浄土真宗 本願寺派 光西寺

 

 

 

 

光西寺は、永禄九年(1566)に石州浜田(島根県浜田市)に、恵誓法師を開基として寺が建立されたのに始まる。浜田藩士の菩提寺として尊崇されていた。
天保七年(1836)、藩が日本海の竹島を根拠地として外国との貿易(当時は禁制)を行って、幕府の政策に違反した。事が露見し、藩は外様大名ならばお家改易になるところ、徳川家の親藩の故をもって、重臣数人が責任をとって切腹し、船頭(今の船長)が処刑されて、奥州棚倉(福島県)に左遷転封されたので、家臣ともども光西寺も移転した。

棚倉在城三十余年、幕末の危機に直面した幕府は、藩主松平周防守康英公の英才と外交的手腕を重視し、老中職に任じ川越城主に転封させ国内国外の重要任務の責任者とした。時に慶応三年、光西寺も家臣とともに移転し南町養寿院門前に仮寺を求めた。
その翌年は明治元年、所謂明治維新となったので、寺領も寺の建立もならず暫く大正の末現在地に小堂を建立したのである。藩についてきた寺ということで士族寺とかお伴寺とよばれている。

 

           

 

山門に彫られている彫刻

 

 

何気に立ち寄った寺院なので、御朱印は拝受しておりません。・・・と、言うか寺院5連荘で嫁さんブーたくれていたので、とっとと退散してきました。

 

 

はっきりした事は判りませんが、こちらの住職は女性の方かも知れません。

何気にすれ違った方が尼さんだったのでね(^_^;)

 

 

 

こんな感じの光西寺でした。・・・って、どんな感じなんだよー(^_^;)(^_^;)(^_^;)

 

 

 

 

それでは、今日も元気に行ってらっしゃいまし(o^-')b