夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
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子供の自尊心・・・優しい愛撫と愛の表現 &『無力の理性』と『心情の底力』

2018年03月18日 22時01分24秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
娘が職場で上司から次へのスキルアップを呼びかけれ、

受けて良いものかと相談があり、それを受けると新たなる事象が発生するので、

それに対応することが出来るのかと迷っていました。

未来のことは未来が解決するのであるから、

未来のことについて心配せず、

スキルアップを恐れずに受けて、

『今置かれた位置』を『亀さん』のように

一歩一歩ゆっくり歩むことがよい結果を得ることが出来ます。

そして他の人の仕事を手助けたり、

教えることは他の人の喜びとなり徳となり、

その喜びと徳があなたに巡り巡り廻ってきますよと答えました。



『無力の理性』と『心情の底力』

無意識はいつもあらかじめ存在しているのであります

祖先の生活を後代の子孫から説明するには、本末を転倒しているでしょう。

したがってまた、無意識を意識に因果的に依存しているとみなすのも、

私は間違っていると思うのであります。

むしろその逆のやりかたがただしいのではないかと思われます。



火が私の体をこがすならば、火の実在性を疑いません。

ところが幽霊が出るという恐怖を私がもっているとすれば、

私が単なる幻想に過ぎないという考えに逃避しょうとします。

幽霊に対する私の恐怖も、精神的な起源をもつ心的形象であって、

火と同じように実在性をもっているのです。

というのは幽霊が私に現実の恐怖を与えることは、

火が私に現実の苦痛を起すのとまったく同じであります。



感覚に映る真理は『理性』を満足させるかもしれませんが、

『心情』も捕え、これに表情を与えるような人生の意味は、決して生みださないのです。

けれども『心情の力』は、善しきにつけ悪しきにつけ、

主として、そして最終的にものごとを決定する要因であることが、非常に多いのです。

けれども、もしもこれらの力が私たちの理性に応援に駆けつけないならば、

理性もたいていみずから無力を暴露してしまうのです。

『理性とか善意』とかいうものが、世界大戦やその他の破局的な愚行から私たち守ったためしがありましょうか。



もし心理学者が重大な過ちを犯すまいと思うならば、

『道徳的な態度』こそ彼が考慮すべき実在的な要因なのです。

合理的に論証できぬある種の宗教的信念が多くの人々にとっては、

死活の問題であるという事実についても、これと同じことがいえます。

それからまた、精神的な実在が病気を起したり、病気をなおしたりすることもあります。

文明民族の場合に、精神的な一般表象が部分的に欠如していたり、

これを否認したりすることは、退化の兆候と考えねばなりません。

1934 カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)


子供の自尊心

子供の怠惰、朝寝、不勉強は権力者に対する無言の反抗であることがある。

大人でも権力で拘束せられる場合は、無言の怠惰―ハンガーストライキ、サボタージュを行う。

子供の怠惰も必ずしも人格の低下のしるしではない。

それは子供の自尊心の強さから、

自尊心を傷けられたことに対する反抗心の顕われであることもあるし、

先生や、親や、友達が認めてくれない絶望からの自暴自棄であることもある。


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