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鬼畜(きちく)と報道のあり方

2015-02-26 01:48:33 | 中学受験

NHK朝ドラ「マッサン」で、時代は世界第二次大戦の始まり、娘「えま」は母親がスコットランド人であるが故にノートに「鬼畜」と落書きされる場面がありました。 

鬼畜(きちく)とは、もとは仏教用語で、仏教の概念である六道のうち、餓鬼と畜生の二道をあわせた「餓鬼畜生」の略語で、上記の用語が転化を重ねて、人を人とも思わないような残酷な行為、また性的行為を含む非道な行為をする人間を指して言うようになった。かつて大日本帝国は太平洋戦争(大東亜戦争)中に、アメリカとイギリスを敵視し「鬼畜米英」、「鬼畜米帝」と呼び蔑視していた。他、同時代において国際法違反であるにも関わらず、民間人を標的とした対日焦土化作戦(日本本土空襲)を推し進めたアメリカ陸軍航空軍第21爆撃集団司令官カーチス・ルメイは「鬼畜ルメイ」と蔑称で呼ばれた。(ウィキペディアによる)

 

 最近のニュースはこの鬼畜と呼ばれても仕方のないとても悲しい事件が多く、胸が締め付けられる思いです。何故このような痛ましい事件が起きるのでしょうか? 同じ人間でありながら全く理解できません。しかしこれが現実である以上冷静な分析と自分や我が国の立ち位置をしっかり検証しなくてはなりません。

以前にも書きましたが、報道の在り方においての配慮が皆無である中、残忍なニュースが流れるのが日常茶飯事であり感覚が麻痺しているのでは? と疑いたくなります。 もっと人の命の尊さが伝わる内容のニュースを義務付けるような動きはできないのでしょうか。営利目的の利便性や視聴率最優先の発想から卒業し、ニュースを見終った後にほのぼのとした気持ちにさせるような構成内容に改革させた新しい報道の在り方を期待します。最近はニュースを観る気があまりしません。

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