お前は俺の命だから、お前が死ねば俺も死ぬ。俺のためにも生きちゃくれねえか 小説天つみ空に~遊廓の | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

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小説 天つみ空に

 ~遊廓(くるわ)の恋~

第四話完結編 恋月夜

 ついに遊廓花乃屋の楼主がお逸    を遊女にすべく立ち上がる。花魁の

部屋を与えられ、ついに最初の客を

取ることになったお逸。水揚げの夜に現れたのは二度と逢いたくもない男で―。真吉という恋人がいるのに、何故? 彼以外の男に抱かれたくない。お逸の哀しい想いのゆくえは、、、

 

その翌朝。
お逸は自室で意識を取り戻した。
最初に眼に映じたのは、気遣わしげなおしがの顔だった。まるで長い旅から戻ってきたばかりのような心持ちだった。
「馬鹿だねえ、この娘(こ)は。あたしがあれほど言ってやったのにさ。人間、絶望しちゃア、それでおしまいだって、あんなに言ったじゃないか」
おしがは涙声でお逸の耳許で囁いた。
「おしがさん、私」
言いかけると、おしがは慌てた口ぶりで言った。
「喋るんじゃない、折角塞がりかけた傷口がまた開いちまうよ」
それから、おしがは、お逸がこの部屋で生命を絶ってから後の経緯を教えてくれた。
お逸を発見したおしがは大慌て階下に降りた。直ちに医者が呼ばれ、診察に当たった。幸いにも発見が早かったのと、傷が見た目よりは浅く急所も外れていたこともあり、一命は取り止めた。傷そのものも半月もあれば完治するとの診立てであった。
皮肉にも、お逸の治療に当たったのは、清五郎が特別に金を積んで往診にきて貰った碓井(うすい)道(どう)安(あん)という医者であった。この男はかつて将軍家の侍医を務めたこともあるほどで、現在は引退して倅に跡を任せているが、たいそうな偏屈者で、よほどの人物の頼みでなければ診察にも応じないという変わり者だ。
おしがによれば、急を聞いて駆けつけた清五郎は傍で見るのも気の毒なくらい、取り乱していたそうだ。お逸が意識を取り戻すまでずっと傍にいると言ってきかなかったのを、おしがが上手く言い含めて、ひとまずは帰したのだ。
考えてみれば、お逸がそも誰のせいで自害をしたのかは判りそうなものなのに、お逸が目覚めた時、その原因となった男が眼の前にいたのでは、かえって逆効果ではないか。
「おしがさん、ごめんなさい。私、おしがさんの言ったこと―」
―守れなかったの。
そう言おうとしたお逸の手を、おしがはそっと握った。
「良いんだよ。血の海に倒れてたお前の傍に、ほれ、こいつが転がっていたんだよ。お前がどれだけ辛かったか、あたしは見抜いてやることができなかった。女郎の気持ちも判らないなんざア、やり手として失格だ。あたしこそ、ぎりぎりまで追いつめられたあんたの気持ちに気付いてやれなくて、ごめんよ」
おしがの皺だらけの手のうえには、小さな風船蔓の実があった。
「これは、お前がこれからも持っていると良い。お前に逢いたいっていう人が外で待ってる。その人とよおく話してごらんな。これからのことは、それから考えれば良いさ」
おしがは小さな実をお逸の手に握らせると、立ち上がった。
「おしがさん、本当に色々とありがとう」
おしがはそれには応えず、薄く微笑んだだけだった。
おしがと入れ替わりに入ってきた男を見て、お逸は眼を見開いた。
「―真吉さん」
お逸は恋しい男の名を呼んだ。
真吉の貌を見て、初めて、死ななくて良かったという想いが湧き上がる。
もし、あのまま生命の焔が尽きていれば、お逸はもう二度と惚れた男の貌を眼にすることはできなかったのだ。
そう思うと、我が身がしでかそうしとしていたことが、いかに短慮であったかを思い知ることになった。
「お逸ッ」
真吉がまろぶように近寄ってくる。
「お前ッ、大丈夫なのか!? どこも痛くはないか?」
矢継ぎ早に訊ねられ、お逸は淡く微笑んだ。
「大丈夫、ほら、ちゃんと声も出るし、喉は少し痛むけれど、これは当然よね」
切っ先の鋭い簪で喉をひと突きにしたのだ。我ながら、よくこの程度の怪我で済んだものだと思う。お逸の首には白い包帯が幾重にも巻かれている。
その痛々しい様を見つめていた真吉が突然、怒鳴った。
「馬鹿野郎、一体、自分の生命を何だと思ってるんだ? お前が自害したって聞いた時、俺の方が生きた心地がしなかったぜ。何でお前がそこまで思いつめるまで放っておいたんんだって、どれだけ自分を自分で責めたか知れやしない。お前が死んじまったら、俺は、俺は」
真吉はそこまで言うと、絶句した。
短い静寂。
真吉の逞しい肩が震えている。
泣いているのだと判った。
「お前が死んじまったら、俺はこの世で生きている意味が無くなっちまう」
真吉が振り絞るように言った。
「ごめんなさい。私、心配かけちまって」
お逸が消え入るような声で詫びると、真吉の手が躊躇いがちにお逸の髪に触れた。
「もう二度とこんな馬鹿げた真似をしたら許さねえぞ。心配をかけるのは良い。だけど、俺を置いて、一人で行くな。俺たちはどこに行くのも一緒だ。俺に黙って一人で勝手にどこかに行っちまうなんて、金輪際許さねえからな」
真吉の大きな手のひらがお逸の髪を愛おしげに撫でる。そのひと房を指で掬い、真吉は笑った。
「良かった、本当に良かった」
真吉の眼に光るものがある。
お逸は今更ながらに、この男にもおしがにも心配をかけてしまったのだと思わずにはいられない。
「お逸、この間、俺の気持ちが判らねえって言っただろう? だが、今日こそ、この場ではっきりと言うぜ。俺は、お前を愛している。たとえ誰が何と言おうと、俺はお前に惚れてるんだ」
真吉が震える手でお逸の頬を挟んだ。
「お前は俺の生命そのものなんだ。生命を失って生きていられる人間なんて、この世にはいやしねえ。お前が死んだら、俺も死ぬ。だから、俺を死なせたくなかったら、絶対に俺より先に死んだりはしねえでくれ」
「でも―」
お逸の眼に涙が滲む。
「こんなに汚れた身体では、もう真吉さんのお嫁さんにはなれない」
「馬鹿」
そういう真吉の眼も濡れている。
「この間も言っただろう? 何があったって、お逸はお逸じゃねえか。俺が惚れてるのは、お逸の外見だけじゃねえ。これまであったことも含めて、そんなすべてをひっくるめて、お逸そのものに丸ごと惚れてるんだ。むろん、お前にとっては辛いことだったと判ってはいるつもりだ。だが、いつまでもそんな過去に拘るな。俺が良いと言ってるんだ、お前は胸を張っていれば良い」
―これまであったことも含めて、そんなすべてをひっくるめて、お逸そのものに丸ごと惚れてるんだ。
これ以上の言葉があっただろうか。
お逸の白い頬をひとすじの涙が糸を引いて流れ落ちた。
この男に付いてきて良かった、この男を好きになって良かったと、心から思った瞬間だった。