このたびはご移転などで戻ってきた方4件を除き、
お送りしたみなさんからのご返信が全着致しました。
暖かいカードや付箋お手紙なども添えていただき、
到底予想もしていなかった凄い結果に驚きました。
「板橋さんの応援団って全国にいらっしゃるんですね。」
地元の社会福祉士さんが泣きそうな顔で言ってくれました。
みなさんのご厚意心より感謝申し上げます。
提出を1日前倒しして本日発送できました。
これが揃って更にそれから審査なのですが、
みなさん本当にここまでどうもありがとうございます。
さて、ここで私が五年ほど前に作っていた、
マグネットなどの「猫の手作りグッズ」について、
一言申し上げておきたいと思います。
その頃はまだ現在の「猫ブーム」の前で、
岩合さんの写真展などに売り場が設けられても、
いつも同じグッズしか並んでいませんでした。
今ではいろんな芸術家やイラストレーターの作品、
それにいろんな製造方法の作品も登場して、
猫グッズの売り場もイベント数も増えて、
本当に賑やかで楽しい売り場が併設されています。
それはある意味「自分の夢は叶っている」ということです。
「こんなグッズがあったらいいのに。」
「ああ、みんなそういうグッズが好きなんだ。」
おもちゃ店を任されていた私は猫グッズについても、
ずっと私なりのこだわりの売り場・商品などがありました。
それが「猫のあしあと団」でした。
亡くなった猫の代わりにそこに飾っておきたいもの、
佐山泰弘さんがそういう作品をお作りになってることを知り、
実際にその作品を拝見した時の気持ちは、
「ああ、そういう方がいてくださってよかった。」
どんどん新人作家さんも登場してきて本当に嬉しい、
自分では買えないけど。
でも買える人は買ってあげて欲しい。
こんな素晴らしい作品を作ってくれた作家さんが、
たくさん売れてやっと元が取れるような材料を使って、
出展料まで払って展示しに来てくれているのに、
見るだけ見て何も買わないのは本当に残念。
生き残っていける作家さんが少ないことはわかっているけど。
そうして自分の出る幕もなくなった。
「自分である必要がなくなってよかった」、ということです。
猫の写真も。
地域猫はどんどん減ってきて、
そのへんをトコトコ歩いている猫は、
五年前に比べたら本当に少なくなりました。
そのことは本当に残念です。
私は一般的な保護猫団体や、
動物保護を公約にした小池都知事らとは、
猫に対する考え方がだいぶ違います。
小池都知事は「ペット問題」と言いますが、
犬の問題と猫の問題はぜんぜん違います。
江戸川区の保護団体を名乗る人たちもそうです。
確かに「飼い猫向きの世の中」にはなってきました。
公園の隅に、橋の下に、駐輪場に、
誰がお世話してるのかわからない、
周囲の住民には嫌われながらもひっそり生きている、
それを確認した知らぬ人同士が微笑み合って、
「あなたもこの猫に会いに来たのね」と、
自然と生まれる地域の人同士の触れ合いとか。
そういうことをどの猫写真家よりも伝えたかったのです。
地域猫はそうして人の役に立っているのだから、
どこにも一定数必要だから大事にしようと、
そう願っている人たちは少なくありません。
でも河原の猫を大事にしているホームレスの人たちは、
写真を作品として発表したり保護を訴えたりしません。
毎日毎日猫の様子を確認できればそれでいいのです。
その人たちは猫を保護するためのお金がありません。
広報活動はできないから、
自分の食費を削って一緒に生きようと、
そういう地味で倹しい人たちと、
あの巨大な黒い塔に住む小池都知事が、
この深い深い格差を越えて、
共に議論できる場がどこにあるでしょうか。
「それいいね!大事だね!」とみんな言うけど、
ミルクボランティアの人たちのタダ働きは、
いったいどこまで耐えられるのでしょうか。
寄付によって支えられている、
国や自治体によって支えられていないから。
そういうことではありませんか?
6割生きてれば4割死んでもいいか、
9割生きてれば1割死んでもいいか、その逆は?
もちろん10割が幸せに生きて行くのが、
いいに決まっているのではないんでしょうか?
それらを同じと思うかぜんぜん違うと思うか、
「その程度の違い」は「実に大きな違い」だと思います。
「何言ってるのかわからない」のではなく、
そこを理解してもらわないと、
永久に猫問題が解決することはないと思います。
そのことがもっとよく伝わるように、
自分も努力して行かなければいけないのだと思います。
このたびは応援団のみなさま、本当にありがとうございました。