幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

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仏陀の生きざま 「自分のプライドよりも、より良き法(教え)を。」

2016-10-25 19:40:43 | 大川隆法という偉大な光

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初期の幸福の科学は、再誕の仏陀の教団でありながら、仏教色が弱かった時期がありました。

そして2年ほど、急速に仏教色が強まりましたが、しかし教えに仏教用語が増え、私は、ヒーヒー言っておりましたが(笑)、苦労したのは慣れぬ仏教用語の方で、今思えば、教えの内容自体に苦労したわけではありませんでした。

つまり大川隆法総裁は、それまで仏教用語を多用せず、日常言語だけで、それまでの仏教を網羅できる内容をお話になっていたわけなのです。

初期は「仏教用語を会員信者が余り知らない。」という批判がありましたが、大川総裁が2年足らずの間に、一気に仏教を体系化したのは事実です。それ以降世間から、あっという間にオウム擁護論が完全に姿を消しました。

しかしそれで、それまでの教えで、不都合が起こったのです。それまで幸福の科学指導霊と言われていた、高橋信二氏のGLA時代の教えが、仏教とは言えないことが露呈されてしまったのですね。

それまで大川総裁は、高橋信二霊の霊言を、高橋霊が言うがままに霊降ろしし、書籍として発表していました。

ユーモア溢れる高橋霊には、ある一定の会内ファンがいたことは事実です。

しかし高橋霊が語る仏教や、氏が言うところの、2大9次元大霊論などが、幸福の科学の仏教色が強まることで、真実とは言えないレベルであることが、浮き彫りになってしまったのですね。

そこで幸福の科学が宗教法人を所得した2年後の1995年、大川隆法総裁は、これまでの幸福の科学の教えを一新しました。

それまでどちらかと言うと、10人いる9次元霊の集団指導体制というか、2大大霊による地球の共同統治体制的教えのような幸福の科学でしたが、エル・カンターレが至高神というスタイルに、教えの根本を変えました。

しかし同時に、この教えの大イノベーションは、会内に激震をもたらしたと言えます。

「真理というものは不変であり、教えが変わるなんて信じられない・・・。」という観念の会員さんは、かなり高い比率でいたからです。

それはある意味で、宗教的には常識とも言える判断です。

私もビックリしましたから。(笑)

しかしこれで、仏陀が神々の教師、つまり、仏陀こそ至高神ということになり、仏教的には本来のスタイルになったと言えます。

私は、初期の幸福の科学大川隆法総裁は、世界宗教の融和という遺伝子つくりのために、敢えて、本来の仏教的スタイルを取っていなかったと思うのです。

幸福の科学は、世界宗教の融和と統合を目指しておりますが、徹頭徹尾仏教的遺伝子だけならば、仏教の復興だけで使命を終えてしまう可能性があると思うのです。

ですから大川隆法総裁は、方便として、巨大大霊の集団的指導体制の雰囲気を、初期の教団に持たせていたのではないかと私は考えています。

なぜ私がそう思うかと言えば、その当時幸福の科学内外において、特に問題となる諸問題が何もなかったからです。

講談社の捏造記事に関する戦いは、そのとき既に、我々には勝ちが見えておりました。

会内にも、何らかの小さなゴタゴタはあったでしょうが、会を揺さぶるような出来事はなかったのです。

当時の幸福の科学は、宗教法人としての活動や、仏教的スタイルの教えにも慣れ、ある意味で安定期でした。

つまり、アンチさんらが言うような、「都合が悪くなって、教えを変えた。」という動機がないのです。

つまり客観的には、教えを変える必要性そのものが、当時の幸福の科学なかったのです。

むしろ、教えを変えることによる、会内の混乱というリスクの方が、はるかに大きかった時期なのですね。

 

普通ですと宗教は、教えなんて変わりません。教えを変えず、一筋にやっていた方が、遥かに説得力があるからです。

宗教家が、それまで言ってきた教義を変えるなどというのは、不信を招くリスクの方が圧倒的に高い、きわめて危険な行為なのです。

しかし大川隆法総裁は、時折、教えの修正をします。しかもそれらを大川総裁は、実にあっさりと行います。(笑)

教えを書籍として発表した後でも、この御仁は平気で行うのです。(爆笑)

ソクラテスの転生したのが、アメリカの啓蒙思想家エマーソンというのが初期の教えでしたが、その後の霊査によって、現代に生まれていた自由主義的経済学者ハイエクが、ソクラテスの生まれ変わりだと、教えが変わりました。

こういう姿勢というのは、宗教家ではあまり例を見ませんが、大川総裁は平気で過去の教えを修正します。(笑)

否、唯一歴史上に、こういった法の変転を、度々行った宗教家がいます。

それは、ゴーダマ・シッタールタ=仏陀釈尊です。

釈尊晩年の法華経などの逸話が有名ですね。

つまり大川隆法総裁は釈尊以来の、真実に忠実でありたいと願う宗教家だと思うのです。

大川総裁は、真実というものに忠実で、新事実が過去の自身の教えと矛盾するならば、より事実に近い教えを残し、後世のために発表するという姿勢を、ずっと貫いているのです。

 

それは過去に、自身が発表を教えと矛盾する発表を社会に公表し、歴史に残す行為ですから、宗教家としては命取りになる危険をはらんだものです。

しかし大川総裁は、そういうことには無頓着なのです。宗教家としては、とてもリスキーな生き方です。(笑)

つまり大川総裁は、社会からどう思われるかより、後世への遺品としての法というものの重要性と、それを残す者としての責任を重視する御仁だということです。

これが仏陀でなくて、なんなのでしょうか?

説法で三法印(諸行無常・諸法無我・涅槃寂静)を説くだけではない、この法への、強すぎるとも言える責任感こそ、仏陀の証明だと思うのです。

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