奢そのものであった。
゛偽りの数値によって私企業が法規範を逸脱し奢った゛まさに偽私放奢の流れである。
四患は「公」に位置するものに表れる姿だ。
政治家、官吏、企業経営者、知識人教育者、あるいは御上御用の充て職に就く民間人だが、それらが「いつの間にか」人は倣い、社会に浸透し、怨嗟、いたすらな競争、などが昂進する。もともと人間の評価を附属性価値である、地位。名誉。財力、学歴?学校歴、に人格まで映す社会的習性の固定観念ではあるが、されが欲望の飽和点に達すると、「五寒」のような状態になるようだ。
その結果「五寒」に推移するのである。
つまり人の問題なのである。
今回の尖閣問題でもその通りの道筋をなぞっている。また、゛なぞる゛ことが予見できる人物たちによる結果でもあった。
外交上における各種会議、資源問題など必須と思われているが、往々にして会うことに意義がある程度の内容しかない会議、それに拘って内政のスケジュールなりシステム転換を図るような本末転倒な状況がある。
ビデオは漏れ、税官吏の汚職、閣僚の放言などは使命感や責任の弛みであり、公務員の偽りと私事である。もちろん信頼や尊敬などは見る影も無い。
文書の恣意的改竄、隠ぺい、便宜供与、ことなかれ、すべてが露呈する。ここには民主党、自民党も同質である。
国民からの負託権力、特権的待遇,虚飾名誉、それらを手のひらに乗せる腹話術官吏。まさに、それは機能不全(衰亡)だ。
いくら善意から発した政策でも、中間(行政組織の構成員)がそうでは国民にいきわたらない、途中で留まり、貯まることもある。
選挙当選、政権交代の謳いはマニュフェストの偽りと政権党の弛緩によって国民の怨嗟を助長した。弛みの政治主導ではなんのことはない。
奢りは「驕り」でもある。公務員の高待遇と高額給与は、国民状況を判っていながら知らない振りの狡務員や公無員の群れの増殖を放っている。
これを官僚社会主義というのである。これではお隣の中国も嗤えない。
もちろん「上下交々、利を征(獲」る」ように、国民にもその倣いは顕著になっている。
母親は安定職と子供に公務員とせかし、教育界、知識人にまでその食い扶持の用学に陥っている。人生を説き、夢を描く男子のへ風圧は「女厲」にある、女性の荒々しさ、烈しさとなって表れる。それは方向性のさもしい競争でもある。
浮俗の噺だが、浮気調査は時を代えて男子の相談が多くなり、パチンコとサラ金は女性客のほうが多くなっている。それに付随して警察白書には場所まで記されないパチンコ屋のトイレの自殺は女性客が多く、しかも一日何十万も稼ぐときがあり損することもあるパチンコは博打場ではなく、健全な遊技場と称している。この恣意的な法の適用と立法の促しは警察である。
そこに自由と民主と平等や人権が添えられれば、より一層、放埓(やりたい放題)、民主(人は人)が四患を顕著にさせ、家庭や教室でも「敬重」の存在は無く、もちろん政治の要諦である「信」や尊敬など、どう考えたらいいか、尊敬とは何か、と理解の淵にも届かない情緒が漂ってきた。
学生も学歴だけはとっておけばと商業教育のお客となり、当選すればと居眠り議員や、総理まで目力のないウツロナ様相を晒している。みな、こんなはずではなかった、と思いつつも俸給と待遇に魂を滅ぼしている。
以上、成すべきことを避けて、゛言いたいこと゛を垂れてみたが、この症状が治らなければ亡国である。「亡国とは亡国の後に、その亡国を知る」といわれるくらい、自然に忍び寄ってくる。あのローマ、ギリシャ、大英帝国、もそうだった。
また、亡国のたどりはことのほか楽しいものだという。
そして、すべてが、偽、私、放、者をたどって「五寒」に行き着き、打つ手も無く滅んでいくようだ。
身近な世界や政治の携る人間も同じ日本人だ。
気が付く人間と、覚醒転化する人間がいる。
また、ただ騒ぎ立てるものもいる。
「四患」と「五寒」を透かして世の中を観察することをお勧めする。
まずは社会と人との関係を「見る」ことと「観る」そして「診る」ことから適所にあった治療が始まるはずだ。
写真は津軽新報