春一番がバレンタインデープレゼント | 無精庵徒然草

無精庵徒然草

無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

 昨日14日、富山(北陸)に、春一番! 何よりのバレンタインデープレゼントである。

 

9784309464176

← ミシェル・ウエルベック 著『ある島の可能性』(中村 佳子 訳 河出文庫) 出版社の内容案内によると、「辛口コメディアンのダニエルはカルト教団に遺伝子を託す。二千年後ユーモアや性愛の失われた世界で生き続けるネオ・ヒューマンたち。現代と未来が交互に語られるSF的長篇」とか。

 

 ミシェル・ウエルベック 著の『ある島の可能性』を読み始めた。
 彼の本を読むのは、三冊目か。
 拙稿の「ウエルベック著『素粒子』と文学の命」や「ウエルベックの「地図と領土」にウィリアム・モリス!」など参照。

 

 与謝野晶子訳源氏物語(『カラー版日本文学全集2 源氏物語 上巻』(紫式部作 与謝野 晶子 訳 河出書房))を少しずつ読んでいる。牛歩というか、亀の散歩ほどの進み具合。

 

 ま、急ぐ旅ではないから、気長に。読み始めて、いかにも初手らしい初心な呟きを何度か。どうしても、現代の常識やモラルからこの物語での源氏の行動を判断し、<断罪>めいた言葉も綴った。でも、いろいろコメントを頂いたこともあったし、多少でも読み進めて、読み方を変えないと楽しめないと、遅ればせながら気づいてきた。とにかく、光源氏に感情移入すること。同時に、当時にあっての女性たちの置かれた立場などを自分にできる範囲でも理解すること。

 

 つまりは、当たり前だけど、物語の中に(読者ではあるとしても)溶け込むこと。光源氏は女性に優しすぎる、恋(女性漁りとも映るが)に正直すぎるのだろう。自分のモラルが間違っているとは決して疑わない。女性が靡かなかったり、思うように行動(反応)しないと、女性の心がけや素養が足りないのだと思う。源氏のその(独善的な)行動がどんなに悲劇を巻き起こそうと、彼女らや、彼女らの親の悲劇は悲しいと思う。いと、かなし、である。今後、読み続けていくことで、吾輩も光源氏のお眼鏡に叶う人物に少しでも近づきたい(これでいいのか?)!

 

 NHKの新日本風土記「仙台」を録画で見ている。学生時代、仙台で6年、過ごした(2回も留年)。自分の知らない仙台の風物や人物がどんどん。おおくの人が知っているだろう仙台の七夕。思えば、6年間も仙台に居たのに、一度も七夕を見物していない。理由は簡単。正月と夏休みには帰省する。なので、八月に催される七夕とはすれ違い。実に惜しい。伊達政宗の大名行列も見ていない。
参照:「日本各地の屋敷林(仙台のイグネも)

 

 同じことは、東京についても言える。30年も住み暮らしたのに、訪ねなかった場所のいかに多いことか!

 

杜の都 - Wikipedia」によると、仙台は、杜の都(もりのみやこ)と呼称される。明治の終わりごろは、「森の都」だったようだが、大正になって「杜の都」と表記する事例が見受けられた。
「1970年(昭和45年)に「公害市民憲章」を制定したのを機に、仙台を指す場合は「杜の都」が公式表記と定められた。これ以降、仙台市役所により「杜」と「森」とは意味が異なるとされ、「杜」は江戸時代から仙台の人々が植え育ててきた防風林・防火林・防雪林・防潮林・屋敷林・寺社林・里山・街路樹などの人工林を指し、それらが仙台の風土や歴史に立脚しているという説明がなされてきた」とか。

 

 久しぶりに仕事先から夜中に帰宅して、除雪せずに済んだ。それだけのことだけど、こんなに気が楽だとは。しかも、寝て起きて、外を見たら小雨。屋根などからの雪解けの水が、雨樋から庇から小気味いいほどに流れ落ちる。春一番が吹いたとはいえ、まだ雪の日もあるだろうけど、峠は過ぎたはず(← 期待を込めて)。春の足音を早く、聴きたいな。

 

 与謝野晶子版源氏物語(『カラー版日本文学全集2 源氏物語 上巻』(紫式部作 与謝野 晶子 訳 河出書房))を相変わらず亀の歩みで少しずつ読んでいる。今日15日で、ようやく上巻の3分の1ほどを読んだところ。

 

 活字が細かくて数頁読むと疲れて本を閉じてしまう。あくまで作品世界に溶け込むこと。その世界のモラルや常識に則ること。すると、源氏の君の心の動きもだが、取り巻く女性たちの源氏への思いも共感の念で以て見えてくる。読めば読むほど、トンでもなく深く精妙な心理の綾が感じられる。…のだが、もっと活字の大きな本で読めばよかったなー。

 

279033_2

← 山田 朗 著『昭和天皇の戦争』(岩波書店) 

 

 山田朗著の『昭和天皇の戦争』を今日読了。


 出版社の内容案内によると、「軍部の独断専行に心を痛めつつ,最後は「聖断」によって日本を破滅の淵からすくった平和主義者――多くの人が昭和天皇に対して抱くイメージははたして真実だろうか.昭和天皇研究の第一人者が従来の知見と照らし合わせながら「昭和天皇実録」を読み解き,「大元帥」としてアジア太平洋戦争を指導・推進した天皇の実像を明らかにする」とある。

 

 実際、本書の「おわりに」にて、「「実録」は、昭和天皇は、一貫して軍部の強硬な対外膨張、戦争遂行に憂慮し、事態の拡大や欧米列強との衝突を極力避けようとしたと」してるが、「必ずしも全てが間違いではないが、天皇は事態を憂慮しつつも、大日本帝国の勢力圏・領土の拡張を常に容認してきたことも確かである」と書いている。

 

「マキャベリズムはいやだが八紘一宇ならばよいという論理で、(中略)穏やかに見えるやり方で大日本帝国が膨張すること、日本軍の威武を内外に示すことは何等否定するものではなかった」とも著者は書いている。


 さらに、「マレーシア・シンガポール・インドネシアの各国にあたる領域は、すべて「帝国領土ト決定シ重要資源の供給地」とすると決定されたにもかかわらず、この「日本の領土変更≂拡張を意味するきわめて重要な決定事項を「実録」は記述していない」という。
 つまり、「「実録は、私たちが掘り起こし、継承し、歴史化していかなければならない<記憶>を逆説的に教えてくれるテキストである」と著者は言う。

 

「あとがき」の最後で、著者は、「当時の天皇を頂点とする仕組みは、大戦争を行うにはあまりにもキャパシティーに乏しく、刻一刻変化する戦況に対応するにはあまりにも風通しの悪い硬直したものであった。「実録」を読みながら、システムとして状況に対応できない日本のあり方が改めて浮き彫りになったといえよう」とする。
 的確な結論かもしれないが、やや穏当すぎるような気もする。