夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

人間の肉体が滅した後の存在は如何なるものか?    霊魂の浄化・・・其の五  

2018年01月20日 17時51分58秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
年を重ねて行くと、人生を振り返るよりも是から先のことを考えることが多いようですね!

世間では『終活』と云う合理的な考え方が広まっています。

古代より死後の観念が神話、仏教説話より引継がれています。

生きている間から『死後の存在(生活)』を知ることは

是からさき人生を明るく生きていく上で大切なことであります。

『転ばぬ先の杖』と言う言葉がありますように死後の存在を理解しておくことは

今の生活をより良い心で暮らす事にもなります。

また『素晴らしい人間の本来の姿(実相)』を知るきっかけにもなります。


日本の古代における他界観念     

日本の古代における他界観念は、内陸部(山間部を含む)、及び海岸等の沿岸部とでは

死後の世界の観念が違っていたようであります。

内陸部では居住している場所、村落から近くの山中、又は地下が死後の『魂』がいく場所とされたいました。
 
沿岸部では海岸沿いの洞窟、海の彼方や海底を他界の観念としていました。

万葉集にあらわれた葬制、他界観、霊魂観。

明瞭に魂の昇天をうたったのが万葉集 167 に歌われています。

万葉集 167 日並皇子尊の殯宮の時、柿本朝臣人麻呂作る歌に

・・・・・神の命 天雲の 八重かき別きて 神下し 座せまつりし 高照らす 

日の皇子は 飛鳥の 浄の宮に 神ながら 太敷きまして 天皇の 敷きます國と 

天の原 石門を開き 神あがり あがり あがり座しぬ わが王 天の下 知らしめしせば・・・・・

『天の原 石門を開き』は現実の横口式石槨の入り口ではなく、

観念の上では高天原の石の入り口(天の岩屋戸)を意味している。

この歌では明らかに死後に天武天皇の魂は昇天したとうたわれている。

このような観念が、歴代の天皇を天照大御神の子孫とする

『皇御孫の命』(すめみまのみこと)の意識が生まれたのだろう。

大嘗祭の本義とも密接に関わるところがある。



地下を他界とする観念は『古事記』、『日本書記』に

火之迦具土神を生んで火傷で『神避りしぬ』・・・・・(死に絶えた)伊邪那美神に逢うために

伊邪那岐神が死者の国である黄泉国(よもつくに)に行き、

伊邪那美神の凄まじい姿をみられた。

日本民族は此処にも『死』は生命の移行に過ぎず『永遠の死』を見なかったのです。



古代中期から中世になると、『山中他界観念』は恐山のように霊山の成立に結びついていく。

仏教の他界観の影響が浸透して、山中に極楽、地獄があるような観念がひろがっていきました。








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