私の好きなテレビ番組に、TBSで土曜日、夜9時から放映中の『世界不思議発見』という番組があります。
しかし私には、恥ずかしながら、家庭内チャンネル権がありませんので(笑)、「世界ふしぎ発見』が見られるかどうかは裏番組次第です。(大爆笑)
最近では裏番組で、『嵐にしやがれ』(日本テレビ)をやり初めまして、我が家の女性陣は松潤こと松本潤さんのファンですので、録画してなお放送も見ておりますので、最近では、よほどの幸運がない限り、『世界ふしぎ発見』を見ることができませんし、見るときは、そりゃぁそりゃぁ、とんでもない集中力で見ちょります。(大笑)
その、『世界不思議発見』で、以前、ダーウィンの進化論特集をやっていて、ダーウィンが観察したガラパゴス諸島を、何週間か続けて放送していました。
その特集で私は、ゾウガメを1時間枠で扱っているのを見ました。
番組によると、ガラパゴス諸島には、それぞれ生えている植物が違うので、ゾウガメの形も島によって、それぞれ違っているらしいです。
そしてどうやら、それを観察したダーウィンさんは、種の起源のもとになるヒントを得たらしいんですね。
たとえば、地ベタに草の繁えている島のゾウガメは、まあ、皆さんがイメージしているであろう、普通の一般的な形をしています。
しかし、背の高い木や草しか繁えない島のゾウガメは、甲羅の首の所が鞍状にえぐれていて、首を高く持ち上げることができるんです。
これが「進化」だと、一見すればそう思えるかも知れませんし、とにかくも、ダーウィンさんはそう確信したらしい。
しかし、この鞍状の甲羅を持つゾウガメと、普通のゾウガメとは、遺伝レベルでどう違うのかは、今もまだ、良くわかっていないらしいのです。
というのも、彼らの寿命は120歳以上と人間より長生きで、長期の観察が出来ない生き物だからだそうです。
要するに、観察してデータ処理している人間の方が、ゾウガメより早く死んでしまうので、一匹のゾウガメの一生を記録したものは存在しないですし、その子や孫まで、観察することができないからだそうです。
番組の最後に、地元のゾウガメの人工繁殖プロジェクトが、幼カメを島に返すシーンが映っていました。
鞍状甲羅のゾウガメの幼体だったんですが、なんとその幼カメの甲羅には、鞍はまだありませんでした。
つまり、生まれた時には、ゾウガメには鞍の形に、違いはなかったんです。
「やっぱりダーウィンの進化論は、生物の適応能力の高さを実証したものなんだぁ。」と思った後、私は凄いことに気付いてしまったんです!!
それは、
「なんでこんな絶海の孤島に、こんなに巨大なカメがいるんだぁ!!」
「彼らは、絶対に泳げないじゃないかぁ!!」
「この子たちは、いったいどうやってこの島々に来たんだぁ!!」
「ダーウィンさん、よっぽどそっちの方が、不思議なんじゃぁないですかぁ?」
っていうことにです。(爆笑)
そんな重要なことを、全然不思議に思わない、ダーウィンさんの生物学者としての眼は、「全くの節穴」だと、私はその時思いました。(大笑)
本日は経典『愛、無限』(幸福の科学出版)より、「生命が神より分かれて来たからこそ、人間も人生も尊い」ということがよくわかった一節のご紹介です。
(ばく)
「人生の苦難に立ち向かう」 幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋
Halloween Party For Galápagos Tortoise Seniors
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=755
あの世の存在を信じることは、なぜ大事なのでしょうか。それは、「真実の人生」を生きるために必要だからです。
「人間は、どのような意味を持った存在なのか。つまり、人間とは何なのか。人間は、どこからか来たものなのか。それとも、偶然に生まれたものであり、唯物的に物としてのみ存在するものなのか」という、人間存在の根本に関する理論は、人生の意味や生き方と大きくかかわっています。
そして、「あの世があることを知らない人間は、『真実の人生とは何か』という問いに答えることはできないであろう」と私は考えています。
そのような人の人生は、非常に小さな箱庭のなかで生きているようなものだと思います。
人間は、もっともっと素晴らしいものです。
みなさんも、言葉としては、これが分かるでしょう。また、人間の尊厳ということも、基本的人権ということも、「人一人の生命は地球より重い」ということも、言葉としては分かるでしょう。
しかし、その本当の意味、根底にある意味は、あの世の存在を信じなくては知ることができないのです。
『旧約聖書』を読むと、「神は、単なる砂や泥から、まるで粘土をこねるようにして世界や人間を創った」というようなことが書いてあります。また、「人間の形をとったものに対して、生命の息吹を吹き込んだ」とも書かれています。
まさにそのとおりです。この「生命の息吹」があってこそ、人間は尊いのです。
それがなければ、人間の体は、分解されて土に還ると、土の成分とまったく変わるところがありません。火葬場で焼いてしまえば、一握りの骨と二酸化炭素や水分以外の何ものでもありません。
それのどこが尊いのでしょうか。二酸化炭素が尊いのでしょうか。あるいは、蒸発した水分でしょうか。残った一握りの骨でしょうか。いったい、どれが尊いのでしょうか。
そう考えたとき、「人間を物質としてのみ捉える人間観を持っている人には、人間の尊さを論理的に導き出すことは決してできない」と私は思うのです。
確かに、人間の体は、死ねば土に還る素材でできています。
しかしながら、素材が尊いのではなく、体のなかに宿っている、生命の息吹とでも言うもの、魂とでも霊とでも言うべきもの この存在こそが尊いのです。
『愛、無限』(幸福の科学出版)P11~13