つれづれプラモ製作記

マイペースで作っているプラモデルのブログです

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 勢いで作り始めたファインモールドのF-2A。

 胴体真ん中に太いパイプのようなものが通っているのはエンジンの空気取り入れ口とその先のエンジンが入ってる部分(エンジンそのものは再現されていないが)。

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 胴体裏側の脚庫のところ。何もしなくてもこんな彫刻があるので格好よく仕上がる。これを見ながらハセガワのほうにほんの少し伸ばしランナーでディテールを加えた。

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 言うまでもないけれど、パーツの多いキットは手数が多いし、インスト通りに作らないと上手く接着できなかったりする部分があるので要注意。必ずひっぺがすハメに陥る←陥った人

ヒゲ

 レドームについてる剃り残しのヒゲみたいなやつは虫ピンで再現。これ一度やりたかったんだよね。格好いいよね。いかにも飛行機モデラーって感じ。先日ホーネット作ったときには忘れてた。ああーそれにしてもホーネットはいろいろ心残りの多い出来だ。今すぐやり直したほうがいいよなぁ。やはり48で。

 この写真先日もアップしましたっけ? 同じことを書いたような気がする。最近はなるべく溜めて書いてるようにしてるんだけど、すぐに何を書いたか忘れちゃうからダメだね。やはり何事も溜めるのはよくない。ほどほどに抜いておきましょう。

スケビ

 数日前、SA(スケールアヴィエーション)誌が届いた。今回私のコラム「愛のプラモよれよれ道場」は101回目ということで特別に1ページ頂いて、普段より多くの文字数を書かせてもらった。隔月刊で101回目って、いったい何年書いてきたのか。どれだけのモデラーの恨みを買ったのか。想像するだに恐ろしい。

 嬉しかったのは、市村弘さんとハセガワの勝人社長からの祝辞。人生初サプライズだったかもしれない。実は原稿書きながら、このお二人との出会いその他、思い出すと限りなくなってきて書きそうになったんだけど、それは自分にとっては意味があるけど読者には面白くもないのかなあと。嫌われてナンボ、笑われてナンボのコラムですから、私は自分の歌を歌うことに専念するのがプロだろうと思いとどまった。

 で、一言言わせてください。
 「101回目? 私にとっては通過点に過ぎません」

 一度言ってみたかったこのセリフ。人生は常に通過点。不思議なご縁に導かれて出会った編集者の方々、モデラーの皆様方、そして支えてくれた読者に感謝を捧げたい。

模型屋1

 ミサイル入荷しました、とのメッセージが入ったので買いに行く。久しぶりに晴れ上がった気持ちのいい青空。徒歩8分で模型屋に到着。

 近々リフォームをするのでこの景色もあとわずか。店の外観が変わるらしい。

模型屋3

 模型屋に到着するなり「痛いところまだ全然治らない(先日チヌークの梱包を終えて以来ずっと背中が筋肉痛)」と訴えると「一生治りませんよ」と突き放される。なんでそんな冷たいんかね。おまけにケイドライ(キムワイプの分厚いやつ)買わされるし。くだらない話をしているところに、中学生がやってきた。

 作品はもがみ型四番艦、「みくま」。
 きらら「私は船のことはあまり知らないんですが、呉に行ったときに“かが”を見て・・・」
 中学生君「えっ、いつ行ったんですか(目を輝かせる)」
 きらら「一昨年。夜中だったけど改修工事やってて、カッチョよかった」
 中学生君「いいなぁ」
 きらら「この艦船も後ろの甲板のとこにヘリコプターが格納されてるんだよね?」
 中学生君「はい。SH-60Kですかね」
 きらら「おおーさすがよく知ってる。護衛艦っていうんだよね?これ」
 中学生君「はい、今は駆逐艦とは言えないそうです」

 模型屋よりも話してて手ごたえがある←おい!! 「みくま」は別府で実際に見学したことがあるそうだ。

模型屋2
 
 そこへ、もう一人中学生と高校生が・・・おお!! 若い人たちがたまたま一堂に会してまるで模型クラブ!! 模型という共通言語があれば年齢なんか関係ない。

 模型の好きな子供たちは、みんな礼儀正しくて頭も良さそうなのだ(知識ハンパない) 大人みたいに知ったかぶりしないのが気持ちいい。若い人の吸収力、ストレートなものの見方は素晴らしいです。話していて教わるのはこちらのほうが多い。お世辞じゃないよ。本当にそう思う。そう思えるのは私が年取って少しは知恵がついたからか。年寄りのすごいところはそういうとこだ。わっはっは。

箱

 こっちも作ります。だってさー、どうなってるのか見たいでしょ? しかも私はパーツ見ただけではよくわからないので、作らないと納得できない。ハセガワ1800円ファインモールド4000円(税抜き価格) ちょうど二倍だね。二つのキットの間にはそれだけの時間が流れている。何? 4000円は高いって? 働き盛りのお父さんのおこづかいじゃ買えないって? それはファインモールドじゃなくて政府に文句言って下さい。給料が安すぎるんでしょ? 日本経済がうまくいってことでしょ?  

