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奇跡のマイクロ4駆、スズキジムニーだけがたどり着ける世界と、「奇跡の法』の必要性。

2018-07-20 00:34:07 | 自動車から見える日本と世界

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久々に自動車関連記事です。

実は今月は、トヨタのクラウンやカローラ、スバルのフォレスターなど、ビッグモデルチェンジがたくさんあって、自動車好きにはたまらん楽しい一時です。

その中で今年7月に、なんと20年ぶりにモデルチェンジした、スズキジムニー(4代目)に着目してみたいと思います。

代表管理人である私が、小さい車好きということもありますけれども、スズキジムニーという商品には、何か宗教布教ブログらしい学びがあるように思えるからです。

スズキジムニーという商品、「知っている人は知っているが、知らない人は全く知らない」という、極めて個性的なモデルですが、初代ジムニーが登場したのは1970年で、今回が4代目ですので、この50年近い期間に、たった3回しかモデルチェンジをしていないという、超ロングセラーでもあります。

自動車メーカー側から言えば、モデルチェンジをしなくて良いなら、できればしたくはないものです。

モデルチェンジのたびに、当然開発費がかかりますので。

ほぼ毎日ブログ記事を更新している私ですが、「更新せずにお客さんが来て下さるなら、できれば更新せずに休みたい」という、怠け者の心が出ないではありませんので(爆笑)、看護師ではありますが、自動車メーカーの気持ちはよくわかります。(大爆笑)

そう、ジムニーがこれまで、あまりモデルチェンジをしなかったのは、モデルチェンジしなくても、ある一定は売れ続けているからなんですね。

それは同時に、モデルチェンジしたからといっても、バカ売れもしないという意味でもありますが。

ジムニーは初代から、最新版の4代目まで、自動車としての基本構造はほとんど変わっていません。

軽自動車のサイズ枠で、一般的な自動車のようなモノコック構造ではなく、頑丈なラダーフレームという梯子型の骨格を持ち、縦置きエンジンで、ジープと同じ方法論の、古典的な、しかし本格的な4輪駆動システムを持ちます。

ジムニーというネーミングも、「ジープのミニ」から来ているらしいです。

このように、なりは小さいけれども、構造は立派な4輪駆動クロスカントリー車なのが、初代から一貫しているジムニーの個性です。

この個性が、スズキジムニーにとって、大きな大きな武器なのです。

日本には、いや世界には、ジムニーでなければ、たどり着けない場所があるからです。

そう、小さな山道や、道なき道、秘境と呼ばれる場所です。

このような悪条件の道路環境の場合、いくら馬力があっても、車体が大きければ、道が狭かったりしただけで入ることができない道が、世界にはいくらでもあるからです。

日本でも、医師が往診するのに、ジムニーでなければいけない通えない地域というのがあって、そういった点で、ジムニーは、多くの人を救ってきた商品でもあるわけですね。

ということで、ジムニーには、一定のニーズ(需要)が、世界には常にあるわけです。

しかも、そのニーズを満たしている商品は、今のところ、いや過去にも、そして恐らく今後も、世界にスズキジムニーしか存在しないのです。

さて、人間の選択には、「4つの判断基準がある」と私は考えています。

第1に「必要性」、2番目は「趣味性」、第3に「経済性」、最後に「安全性」です。

例えるならば、「お腹が空いたから、何かを食べなければいけない」というのが「必要性」ですね。「カレーライスが食べたい」というのが「趣味性」です。

また「今使えるお金が300円しかない」というのが「経済性」、「50円のレトルトカレーがあったけど、中〇製だったので、ボンカレーにしよう」というのが「安全性」で、それで今日のおかずが決まるわけです。

人間はこの、作業を常時行っているのですが、「必要性」はすべてを超えるわけです。

ジムニーのように、「険しい山道を超えて、目的地にたどり着き、用事を済ませて無事帰還する。」という、生きていく上で、かなり重要度の高い領域での「必要性」がある場合、その他の「趣味性」「経済性」「安全性」は後回しになるわけですね。

