山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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稲積城

2017-10-21 20:03:00 | 山城ー野州
稲積城は栃木県烏山町下境にあります。

稲積城地図

地方道27号線で下酒井地区に入って西の町道を進むと、この案内板があります。

縄張り図

案内板から西にこの道があります。

縄張り図の現在地から中城の城壁南を歩いています。

中城、左手奥の森に太鼓楼ががあるようでしたが薮が酷く近づけませんでした。

中城から北側景色、川は那珂川です。

中城と下館との中間にある土塁と祠

外城

外城の北奥に稲積神社があり、もっとも遺構が残っているところですが次回とします。

案内板にある那須氏

那須氏の出自は、藤原道長の曽孫資家(貞信)が奥州白河郡八溝山の賊を討った功で、下野国那須郡を賜わり同地に住したことから起こるとも、古代那須国造の末裔ともいう。また、相模山内首藤氏の一族とする説もある。いずれにしても平安末期から江戸時代初期まで、下野国那須郡内に勢力を保った。
 はじめ須藤を称し、平安時代末期の資隆に至って那須を称したという。資隆の子が与一宗隆で、宗隆は源平合戦に際して源義経に従って出陣し、屋島における扇の的の功名により歴史に名を残した。建久四年(1193)孫にあたる光資のとき、源頼朝の那須野巻狩が行われ、その準備と経営の功績によって御家人の地位を得た。
 戦国時代、那須氏の下には一族の芦野・福原・千本・伊王野氏や重臣の大関・大田原氏がいて、那須本家を加えて「那須七騎」と称された。そして那須七騎は、それぞれ独立性が強かったことでも知られている。

●那須七騎
那須氏
芦野氏
福原氏
千本氏
伊王野氏
大関氏
大田原氏

 那須氏はのちに勢力争いを演じる宇都宮氏や佐竹氏のように室町幕府から守護に任ぜられることはなく、守護代あるいは目代といった地位を確保していたようである。そして、鎌倉公方などの勢力の一翼をにないがら、鎌倉時代以来の名門武家としての意地を貫いて勢力を拡大した。 武家家伝より




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