パーツ

 ファインモールドの中身はこれ。写真にはないけどインストも冊子のようになっていて懇切丁寧で立派だ。ハセガワのキットって72だとインストも小さいのが悲しい。

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 おおーっ。さすが新しいキット。悔しいけど、このキット見てハセガワのキットに手を入れればいいんじゃないの。

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 さすが新しいキット、手順も昔とは違う。コクピット作るのは最初ではないんだよ。しかもなぜか座席は接着しない。なんでかな。邪魔だからか? 

 変なところで「ほほーう」とか感心しながら先に進む。え? 脱出時ひっぱる奴がデカすぎって? いいじゃん、まあそこはさ、伸ばしランナー曲げて黒と黄色のシマシマに塗ったんだけどこれ以上小さくは作れなかったんですよ。存在感あっていいじゃん。

本1

 「歴史としての二十世紀」(高坂正堯著/新潮選書)

 面白い本だった。読みやすい。それもそのはず1990年に行われた一般人向けの講座での講演録らしい。わかりやすく、しかも全く手は抜かない。一流シェフが居酒屋に降臨したかのようだ。デザートは細谷雄一さんの解説。

 細谷さんによると我々はいま、冷戦終結以来の第二の戦後転換点にいるのだという。へーそうなんだ・・・・よくわかんねぇけど・・・数十年後、孫たちに「おばあちゃん達はどうしてあの時代、何もしなかったの」と責められそうな気がする。私たちが祖母や親たちに「なぜ太平洋戦争を回避できなかったのか」と思うように。相変わらず庶民は自分の生活で手一杯でそんな歴史の流れなんか考えることもないまま日々が過ぎていく。

 ともかく、私たちの時代(昭和30年代生まれ)の教科書は近代史~現代にいたる歴史が弱かったと言われる。私もよくわかんないまま大人になった一人。だからこの本はすごく新鮮でもありました。特に第一次大戦からの流れ。わくわくしながら読んだよ。

土台4

 タイトルは「Gun's A Go-Go」この武装チヌーク(ACH-47H)はそう呼ばれていたらしい。
 銘板はアクリル板に透明のシール貼っただけなんだけど、まずそれを買い出しに行って帰ってみると透明じゃないやつを間違って買ってしまい再度お店へ。それからやっと透明のシール(プリンタで印刷できるやつ)を買ってきて印刷してみたらご覧のように乳白色というか、完全な透明じゃないんです。普通の人はどんなの使ってるんだろう。AFVの会に行って教えてもらってこよう。

 土台はバルサ材なので安っぽいけど、柔らかくて穴が開けやすいので私向け。たった四枚使っただけですがホームセンターはこの厚みの奴は品切れでわざわざ注文したんだよ。

人形5

 ICMの人形を配置するとこんな感じ。会話してるように見えるかな。
 改めてチヌークの大きさがわかるね。

人形7

 48のジープはずいぶんネットで探したけれどないみたいなので車輛配置は諦めて、地面に少し草を生やしてみた。

土嚢

 機体の両側にこんなふうにドラム缶に土嚢を載せたものを置いている写真がよくある。もちろん遮蔽物だろうから、こんなに低いと意味ないだろうけど、これは演出だからいいんです。

 ベトナムにおけるチヌークの写真では、鉄板みたいのを敷いたところにチヌークを置いてある(大戦中も米軍はあれ使ってたよね確か)、重量があるから沈まないためだろうね。

 よく見るとドラム缶、二種類あるのがおわかりでしょうか。ICM製、土嚢はエポキシパテ。写真で見るとひとつのドラム缶に二個くらい載ってるんだよね、そこから大きさを決めた。陣地に山のように土嚢を積んでる写真とかもあるね。作るのは面倒だけど土嚢が「いかにも実戦」な雰囲気あっていいよね。

土嚢2

 裏側から見た景色。はっきり言って苦肉の策ですよ。本来車輛置いて誤魔化したかったから。でもそれを言うなら弾薬をいれた木箱とか荷物とかいろいろ置かないといけなくなるしね。そもそもチヌークの機関銃に弾帯がついてないのがアカンしね。

梱包1

 何はともあれ銘板も作ったし次は梱包だ。いちばん苦手で大嫌いな作業なので今日中にやってしまうぞと心に誓って作業を進める。

 まずはどう入れるか。電車で行くことを考えると本当は縦長にしたかったけどどうすりゃいいか私の頭ではわからなかったので、普通に横置き。ちょうど良い大きさの段ボール箱なんかないからさ、少し大きめのやつを切って小さくする。カッターを使用する作業は手をケガしやすいので注意。

