幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
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幸福へのヒント「教養の力で短気は克服できる」

2020-06-26 23:42:37 | 教典紹介

 

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本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しいただき、心より感謝申し上げます。

さて、私は特に悟ってはおりませんが(苦笑)、現代日本の宗教への常識を、ブログ記事でぶち破ってみたいと、常々願っております。(笑)

また私は常日頃より、もしも私に神格があるとするならば、まぁあるわけはないですが(爆笑)、万が一あるとするならば、「常識の破壊神ではないか?」と思っております。

ということで今日は、現代日本にはびこる、「宗教をやる人は、頭の悪い人だ。」という常識、この常識の破壊に、チャレンジに挑戦してみたいと思うのですね。

さて、この常識には、幸福の科学の信者さんのみならず、多くの信仰者の方々が、本当に困っているのではないでしょうか?

しかし、そのような常識を持っている方は、果たしてご存知なのでしょうか?
世界では、宗教を信じていない人は、即「危険人物」というレッテルが貼られるという事実を。

たとえば、外交官として、海外に初めて赴任する役人には、事前に必ず、レクチャーされることがあるそうなのですね。

それは、『もしも「何の宗教を信じていますか?」と、外国人に聞かれても、「私は何も信じていません。」とは、絶対に答えてはいけない。『もしお前が、本当に何も信じていなくても、とりあえずは、「仏教徒です。」と答えなさい。』というものです。

ともうしますのも、中国や北朝鮮以外の外国では、無神論者=共産主義者=無政府主義者=危険人物という認定がされ、それが発覚して以降は、公的なこと意外、誰も話しかけて来てくれないからだそうです。

そしてあの、アメリカ大統領選挙でも、自身の信仰を表明しない候補者は、たとえ出馬したとしても、絶対に当選の見込みはありません。

選挙民であるアメリカ人は、ほぼ全て信仰者であり、「不信仰者は何をするかわからない。」という理由で、全く信用されないからです。

しかし日本では、信仰=非科学的というイメージが、非信仰勢力の人には、どうしてもあるようですが、科学の歴史を振り返っても、近代科学の父ニュートンも、相対性理論のアインシュタイン博士も、ノーベル賞の湯川博士も、神の存在を心から信じていました。

彼ら超大物科学者は皆、熱心な信仰者なんです。
少なくとも、ニュートンやアインシュタイン、湯川秀樹以上の科学者になってから、「信仰者は頭が悪い。」と、言って欲しいものです。(笑)

また仏陀、イエス・キリスト、孔子、ソクラテスら世界4大聖人は、もちろん、神仏の存在を信じていましたし、日本でも聖徳太子など、大人物ほど信仰心が強いです。 

さあ神様仏様を信じない方は、仏陀やイエス、孔子やソクラテス、聖徳太子以上の人物でいらっしゃいますでしょうか?

決してそうではないはずですよね。

信仰者と非信仰者を比較して、どちらが頭が良いか・・・?
現実には、「信仰心が低いほど偏差値が高い」と言われることも多いそうです。

事実、ペーパーテストだけの比較だと、そういう結果が現れるかも知れません。

しかしそれは、文字という空間に閉じ込められた、単なる、2次元的知性でしかありません。

こと、「物事の本質を掴む」という一点に関しては、信仰者に、非信仰者は絶対に敵わないと私は思います。

なぜなら、我らが生きる大宇宙を始め、全てを創り、そして、統べていらっしゃるのは、神仏であるからです。

信仰者は、本質的なその事実を知っているのです。

ニュートンら、偉大な科学者たちは、それを掴んでいらっしゃったからこそ、偉大な発見をしたのではないでしょうか?

神仏を信じない知識など、神仏の目からすれば、実際はとてもとても、幼稚なものではないでしょうか?

小学生レベルに達してはおらず、ひょっとしたら、お幼稚園の、お砂場遊び程度の知性なのではないでしょうかね? (笑)

さてあんまり「ひとりごと」が過ぎると、このブログが「ばくちゃんの言いたい放題ブログ」になってしまいますので(笑)、本日は、7月12日御生誕祭お知らせの後、経典『幸福へのヒント』(大川隆法著 幸福の科学出版)より、「教養を積めば、短気は治る」という、私にとってはこの上ない福音(爆笑)をご紹介いたします。

          (ばく)

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大川隆法御生誕祭講演会「信仰からの創造」(7/12 総本山・正心館)のご ...

〈演題〉 「信仰からの創造」(Creation from Faith)

(※タイトルは変更になることもございます)

〈日時〉 2020年7月12日(日) 13:00(予定)

〈本会場〉 総本山・正心館

〈中継会場〉全世界の幸福の科学の支部・精舎・拠点・衛星布教所

※ 衛星中継会場での参加をご希望の方は、事前に参加希望の幸福の科学へお問い合わせください。

「多次元宇宙の秘密」抜粋 大川隆法総裁1989年第3回講演会

幸福をつかむために 天使のモーニングコール1393回 (2018.6.9,10)

 

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=141

短気な性格の人は、完全主義的な傾向を持っていて、非常に神経質です。そして、厳格さ、完全主義を、自分に対して求めるだけでなく、他の人に対しても求めます。そのため、気が短くなり、すぐに腹が立って、カッカするのです。

こういう人にとって大事なことは、「人間の本質をよく知る」ということです。「自分もそれほど完全な人間ではない」ということを知る必要があるのです。

そのことに自分自身で気付かない場合には、外部的な要因により、気付きのきっかけが与えられます。「天狗の鼻を折られる」という現象が必ず出てくるのです。(中略)

二番目に大事なことは、「教養を身につける」ということです。
教養のある人は短気ではありません。「自分は短気だけれども、教養はある」と思っている人もいるでしょうが、ほんとうに教養のある人は短気ではないのです。(中略)

教養のある人は、自分より教養のない人に対して、厳しくは言えません。相手が分かっていないということがよく分かるので、その人に対し、噛んで含めるようなかたちで話すことになるのです。

したがって、「もっと勉強をして、教養を積む」ということも、短気を直す方法の一つなのです。

短気を直す方法として、三番目に言えることは、ほかならぬ信仰です。
信仰の世界に入り、仏神のことを考えはじめると、「人間心で人を裁く」ということが、どうしてもできなくなってくるのです。

完全主義者は自分に自信を持っていて、自己評価がかなり大きくなってしまっています。
しかし、毎日、仏神のことを考えていると、しだいに自分が小さな存在に見えてきます。自分が大宇宙のなかの一点に見えてきます。そのため、尊大になれず、謙虚にならざるをえないのです。

仏神に対して謙虚な自分を見いだした人は、他の人に対して短気を起こせません。

「自分のような人間でさえ、生かしていただいている。こんな至らない自分でさえ、生かしていただいている」と思うと、他の人に対して、厳しいことがなかなか言えなくなってくるのです。
『幸福へのヒント』(幸福の科学出版)P209~213


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