さっき、Mステで『X』の「紅」を聴いて、号泣してしまいました。

私は『X』のファンではないので、以下は超私見です。

ファンの方、気を悪くされたらごめんなさい。

 

私が初めて『X』の曲をまともに聴いたのは、高校の時だった。

友達で『X』大ファンの子がいて、その子に勧められたのだ。

その子は、中学の時に体育の先生に暴行されたとかで、

男性不信で男嫌いだった。

その彼女が、『X』にのめりこんでいるという。

中学の時、パンク、ハード・ロック、ヘヴィメタは全て「うるさい」としか

思わなかった私は、不思議でならなくて、その子にテープを借りた。

 

聴いて、衝撃を受けた。

「なんて美しい曲なのか」

「激しいけど、壊れるギリギリの硝子の薔薇みたいだ」

と思った。

 

それから数年。

HIDEが亡くなったのは、私が大学の時だった。

あまり知らなかったくせに、その死には衝撃を受けた。

ちょうど、大好きだった先輩が、同じような死に方をしたせいかも

しれない。

HIDEも、私にとっては、美し過ぎるが故に壊れてしまった、

『硝子の薔薇』に見えた。

 

それから、TAIJIも亡くなった。

詳しい経過は何も知らないけど、今日の演奏を見ていて、

彼らも、本当に苦しい時を乗り越えてきたんだなぁと思えて、

涙があふれて仕方なかった。

 

「どんぞこを経験した者にしか、本当の優しさはわからない」

ここで、突然灰谷健次郎の言葉を引用するのは場違いかも

しれないが、本当に、「死」ギリギリのどん底を味わったものにしか

表現できない、「優しさ」とか「美しさ」とかいうものは、確かにあるように

思う。

 

高校の時の彼女が経験した地獄、

私が今まで経験してきた地獄、

それらと相通じるものが、彼らの歌にはあるのかもしれない。

 

「死」と隣り合わせで在りながら、ギリギリ「生」にしがみつく。

そんな必死さ。

そんなものが、今の若い人たちの歌に感じないような気がするのは、

私が歳を取ったせいだろうか。

盛りを過ぎたはずのオッサンやオバサンたちの歌や演奏に

涙が出てしまうのは、自分もオバサンになったからだろうか。

泣きながら美空ひばりを歌っていた母に自分がオーバーラップする。

やっぱり、自分が青春時代にハマった曲というのは、幾つになっても

その頃の心情が湧き上がってきて、涙腺を刺激するのかもしれない。

青春時代の傷みは、まだ私の心に残って消えない。

きっと一生、心のどこかで消えないまま疼くんだろう。

そしてまた、じーさんばーさんになった同時代のアーティストの曲を

聴いて、涙するんだろうな。

自分はもうとっくに、『硝子の薔薇』ではなくなってしまった切なさを

抱えながら。