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カラーテレビと流血と

2017-01-20 06:25:23 | 日記
我が家は白黒テレビ

 今では当たり前過ぎてその言葉すら滅多に聞きませんが、昭和の時代「
カラーテレビ」は高嶺の花でした。
高額なカラーテレビを全国に普及させる為に、プロレスが一役買っていた話、
ご存知ですか。

 毎週金曜日は「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」をお届けしています。
当時見たテレビの中継で特に印象に残る30の場面をランキングにしていますが、
今週は第8位「流血をカラーで見た」です。

 「プロレスの流血シーンが鮮やかに見られる!」
これはテレビを販売する側の大きなアピールポイントでした。
その為プロレス中継はいち早くカラー化されていました。
 そんなにカラーで流血を見たがるかって?
ハイ私、見たがりました。
忘れもしない1969年の夏、馬場と猪木がディック・ザ・ブルーザーと
クラッシャー・リソワスキーの大悪党チームと戦いました。
 ブルクラコンビの大流血試合をどうしてもカラーテレビで見たい、しかし
我が家のテレビは白黒テレビ。
真っ赤な血が薄黒い色に映ります。
 諦めきれ無い頭は必死に知恵を絞って思いつきました。
一ランク上の暮らしをしている従妹の家に行こうと。
自転車を30分こぎ夜の8時に突然の訪問です。
前触れもなく現れて、挨拶もそこそこにテレビを占領する中学生は、従妹の
家族には大迷惑です。
今思えば、ブルクラ以上に傍若無人な振る舞いです。

印象に残る色

 我が家がカラー化された年は覚えていませんが、1971年前半にはカラー
テレビがありました。
日本プロレスの5月のシリーズに、吸血鬼フレッド・ブラッシーが鮮やかな水色
のタイツとラメの入った同色のジャンパーをまとって登場した姿を鮮明に覚えて
います。
 昭和のプロレスもその頃からは、カラーテレビで見るのが当たり前になりました。
千の顔を持つ悪魔仮面ミル・マスカラスが、試合の度に違うコスチュームで
登場する華麗な変身ぶりに魅了されました。
黒い魔人ボボ・ブラジルの漆黒の肌に真っ赤なタイツが映えて、余りに鮮やな
対比にビックリしました。

 そんなカラーテレビ全盛時代のプロレスで、特に印象に残るのはふたつの色です。
アントニオ猪木の真っ黒なタイツと山本小鉄の真っ白なタイツ。
それじゃカラーで見る意味が無いだろうって?
仰る通り!
でもこの二人、カッコよかったんだよな。
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