幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
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「与える愛」は、人が神の子である証拠です。

2019-10-25 00:09:41 | ばくちゃんの独り言

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米朝会談以降、世界は急速に方向転換しようとしています。

世界で今何が起こっているかと言えば、神を信じる勢力と、神を信じない勢力とが、次世代の主導権を巡って、大きな駆け引きをしている真っ最中であり、言わば、世界規模での維新運動が起こっているわけです。

しかし同時に、今の世界は、有史史上最も神への信頼感が薄れている時代となっています。

その要因は、日本においては、戦後の無神論的価値観に基づいた教育が行われ、マスコミにおいても、宗教を趣味の領域に追いやった報道が数多くなされてきたことの影響が大きいでありましょう。

また生活レベルで宗教的価値観が根付いていると言われる海外においても、科学の進歩によって、数年年前にできた古い宗教的価値観が揺らいできており、それがユダヤ・キリスト・イスラム教などの一神教が中心となった宗教紛争の、精神的背景にあると思われます。

また中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のような、共産主義=無神論を国是とする国家の横暴も、宗教紛争の泥沼化と同様、「神への信頼低下」が背景にあるはずです。

このまま何の努力もしなければ、わずか数十年後の世界の未来は、宗教的価値観の違いによる憎しみの連鎖で、紛争に明け暮れる世界になるか、もしくは無神論的価値観による、パイの取り合い文明社会、即ち弱肉強食の未来で、私たちの子や孫が暮らしているはずです。

ただ、完全な形での神の存在証明はできず、「信じる」以外、神を認識する方法はありません。

それを人々に教えて来たのが、世界中に存在する宗教ですけれども、今ある世界宗教ができたのは、1500~3000年前のことであり、現代的諸問題を解決できずにいます。

しかし考えて見れば、神の存在証明ができないように、「神がいない」という証明もできません。

ならば無神論は、「特別何かを信じているわけではない」という心理的フリーな心境などではなく、「神はいない」という教義を持った宗教だと言えます。

つまりは、「神を信じる」という立場も、「神はいない」とする立場も、両者は同様に「信仰」であるならば、「どちらの信仰が、人々を幸せにするのか。」という「幸福論的観点」から論じることが重要であろうと思うのです。

ということで本日は経典『太陽の法』(幸福の科学出版)より、「与える愛」について、大川隆法幸福の科学グループ総裁が綴った一節をご紹介いたします。

「人が神の子である証拠としての愛」

これこそが、お一人お一人の人生を貫き、歴史を貫き未来を導く、神の子人間の、誇るべき心の勲章なのです。

    (ばく)

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世界に広がる「自由・民主・信仰」の光 天使のモーニングコール 1464回 (2019/10/19・20)

 

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愛の本質とは、やはり与えることなのです。愛とは、神が人間に与えてくださったものを、自分ひとりのものとだけしておかずに、人にわけ与えるということなのです。

神の愛は無限です。ですから、私たち人間が、その愛をいくら与えても与えても、つきることはありません。神は、私たちに、愛を供給してくださっているのです。

愛の本質とは、まず、与えることなのです。この点を、よく理解していただきたいと思います。

愛に苦しむ人々よ、よく開きなさい。

なぜあなたがたは、苦しむのですか。なぜ愛において苦しむのですか。愛を与えることによって苦しむのですか。みかえりを求めてはいけません。みかえりを求めることは、ほんとうの愛ではありません。

ほんとうの愛とは、与える愛です。与える愛とは、すなわち、無償の愛です。

あなたが与える愛は、本来、あなたのものではないのです。あなたの愛は、神から与えられた愛なのです。その愛を神にかえしてゆくために、私たちは、ほかの人々を愛すべきなのです。

苦しみの原因は、自分はほかの人を愛しているのに、ほかの人は自分を愛してくれないと思っているところにあるのです。

いえ、ほかの人が自分を愛してくれないのではありません。自分が期待しているほどには、ほかの人が自分を愛してくれないと思うからこそ、愛ということを機縁として、人間はひとつの苦悩におちいってゆくのです。愛のみかえりは、ほかの人間からではなく、神からくるのです。

神からくるみかえりとは、なんでしょう。それは、すなわち、愛を与えれば与えるほどに、あなた自身が神近き人間となってゆくということです。それが、神のみかえりなのです。

 神の本質を見てごらんなさい。神は、燦々(さんさん)とふりそそぐ太陽の光のごとく、無所得のままに、無限の愛と慈悲を万物に与えているのではありませんか。

あなたたち、ひとりひとりの生命でさえも、神に対して、一文の支払いをすることなく与えられたエネルギーではありませんか。

さすればまず、与えることからはじめてごらんなさい。

与えるとは、どうすればひとりでも多くの人々がしあわせに生きられるかを考えながら、日々生きるということです。

与えるとは、ひとりでも多くの迷える人々の心に、愛の光を投げかけてゆくということです。

また、ひとりでも多くの人々を、困難と挫折の人生から立ち直らせ、知恵と勇気の日々を送らせるかということです。(中略)

愛に敵はありません。愛は無敵です。

なぜならば、ほんとうの愛とは、与える愛であり、無償の愛であり、あらがうことを許さない無限の力だからです。
『太陽の法』(幸福の科学出版)P148~152

 

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