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貝原益軒の養生訓―総論下―解説 029 (修正版)

2015-07-21 16:13:07 | 貝原益軒の養生訓 (修正版)
(原文)

華陀が言に、人の身は労動すべし。労動すれば穀気きえて、血脈流通す、といへり。およそ人の身、慾をすくなくし、時々身をうごかし、手足をはたらかし、歩行して久しく一所に安坐せざれば、血気めぐりて滞らず。養生の要務なり。日々かくのごとくすべし。呂氏春秋曰、流水腐らず、戸枢螻まざるは、動けば也。形気もまた然り。いふ意は、流水はくさらず、たまり水はくさる。から戸のぢくの下のくるゝは虫くはず。此二のものはつねにうごくゆへ、わざはひなし。人の身も亦かくのごとし。一所に久しく安坐してうごかざれば、飲食とゞこほり、気血めぐらずして病を生ず。食後にふすと、昼臥すと、尤、禁ずべし。夜も飲食の消化せざる内に早くふせば、気をふさぎ病を生ず。是養生の道におゐて尤いむべし。

千金方に曰、養生の道、久しく行き、久しく坐し、久しく臥し、久しく視ることなかれ。

(解説)

 華陀とは名医の代名詞的存在にもなっていて、『三国志』にも登場し、曹操の権力にも屈服しなかった医師です。彼は「麻沸散」と呼ぶ麻酔薬を使用し、腹や背を切り開き内臓を治療するなどの外科手術をしていたことでも知られていますが、養生の術にも長けていました。華佗については、『後漢書』方術列伝下に記されています。

華佗は字を元化。沛国譙人なり。一名を歸 。徐土に遊学す。数経に兼通し。養性之術に曉る。年は百歳に且く、猶ほ壮容有り。時の人以って仙と為す。

 華陀は、百歳近くになってもその容貌は壮年の頃のようであり、「養性之術に曉」り、同じ時代の人々は彼を仙人のようであると言っていたのです。その華陀はこう述べました。

人体は労動を欲す。但し當に使極すべからず。動搖せば則ち穀氣は銷ゆ。血脈は流通す。病は生せず。譬えば猶ほ戸枢の終に朽ざるなり。

 と言うわけで、華佗以前の古の仙人は体を動かす体操「導引術」をあみだしたのですが、それは難しいので、華陀は「五禽之戯」と名づけた簡単な健康体操を推奨しました。それは、虎・鹿・熊・猿・鳥を真似て行なうもので、これを毎日続けると、九十歳になっても耳目聰明で歯牙完堅な身体を維持できると説きました。

 『千金方』は「総論上」でも出てきましたが、ここの出典は「道林養性第二」からです。『千金方』ではこう続きます。

久しく視るは血を傷る。久しく臥すは気を傷る。久しく立つは骨を傷る。久しく坐すは肉を傷る。久しく行ふは筋を傷る。

 ずっと横になって寝てばかりいればやる気が失せて行動する意欲がなくなり、ずっと立ちっぱなしの生活をつづけていると、腰痛や脊椎の圧迫骨折などが起こり、ずっと座ってばかりいると、大腿四頭筋や腓腹筋など目に見えて減少していき、休むことなく運動を続ければ筋肉・腱などを痛めます。ここまでは具体的に観察できるものです。しかし、「久しく視るは血を傷る」とはどういうことでしょうか。目で見ることを続けても、実際に出血することも貧血になることもないでしょう。

 そもそもこの記載は、『素問』宣明五気篇の一文が由来です(『千金方』は唐代、『素問』は漢代頃の書)。この篇の根底には五行学説が流れており、これは何でも五つに分類し、その関係性を考察し、一般化し、抽象的な理論になったものです。この五行説を利用した医学理論には、具体的な現象、事例とともに、理論的にそうあるべきだという演繹的帰結が混在しています。この「久視・・・」もその一つかもしれません。

(ムガク)

(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)


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