昨日のGoingで平野くんとゆづの会話のこと取り上げてたね。
何を話してたのかなぁって気になってたよね。
2人の共通点
ゆづの方から話しかけたと。
プラベの話ではなくて競技のこと←やっぱり
回転、回転って色々聞かれたと←やっぱり
フィギュアも今以上のものを求められていくと思う。無理していくような世界になっていくと思うと。
チャレンジする気持ちは似てる
種目は違えどトップアスリートだし、話すこと考え方、少しゆづと似てるとこもあるなぁって思う
そして平野くん、なんと日本人初、XgameとUSオープンの2冠達成!
これからも、人が時間かけないと出来ないことを自分は拘ってスタイルとして見てもらいたい。
そういう足跡のない場所に自分は歩いて行きたい
↑もうもうもう!素晴らしい!この言葉!
ソチの時もよーーーく覚えてるけど大人になったなぁ(それでもまだ19さいなんだけどね)
上田さんもインタビューでしきりに大人になりましたねぇって言ってたけど、平野くんは
「いい成長が出来た4年間だったのかなと思う」と←再び!すんばらしい!!
今回の平昌オリンピックで小平奈緒さんや平野くんの人間性や競技への取り組み方、想いなどに触れ、とてもとても感動しました
(あぁでもここ数日は世界Jr追いかけるのが精一杯でパラリンピック全然見れてない)
昨日のエブリ。
EXで演じたノッテストラータは「満点の星」という意味。被災地への想いを込めて滑ったと。
震災のあの日、仙台は広範囲で停電になって真っ暗に。その夜の空は満天の星空だったと。
この日の夜の星空がとてもとても綺麗だったということは、仙台の他の友達からも聞きました。
新聞やテレビの中の声とは違って
友達から聞く震災の時の話は想像を超えるものでした。
想像するだけで苦しいものが、ある日突然、実際に現実に自分の身に降り掛かってくるなんて。
多くの人の人生がこんなにも変わってしまうなんて。
この時の放送、覚えてる。切なかったな、背中。
ゆづにソチのパリ散で堕ちて
ニュースもワイドショーも、その時把握出来た全てのものを録画し情報も集めて食い入るように見てたけど
プレカンでゆづが口にした「無力感」
この時の私はまだゆづが被災したことを知らなかったので
なんでこんなに嬉しそうじゃないの?無力感ってなに?って思ってました。
その後、光の速さで情報を集めて把握
胸が締め付けられるようだった。
だからどうしても伝えたかった。
「無力なんてことない!被災地の人は絶対にみんな力を元気を貰ってると思う。そして被災地だけじゃなく世界中の人が心奪われ感動したと思うよ」って伝えたかった。
伝えたくてもなす術のないことがもどかして。
でも少しずつ、ゆづも実感してきてたみたいで
テレビのお仕事とはいえ被災地を訪問するのは辛かったんじゃないかな。
でもそれ以上に元気を貰ったかな。
(ソチの後)自分が金メダルを持って被災地の方々に挨拶をしときに(↑この時のこととかね)
たくさんの笑顔が見えました。
今度はちょっと自信を持ってみなさんにまた笑顔になって貰えたら
こんな風に思えるまで、どれだけ苦しんできたか…
被災した時のゆづはまだ16歳。
ただのスケーターなのにと悩んでた時もあった。
仙台のスケーターとかじゃなくて
羽生結弦としてのスケーター
なんでこんなに重いものを背負わないといけないんだろう
背負いたくて背負ってる訳ではない。
震災という人間の手では抗えない大きなものに無理やり背負わされた大き過ぎるもの。
私は何年経ってもこの時の風景が忘れられません。
キャプってないけど、泣いてたね。
この数年後、石巻を訪れた時も笑顔の下で「辛い、辛い」と言って泣いてた。
ファンもみな、大切な人が苦しんで泣いてる姿が辛かったと思う。
そして震災から2年のこの時、羽生くんはまだ18歳。
自分が想いを受けてる立場なんだと思うように。
被災地の方々からの応援
必死に受け止めようと。
想いが大き過ぎて1人では受け止めきれない。
震災は羽生くんを急速に大人に成長させていったのだなと思う(ノД`)
乗り越えてる、と言えるまでの苦悩…
2011年に定義山に御参りした時(前に読者さんから、いつの映像なのか知りたいとあったので載せられて良かったです)
羽生くんは後にこのおじさんの言葉に救われたと言ってたね。
自分のために頑張ればいいからと。
心が軽くなったと言ってたね。
ソチのプレカンで言ってた無力感も、次第に多くの人に触れ喜んでる姿や言葉に触れ、少しづつ伝わったかな。
金メダルを取れて
いろんな人を幸せにできる
幸せにできること自体が僕は幸せだと
チャンピオンらしい人間にこれからなりたい
チャンピオンらしい強いスケーターに
なれてるよ!ゆづ!
