田舎暮らしの日々是好日

山羊とともにのんびりと農家生活をしながら日頃の憂さ晴らしをつぶやきます。

開拓物語」 川畑谷長氏

2017-12-10 04:06:37 | 日記

  先週 自治公民館長連絡協議会の視察研修に、旧田代町、現錦江湾町にある盤山集落に行ってきた。
 最初に連れて行ってもらった時(17年前)のことが忘れられず、
 もう一度訪ねていきたいとおもっていたことが、
 図らずも、しかも現地に詳しいガイド付きで案内してもらい、
 関係者と交流できたことに感謝と感激ひとしおであった。



 親戚がおられることを知っていたが、
 こんな形で出会えるとは思っていなかった。
 紹介の挨拶で郷土研究会の元会長竹下先生のことが出た方にお話を伺ったら、


 何と、まさしくその方が表題のかたの息子さんだった。

 研修から島に帰った翌日、
 竹下先生から「開拓物語」が届けられてあった。
これを読んで言っていたら、」もっと話が弾んでいたかもしれないと思うとともに、
 いや
読んでなかった方が自然な形で接触できたであろうとも・・・・。



 私の中で「島を起こした苦労人(歴史の民)」
 蘇る人々」が次々と広がっていく。



 「渇しても盗泉の水は飲むな」の教訓の話は 私に中には刻み込まれていた。
こういう生き方は 今の政治の世界、国会でのやりとりを見ていると、笑われるかもしれないが、
 祖父からきつく言われて育った。



 りかにかんむりをたださず、かでんにくつをいれず」 しかし、
 私は 教えを外れた生き方をしてきた。



 祖父の教えに報いるために、これまでの穴埋めをしたいと思う。



 私が役場に入りたての頃、
 祖父は火葬場の必要性を感じていたらしく、
 火葬場建設の陳情書を書いていた。
 若い町長に直接持って行ってくれとのことだったが、
 私が握りつぶしてしまった。
 (たぶんどこかにしまい込んでいると思う。)
 建設場所が問題となって、発起から30年の年月をかけて建設された火葬場に私が係ることになったのも
 不思議な縁である。



  祖父が提案していた火葬場の場所が 私には納得がいかなかったので
 町長に見せることが恥ずかしかった。
 その場所は
 船倉海岸にあるピャンチク離れ島だった。



 大潮の時しか渡れない離れ島に どうして火葬場を選んだのか 気が違っているとしか思えなかった。

 今の私なら
 理解できるし、
 私の墓場にしたいくらいだから・・・・。




 祖父は 昔々に遡れば あの島は個人のものだったことを言いたかったのでは・・・、
 と いらぬことまで考えて調べてみた。
 むいこう」離れ島と名前がついている。
 親孝行の息子」という意味である。

  それで、
 私は火葬場の発想を転換し  御嶽にしたいと思い
 秘密基地を建設中である。



 ヤドカリと蝶の住める環境を育ててみたいと思う。

   課題は  水ありき。

 やっぱし  アミタぼーりと  天からの恵みをこい願うことだ。

  人事を尽くして 天命を待つ  頑張ろう  自分。

   やがて  道ができる。

 すへいりーべ ぼくのふね そーまがるしっぷす くらーくなく

   明るくなってきた。

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