 なるべくギリギリに入れて箱を小さくする。本当のこと言うとチヌークの脚は浮かせるほうがよかったと思うけど。土台の下がスカスカなのがスペース的にアホだし。ただ、ローターブレードがあるからそれをどう入れるか。ヘリのブレードは折り畳みできるように細工しとくといいのはわかってる。これはデカイので細工も難しいけど72なら折れるようにしたことがあるよ。

梱包2

 上の段にブレードを格納。なんとか収まってホッとした。銘板作りと合わせて午後いっぱいかかった。

 で、夜お風呂に入ってたら背中が筋肉痛・・・ほんとこの程度ですぐにどっか痛くなるのが悲しい。でも私のお知り合いは集中してリベット打ってて逆流性食道炎になったというから、気を付けたほうがいい。模型作ってると時間を忘れて同じ姿勢で何時間も作業してしまう危険性がある。いやほんとエコノミークラス症候群になったら恥ずかしいよ。これからの季節は水分補給も大事。部屋がそんなに暑くなくても熱中症になる危険はある。

 まぁピンバイスで一個穴開けるたびにコーヒー飲んでるのも、作業が進まなくてあれですけどね。
 それにしても、模型作りてぇ!!(笑←つける薬がない

人形

 F-2の話の続きを書きたいんだけどこっちも書かないといけないし、あっちこっち話が飛んですみません。こちらは四月の中四国AFVの会という締め切りがあるので結構シビア。製作もさることながら、梱包が苦手だもんだから。早めにやっとかないと。

 人形はICMのヘリコプタークルー。1/48。近所の模型屋さんで注文したら入手できた。

人形2

 下地にタミヤアクリルの白を吹いて、ファレホカラーで塗装。まず顔を塗る。なんで顔から塗らないといけないのかよくわからんけど、みんな顔から塗装するよね。なんでだろう。

 人形は五人なんだけど、すごくいい感じの人形なので全部使うのはもったいない。今回は二体だけ使うことにした。ベトナム戦争のヘリ、まだ作る気なのよね。

人形3

 ファレホは基本的に乾くとマットなんだけど、なぜかツヤが出ることもある。なんでやろ。下地にツヤがありすぎか。
 色はよくわからないので、箱絵を参考にした。見たらわかると思うけど、左側の人の左手は少し角度を変えてあるから不自然になってる。私の技術じゃこの程度。でもまぁ適当に塗るだけで結構いい感じになるでしょ? 人形の造形がいいんだろうね、すごく楽でした。左側の人はパイロットもしくはコパイ、右側の人は本部から来た少し偉い人。文句だけいろいろ言う人。

人形4

 おおよそ完成。これ48ですからね。大目に見てね。

小物2

 情景を甘く考えてたよ、いざ土嚢作るとなるとどれくらいの大きさか? 形は? 何色か? まったくわからん。模型屋に土嚢の話をしたら「昔は日本手ぬぐいで土嚢を作っていた、ホラおはぎを作るときみたいに・・・」という絶妙な説明だった(おはぎのアンコを作るときに手ぬぐいで絞るんですよ)。私の住んでいるあたりでは水害が多く、日ごろから土嚢を作っている人が多い。しかし模型屋の話は何の助けにもならない。仕方ないのでエポキシパテを丸めてテキトーに作っていく。実はベトナム戦争の写真見て再現しようとしている。なかなか同じ大きさにならない。でもそれがかえってリアルかも。

小物3

 ベトナム戦争の写真見ると案外車輛とヘリが絡んでる写真ってないんだよね。絡んでいるとしたら、何か吊り下げているか。
 仕方ないのでせめてドラム缶を作る。これがまた、何色かわからん。継ぎ目は消すのか? 必死に消していたが写真みたら継ぎ目があるやんか!! 適当に塗装する。なんとなくダークグリーン的な? ドラム缶のイメージってこれよね。あとはウェザリングしておしまい。

土台3

 土台にチヌークを載せてみた。手前に草を配置したんだけど、まだ少ないかな。もう少し生やすことにしようか。穴を開けて、ダイソーで買ってきた台所用品のブラシみたいなやつから切り取った毛を植えていくだけなんだけど、地味に面倒くさい。こういうの見るとやるとで大違いってやつ。なんでもそうだけど、他人の作品見ると「けっ何これ、チャチな工作」と内心バカにしちゃうんだけど、いざ自分でやってみると「うひゃーこれ大変っスね~自分がバカでした~」という感じになる。

 AFVモデラーの情景作品を漫然と見ていないで、草の植え方をもっと聞いておけばよかった。松江に行って教えてもらうとしよう。自分でやってみて壁にぶつかって、初めて本気で悩むんだよね人間って←お前だけやろ

 というわけで、おおよそ完成したので梱包しなくちゃ。しかしこの梱包がいちばん難しく厄介なんだよね。やれやれ。遠くまで行くときは、特にバッチリ梱包する必要がある(基本的に鉄道移動なので)。

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