ソチの時も「堂々としてていいんだよ!」って思ってたけど平昌では、ゆづも自分の思いにリベンジできて良かったなぁって。
しみじみ思うよ。
ソチの時からブレない。
これをきっかけに僕を知って頂いて
僕を知って頂くと共に
震災からの復興へのきっかけになっていただければ
自分が滑ることによって
そういうものを感じていただければ
ゆづ、私はあなたの言葉通り、ソチであなたを知って復興支援を強く心に留めるようになった。
あなたの想いは伝わって連鎖して拡がって行ってるよ。
昨日、仙台のゆづ友さんのkちゃんが
今日は何をしても何を見ても何を聞いても涙が出る日だと。
ゆづの存在は被災地にとってとても大きく、ゆづファンもゆづがいる事で被災地を身近に感じて思い出してくれる事がとても嬉しいと言ってました。
ゆづにとっては辛いかもしれないその役割だけど間違いなくゆづの存在は被災地の光になっている。
そんなゆづを支えたいと思ってると(ノД`)
Kちゃんからの、そんな暖かいLINEを見て電車の中で泣けて泣けて、溢れるものを止められなかった(ノД`)
実は私、一昨日髪の毛を切りに美容院に行ったんだけど…
美容院なんて半年に1回しか行かないけど、昔から行ってるとこで私が羽生くんファンだと言うことも知ってて。
お喋りしてる中でうっかり震災の話をしてしまって。
話しながら、その美容師さんは震災の当時、東北の被災されたあたりに住んでいた御両親と連絡が取れないと言っていたのを思い出して。
結局どうなったのか、聞きにくくて聞けないでいたけど、どうして迂闊に震災のことを話題にしてしまったのか。話しながら心のなかで「私のバカバカ!バカバカ!」って己のアホさ加減を呪ってた。
それをKちゃんに言ったら
「大丈夫だよ!
傷は残ってるけど、形は変わってるから」
って言ってくれて(ノД`)
もう7年なのか、まだ7年なのかって言ったら
「どっちでもないのかなぁ。
その時その時で、自分の心が痛まない方を使うんじゃないかな?」って(ノД`)
凄いなぁ。Kちゃんの考えかた、言葉や想いはいつも私の心に深く暖かく刺さります。
今日は何よりも家族で一緒にいたい日だと言ってたkちゃん。
ゆづも家族と一緒に過ごせていたかな。
あの日、満天の星を見上げた。
7年経った今、被災された方々の目に優しく映っていますように。
そして私が今日、こういう記事を書いたのは、3/11を過ぎてまた日常に埋没していかないように。
大切なのは忘れないこと。
被災された方々は思い出したくないことかもしれない。
でも被災してない私たちは忘れてはいけない。
改めて羽生くんに感謝すると共に支援を続けていきたいと思います。
最後になってしまったけど昨日のエブリィで流れた羽生くんのメッセージを。
あの真っ暗な夜に見えた星たちは
すごく明るくてとても綺麗でした
震災当時 何をがんばっていいかもわからない状況で
たくさんの方々に支えられたことをずっと忘れません
〔被災地へ今、伝えたいこと〕
皆さんががんばっている姿を直接見られたことが私の前に進む力になっています
演技している時も そのために練習を積む時も
その力がなくてはここまで来れなかったと思います
私の演技を通して皆さんの頑張りや強い力が皆さんにまた戻ってそれが力になれているのならこんなに嬉しいことはないと思っています
長い記事をここまで読んでくれてありがとう。