京都・今宮神社
社格・旧府社
御鎮座・京都市北区紫野今宮町21
社務所・075-491-0082
御祭神
中御座:大己貴命(おおなむちのみこと)
東御座:事代主命(ことしろぬしのみこと)
西御座:奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)
御由緒
当社地には平安建都以前より疫神(えきしん)を祀る社があったといわれる。建都ののち平安京が都市として栄える一方で、人々はうち続く疫病や災厄に悩まされ、これを鎮めるため神泉苑、御霊社、祗園社など各地で盛んに御霊会(ごりょうえ)が営まれた。今宮社の紫野御霊会もその一つである。
すなわち、一条天皇の御代正暦五年(994)六月、当社地の疫神を二基の神輿に齋いこめて船岡山に安置し、神慮を慰め奉って悪疫退散を祈った。これが紫野御霊会であり今宮祭の起源である。そしてこの時、京中の老若男女は挙って神輿に供をし船岡山へ登り、綾傘に風流を施し囃子に合わせて唱い踊り、病魔のよれる人形を難波江に流したといわれる。これが夜須礼(やすらい祭)である。
長保三年(1001)ご霊夢によって疫神は船岡山から再び現在の当社地に奉遷され、新たに設けられた神殿三宇ともども今宮社と名づけられた。これが今宮神社の起源である。
創祀以来朝野の崇敬を集め、とりわけ徳川綱吉公生母桂昌院の崇敬は西陣への愛郷の念とともに厚く、元禄七年(1694)には荒廃していた社殿の造営など大いに務められ、祭礼も往時のような盛況を取り戻したと伝えられる。
明治二十九年本社殿を焼失したが、同三十五年に再建し、その後も西陣をはじめ多くの人々の崇敬を集めている。
玉の輿の語源と云われている、お玉さんがお参りした本社殿、良縁開運・健康長寿の御利益があると参拝者が絶えないそうです。
*御本殿*
今宮の奇石 阿呆賢(あほかしさん)
裏からの画像でしたm(_)m
*織姫社*
御祭神、栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)は高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の御子で皇祖天忍穂耳尊(あめのおしほみのみこと)の御妃であり、天火明命(あめのほあかりのみこと)邇々杵尊(ににぎのみこと)の御母にあたる。別に天栲幡千幡姫命(あめのたくはたちはたひめのみこと)、萬幡豊秋津師比賣命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)とも言う。 神名の「栲」は「たへ」と同じく、梶の木の皮の繊維で織った白色の布を指し、古の布の総称としても用いられる。「幡」はここでは織物を意味し、命の機織の功を称えた美称として使われ「千千」は「縮」に通じて織地の精巧さを言ったものと考えられる。命は織物の巧みさ美しさを賞でられる神として技芸上達を願う人々の崇敬が篤く、七夕伝説の織女に機織をお教えになられたとも言われ、織物の祖神
*八社*
境内西側に、一棟に大国社・蛭子社・八幡社・熱田社・住吉社・香取社・鏡作社・諏訪社の八社を祀った細長い社がある
*若宮社*
賀茂齋院ゆかりのお社・こちらの御祭神は、今宮祭で牛車の巡幸を致します。
*大将軍社*
大将軍八神社ともいい、素盞嗚尊と同一神とも される牛頭天王(ごずてんのう)と八大王子(八神・素盞鳴尊の五男三女)を祀る。昔、平安京の四方に大将軍社を建て祀り、都の鎮護としたが、その一つ大徳寺門前に祀られた社を当社境内に遷し祀った。
同神社の境内には摂末社が数多く祀られていますが、他にも、日吉・月読・宗像・地主稲荷その他書ききれない位の神が祀られ鎮まっていますので、時間を掛けてゆっくり参拝したいお社だと言えます。
又、御朱印も見開きのものや、御朱印帳を拝受された方限定の御朱印もありますが、アップする画像の制限を超えてしまいそうなので、見開き・限定御朱印は、外伝的にこの後アップしたいと思います。m(_)m
*上の画像は、織田稲荷社・織田信長墓跡ゆかりのお社*
*神仏霊場150社、専用御朱印帳で頂いた御朱印*
*参考*
通常神社の参拝は早朝をお勧めしていますが、今宮神社に限っては、昼下がりの参拝もいいのではないかと思っています。・・・東門を出た所には二軒の「あぶり餅」の店がありますが、このあぶり餅・結構いけてます。(500円)思わず御代わりしてしまいました。
早朝からあぶり餅はどうかと思いますが、昼下がりの参拝後に、お茶を楽しみながらのあぶり餅は格別でしたよ(^^♪・・昼下がりのまどろみの中で寛ぐのは、至福の時間になる事間違い無しです。皆さんも如何ですか?・・・m(_)m
今宮神社HPは☟からm(_)m
http://www.imamiyajinja.org/top/index.html
そろそろ京都も佳境に入って参りましたm(_)m
京都・奈良の二十二社(名社)は似たような
御社殿で、ブログを書くのに往生致しました(^_^;)
やはり京都は寺院ですかね(^^♪