自分で書いた 先日の 『心配』という記事を読み直していて
また言葉が溢れてきたので
その②を書いてみたいと思います。
心配をするということは、とどのつまり
自分やその人を信頼していない
ということなんですよね。
私は(あの人は)大丈夫である
という確固たる信頼があれば
心配などしませんよね。大丈夫なんだもの!
そんなこと思えない~
危ない目に遭ったらどうするの?
困ったことが起こったら?
信頼するって、それは起こらないと信じるっていうことなの??
いいえ違います。
”何があっても”大丈夫だと信頼する
ということです。
やっぱり嫌なことが起こるかもしれないじゃない~
だから心配するんだよ!
と思いますよね?
実際のところ 心配する方が簡単。
信頼する方が何倍も大変かもしれません。
それは、何があろうとも大丈夫と思う裏には
必ず 何があろうとも、それを受け止める という覚悟がいるからですね。
だって怖いもの。
何かあったら困るもの。
覚悟なんてしたくないもの。
信頼する方が何倍も大変かもしれません。
それは、何があろうとも大丈夫と思う裏には
必ず 何があろうとも、それを受け止める という覚悟がいるからですね。
だって怖いもの。
何かあったら困るもの。
覚悟なんてしたくないもの。
わかります!!
私もそうでしたから(自慢ではないですね…)
でもね、万が一そんなことが起こるとするならば
それすらも越えてゆける力があなたに(その人に)備わっているんですよ。
だから起こるんです。
そしてそれは、魂がこちらに来る前に決めてきたことなのかもしれません。
とても極端な言い方をすれば…
心配をして対処をしても、起こる時は起こってしまい
心配をしていなくても、起こらない時は起こらない
のです。
だからね…もう観念して下さい
腹をくくって、
どうなるかわからない自分や誰かの未来を心配する氣持ちを手放しませんか~
グッと楽になって、そのエネルギーを他に使えますよ~
余談になりますが…
私が3人の子育てをしていた時、心配いっぱいしてました~(←遠い目、、、)
口も出し手も出し
申し訳ない事をしたなぁと後悔しきりです。
(ごめんね~)
自分で書いておきながら何ですが
こんな事を子育て時代に知っていればなぁ…
自分が自分でうらめしい
今ならもっともっと大きな愛で包んであげることが出来たのに
と、思いつつも
それはそれで仕方なかったのだとも思っています。
その当時の私には、それが精いっぱいだったから。
それが私の愛の裏返しだったから。
だから今、逆にそうされてうっとうしいなと感じる人は
そこにそうする人の愛を見つけて
許すまでいかなくても、しゃぁないなぁって位は思ってあげてくださいね。
みんな愛だからね。
私も少しは成長したのか
最近は子どもの心配も自分の心配もしなくなりました(笑)
やっとやっとすべてを引き受ける覚悟が出来たんだろうなぁって
思ってます。
なので先日娘には
「あなたのやりたいことをやりたいようにしたらいいよ。
お母さんは何時でも応援しているからね。」
と伝えておきました
伝わったかなぁ~