ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

虫の声

2017-09-24 19:04:22 | 日記
 彼岸花の咲く季節になりました。まだ暑い日もありますけれど、急に寒くなるとそれはそれで心細くなりますね。またそんな秋の夜には虫の音が冴え渡ります。
 夜のあかり とどかぬ畝(うね)や きりぎりす(犀星)
 暗い畑の畝で鳴いているであろう虫の音。何となく響いてくる声の幽かさが感じ取れる句です。

 キリギリス  コオロギ

 俳句は結構明るいものが多いですね。そして何といっても、虫という小さな生き物を気遣った句が面白いです。
 寝返りを するぞそこのけ きりぎりす(一茶)
 行水の 捨てどころなき むしの声(鬼貫)
 寝返りをした時に虫を潰してしまわないかと気遣うところは一茶らしいと思いますし、鬼貫の句も虫への気遣いが伝わってきて微笑ましいですね。虫のことなど考えないで行水の水を捨ててしまう人も多いでしょうに、鬼貫は虫の命を案じ、その鳴き声が聞こえなくなるのを憂えているのでしょう。二人とも実にお優しい!

 またこんな句もあります。
 朝な朝な 手習いすすむ きりぎりす(芭蕉)
 きりぎりすの声は観察したことがありませんが、鶯なども初めは未熟な鳴き方をしています。日が経つにつれてだんだん上手になっていくんですね。鶏もそうです。

 一方和歌の方はというと、淋しい感じのものが多いようです。秋の風物詩そのもの、雨や風であったり、夕暮や野分、秋の野の草、月、鹿や紅葉など、そのすべてを淋しいものとして捉える傾向にあります。ですから当然虫の音も淋しく、悲しく聞こえるんですね。
 俳句にも淋しいものとする秋の情景はありますけれど、虫の声の捉え方は少し違うようです。

 秋萩も いろづきぬれば きりぎりす わが寝ぬごとや よるはかなしき(読人しらず)
 秋も深くなったので、私が寝られないでいるように、キリギリスも夜が悲しいのだろうか。盛んに鳴いているよ。
 昔はコオロギもキリギリスと呼んでいたようで、和歌ではほとんどキリギリスで詠まれていますが、松虫やスズムシは区別されていました。

 跡もなき 庭の浅茅(あさじ)に 結ぼほれ 露の底なる 松虫の声(式子内親王)
 秋ふけぬ 鳴けや霜夜の きりぎりす ややかげさむし 蓬生(よもぎふ)の月(後鳥羽院)
 きりぎりす 夜寒(よさむ)に秋の なるままに 弱るか声の 遠ざかりゆく(西行)

 まだまだありますが、大方秋の虫が鳴くのは、悲しくて鳴くのだと捉えるのが王朝人だったんですね。
 鳴けや鳴け 蓬(よもぎ)が杣(そま)の きりぎりす 暮れゆく秋は げにぞ悲しき(曽根好忠)
 蓬が杣にいるキリギリス(コオロギ)よ。お前が鳴いているように、暮れてゆく秋は実に悲しい。鳴け鳴けもっと鳴け、というんですね。

 誰しも秋の夜は淋しく感じますけれど、虫の音を秋の夜長のBGMと捉えれば、また違ったものになるかもしれません。。

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