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サバンナRX-7とポルシェ924と『釈迦の本心』

2018-02-28 22:22:20 | 自動車から見える日本と世界

マツダサバンナRX-7(初代)ニックネームは「プアマンズポルシェ」1978年発売開始

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本日は、高知の信者さんの仲間においても、賛否両論ある自動車関連記事です。

まっこと(土佐弁)、「宗教と何の関連があるのか?」と書いている私ですら時折思いますし(笑)、布教ブログ記事を書いているはずなのに、私が自動車の画像検索したり、動画検索しているので、家族から「遊んでるんじゃないの?」と思われているかもです。(爆笑)

しかし結構な御評判をいただいておりまして、それは恐らく、ここでは自動車雑誌等では書かれていないことが書かれていて、それがオリジナリティーになっているのではないかと、代表管理人である私は思っております。

なぜ自動車雑誌では書かれていないことかと申しますと、思考アプローチが通常と違うから。

仏教には、『正見(しょうけん)』という修行徳目がありまして、八正道(はっしょうどう)という心の反省の最初に出てくるのですが、要するに、「自分や世の中や、諸々の事柄を、正しく見ているか」また、「正しい見解をもっているか」ということです。

「正見」には、「主観」とか「思い込み」というものを排除しないといけません。

そのためには、「因果の理法」というのがありまして、要するに原因と結果の関連のことですが、この因果の理法とか正見というものに対して、「さあ、自動車なら、どういう見解になるのか」ということに挑戦してみたいと思っているのです。

自動車雑誌の記事などからですと、自動車評論家の方とか、その方面の記事を書くことの多い記者などの試乗記事が主ですが、それを読む私はいつも「?」なんですね。(笑)

自動車雑誌だと、まぁ概ねは、「価格の高い自動車とか、一流ブランドの商品とか、スタイルの良い自動車作品の評価は甘くなる」と思っていただいた方がよろしいかと思います。(大笑)

ある時なんぞは、「2000㏄4気筒ターボ対決」いう企画で、ドイツのベンツ、そしてスウェーデンのボルボと、日本からはスバルのインプレッサと日産のスカイラインの比較がありましたが、「ヨーロッパ勢のエンジンの回転は滑らかで力強い。日本のエンジンは、まだまだだ。」という結論でしたが、あちらは価格が7~800万円で、日本勢は350~500万円ですので、「価格が倍の商品を比べてどうするんじゃ!」と思いました。

価格が高いのなら、品質が良いのは当たり前ですので、そんなの、消費者にとっては何の意味もない企画なわけですね。

消費者は、古今東西老若男女、「良い商品が、いかに安く手に入るか」ということの情報を得たいわけですので。

同じネタでも、銀座の一流のお寿司屋さんと、回転ずしとでは、味が違って当たり前ですので、それならばネタは違っても、「同じ値段ならどうか?」ということに着目するべきですよね。

でもまぁ、高額商品やブランド商品をお買い求めになる方は、当然ながら高所得者が多いですので、雑誌広告料収入などの関連から、マスコミの一種である自動車雑誌には、「言いたくても言えない諸事情があるのではないかな?」と私は睨んでいます。

ですので、自動車について真実を知りたければ、「消費者の意見」とか、「その後のメーカー全般などに与えた影響」をくみ取っていくのが、最も因果の理法に則った、正しい見解(正見)なのではないかと思います。

ポルシェ924(ドイツ)1975年発売開始

ともあれ、今回着目するのは、スポーツカーの大御所、全世界に知らぬものなしのポルシェと、日本のマツダを比べてみようかなと思います。

ポルシェ924(以下924)の方がデビューが3年早くて、マツダサバンナRX-7(以下RX-7)が発売されました。

RX-7が924にとても似ていたので、「マツダがデザインをまねた」と言われましたが、開発当初のRX-7は、開発コンセプト的にも、また販売価格を抑えるために、特徴的なリトラクタブルライトではない一般的な丸型ライトだったことがわかっていますので、車両デザインに関しては、結果的に似てしまった可能性があります。