何が言いたいかと申しますと、「現代の世界には、現実に、切実に、困っていることがあるということ」です。

それは、宗教の紛争、そして、共産主義国家という、無神教を国教としている国の横暴です。

宗教は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の一神教を中心に、対立と争いを繰り広げ、憎しみの拡大再生産が止まりません。

仏教や日本神道、インドのヒンドゥー教など多神教もありますが、科学的価値観の前に、社会の中で精神的に指導的立場から追いやられているのが現状でしょう。

そして、どの宗教的な立場においても、共産主義的脅し恫喝の論理に、理論的に反論できていないのも事実です。

そのような中、「神の正義」を知的論理性を持ちつつ、なおかつ世界宗教の成り立ちを、現代語で分かりやすく説ける人物こそ、「救世主」なのです。

そうであってこそ、人々は、過去のいきさつを超え、「神の願い」という共通の理念をもとに、未来に向けて、本当の意味で手を取り合う、精神的土台ができるからです。

そこに、世界の人類の中で、唯一たどり着いているのが、大川隆法幸福の科学グループ総裁なのです。

大川隆法幸福の科学グループ総裁は、2400冊以上の書籍、そして2700回以上の講演をを通して、「神とは何か」「人間とは何か」「人生の目的と使命について」「真実の歴史観」等々、世界に問い続けています。

ということで本日は、経典『奇跡の法』(幸福の科学出版)より、一部抜粋をご紹介いたします。

また、仏陀とは、「神々の師」でもあります。

つまり、神々の先生が仏陀です。

『奇跡の法』は、「神々の師」の視点を垣間見れる、まさに奇跡の法なのです。

        (ばく)

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宗教界にもいちおう覇権競争があり、「どの教えが多くの人に支持されるか。どの教えが多くの人を幸福にするか」ということについて、それぞれの神々には、「自分たちが最高だ」とうぬぼれているところがあります。そして、実際にどうなのかということは、実験してみないと分からないのです。

しかも、その実験は、何百年も行わないと、なかなか結果が出ません。何百年もやってみて、その宗教を信じる人たちが、どのような運命をたどるかを見れば、だいたい分かってくるのですが、一世代ぐらいでは、なかなか分からないのです。

たとえば、ユダヤの神は、「われこそは最高神だ」と言って、ユダヤ人に契約を結ばせましたが、ここ二千年間のユダヤ人の放浪の歴史を見れば、ユダヤの神がいちばん偉い神でないことは明らかです。いちばん偉い神がついている民族が、国を持てずに二千年も放浪するわけはないのです。

ユダヤの神は間違いなく民族神であり、ナンバーワンの神ではありません。ほかに、もっと偉い神や強い神、メジャーな神がいたことは明らかです。それは歴史を見れば分かります。

ある国を治めている神の意識と、その国民、民族のトータルの能力や意識とは非常に関係しており、国民のレベルが上がると神の格も上がるのですが、国が目茶苦茶になると神の格も下がるのです。

最悪なのは、治めていた国が戦争等によって滅びた場合です。

そのときには、その霊団そのものがなくなってしまうことがあります。国がないと、治めることも地上に生まれることもできません。そのため、そこで霊団をつくっていた神々は、しばらくすると、ほかの国に生まれはじめます。また新たな転生輪廻をして、違う道を選ばなければならないのです。

こういうことは、過去、何度もありました。国が滅びると、そこを治めていた神々は、ほかの所に肉体を持って転生し、別のことを始めます。そして、別の霊系団ができてくるのです。

かつては交通の便が悪かったので、一つの国、一つの民族のなかでの転生輪廻が数多く行われました。そのため、宗教と民族とがかかわって、その国の霊界、一つの霊界が非常にできやすく、オリンポスの山のような霊界が各地にいろいろあったのです。

しかし、最近は交通の便がよく、国際的な行き来も多いため、この世だけでなく、あの世でも相互交流が始まっていて、「神々の世界で、どういう新たな価値秩序をつくるべきか」という大きな運動が起きています。
『奇跡の法』(幸福の科学出版)P104~107

 

【特報】映画『宇宙の法ー黎明編ー』

 

 


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