当初のRX-7は、どちらかというとロータスヨーロッパに近い雰囲気だったようで、「時速200㎞のためには、空気抵抗を減らせる格納ライトは必要だ。」「リトラクタブルライトなしで最高時速200km/hを実現するならば、もっと大型のロータリーエンジンが必要。」と、当時の開発陣が経営陣を説得したとのこと。

まぁ2代目のRX-7は、もっと924に似ているので、こちらは真似た可能性がありますが。(笑)

この両者、日本がスーパーカーブーム真っ盛りのころの商品で、私が自動車雑誌を読み始めた中学生ごろの作品でして、スタイルとか車体サイズが似ていたこともあり、自動車雑誌では、対決ものがよく企画されていましたが、子供心に、「どっちがどう良いのか、どうもよくわからない」という、煮え切らない結論が多かったのですね。

今思うと、「さすがポルシェ!」と記者が言えなかったんじゃぁないかと・・・。

今の私には、「RX-7の方が速かったんじゃぁないの?」と、また「ひょっとして、ぶっちぎりだったんじゃぁないの?」と思えるんですね。

RX-7デビューは、1970年代後半で、この頃から日本車が世界に与える影響が表に出てくるころです。

というのも、そのころ日本では、排気ガス規制へのめどが立ったのですが、欧米ではその方面での対応が遅れていたのです。

で、RX-7と924、この両者の「重量バランス」に着目してみたいと思います。

重量バランスは重要で、自動車作品の性格をほぼ決定してしまいまして、スタイルの似ている2者は、開発の思想は、まるで全てが逆であることがわかります。

マツダRX-7と言えば、エンジンは世界で唯一、マツダだけが市販できたロータリーエンジンで、ポルシェは一般的なレシプロエンジンです。

ロータリーエンジン

  レシプロエンジン

初代マツダRX-7透視図を見て注目すべきは、エンジンの位置。

エンジンは重いので、それがどこにどうあるかは、とても重要なので、RX-7は車体の前方、前輪のすぐ後ろの低い位置に、コンパクトなロータリーエンジンがあります。

完全なフロントミッドシップ構造であり、そして重要なのは、重心が低いこと。

RX-7は、世界の全ての市販車のなかでも、ベスト何位くらい行くのでないかと思える「低重心」です。

これはロータリーエンジン回転軸に秘密があります。

エンジンというのは、「エンジン回転軸を、車軸、つまり駆動輪の中心より下げられない」という宿命がありますが、ロータリーエンジンは、回転軸のまわりのローターだけというシンプルな構造ですので、エンジンが低く搭載でき、これはコーナーリングでとても有利に働きます。

 

一方ポルシェ924ですが、これは問題があると思います。

ポルシェ924も、RX-7ほどの完全なものではありませんが、現代的なフロントミッドエンジンで、ギアを後ろタイヤ側につけた、トランスアクスル方式で、「前後」の重量バランスは優れているのですが、問題はエンジンの高さ。

次の画像がポルシェ924のエンジンですが、エンジンのてっぺんが、大きく左に傾いています。

これは、できるだけ重心を下げたいときに使う、業界ではよくある方法ですが、問題はその「角度」です。通常ですと、傾けは数度程度で、ここまで傾けることはありません。

余り傾けると、左右のバランスが崩れますし、エンジンルームのスペースの関係上、吸気や排気を自由に設計できないからです。

このピストンのあるレシプロエンジンですから、エンジンのてっぺんの下方延長線上に、エンジンの回転軸がありますが、この角度ですと、そうとう高い位置に、回転軸があると思われます。

となると、一見かっこよい924は、おっそろしく重心が高いはずなのですね。

それを知らせたくないのか、ポルシェ924の、横方向からの透視図が、どうしても見つからないのです。

エンジンのパワーは924が本国使用が125馬力、日本仕様が100馬力ですので、RX-7の130馬力とどっこどっこいでしょう。

というのも、ドイツと日本では馬力測定方法が違っているので、当時は日本の測定方法の方が、2割ほど高く表示されるから。

しかし問題は、当時の燃料噴射装置はエンジン1台に付き1個なので、吸気干渉、つまり空気の取り合いが起こっていたはずで、最高出力はあっても、そこに至るまでには時間を要したはずですが、ロータリーエンジンには、吸気干渉も排気干渉もありませんので、一気に回転が上がるわけです。

これらの両者の条件を考えると、高速道路やゆったりとしたコーナーなら924が有利なところもあるかも知れませんが、通常の走り方ですと、RX-7がぶっちぎる場面が多かったのではないかと思うのですね。

ポルシェがRX-7に対してどのように感じていたかの史実はありませんが、RXー7登場以降、それまでおしゃれなスポーティーカーでしかなかった924が、急激にパワーアップを続け、その後大型エンジン搭載の944シリーズも加わることとなりますので、車両価格3分の1のRX-7は、十分に大御所ポルシェを脅かしたのではないかと思います。

ポルシェ924ターボ 1978年発売開始

とまぁ、「マツダのサバンナRX-7が、ポルシェのイノベーションを促した」ということとか、「RX-7がプアマンズポルシェなのではなくて、924が、リッチマンズマツダなんじゃないのか?」というお話でした。

ということで本日は、経典『釈迦の本心』(幸福の科学出版)より、八正道の正見について、大川隆法幸福の科学グループ総裁が語った部分の抜粋をご紹介いたします。

         (ばく)

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「心の指針」シリーズ2 ~仕事ができるようになりたいあなたへ~

MotorWeek | Retro Review: '83 944 Vs. RX-7

 http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=151

人間の悩みは、結局、「見る」という行為を中心にして起きているように思います。もし目が見えなければ、罪を犯す機会がそれだけ少ないとも言えましょう。

欲望というものは、たいていは目によって生じます。異性など他人の姿を見たり、金銀財宝や豪華な食事を見たりすることによって、しだいに欲望がつのってくるのです。

 


したがって、大切なのは、目を通じて入ってくる情報を、いかにさばいていくか、ふるい分けしていくかということです。人間の感情が波立つ原因の多くは、目を通して得られる情報にあるのです。

 

そこで、一日が終わるときには、呼吸を整え、心を調律し、みずからの内に深く深く入っていく必要があります。そして、「みずからが仏と一体になった」「大いなる光のパイプからエネルギーが流れ込んでくる」と感じられるようになった段階で、その日一日を生きてきた自分をまったくの他人だと考え、その他人が見てきたことを、第三者の眼で批判的に検討してみるのです。

 

この「見る」ということは、結局、「見たことをどう認識するか」ということにかかわってきます。

 

ある人がある行為をしたとき、それに対する見方は人それぞれです。たとえば、会社のなかで、若手の社員が「こういう方針でやっていきませんか」と新しい提案をしたとします。しかし、この行為に対する認識は、人によって分かれることになります。

 

その人の上司が、その提案を肯定的にとらえようとすれば、「彼はたいへんやる気があり、進取の気性に富んでいる。非常に将来性がある」と見ることもできるでしょう。

 

しかし、否定的に見れば、「彼はまだ入社してまもないのに、大言壮語し、自分の分を知らずにいる。日々の事務仕事がきちんとできてこその、大きなプランであり、理想である。彼はまだまだ謙虚にならねばならん。うぬぼれがすぎる。彼にもっと自覚を促す必要がある」と感じる人もいるでしょう。

 

ここが見方の分かれるところなのです。

 

この二つの見方のうち、どちらがより真実に近い見方なのかを考えてみる必要があります。

 

そして、前者の見方が正しいならば、自分はなぜ後者の見方をしたのか、この若手社員に対してなぜ不愉快な見方をしたのか、その根本原因をたぐっていく必要があるのです。

 

その結果、自分が若手社員のとき、いろいろな人に批判された反動だったり、自分自身は積極的な提言ができないタイプであることへの自己嫌悪だったりすることに気づくことがあります。

 

そうした原因を見いだしたならば、それを取り除いていく必要があるのです。
『釈迦の本心』(幸福の科学出版)P66~69

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