武弘・Takehiroの部屋

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“生涯一記者”は あらゆる分野で 真実を追求する

サハリン物語(7)

2024年04月22日 03時39分00秒 | 小説『サハリン物語』

マミヤリンゾウ司令官に率いられた艦隊はオホーツク海に出ると、海岸沿いにほぼ真っすぐ北上しました。兵員は3千人程度とマオカ上陸の時の半分ぐらいですが、一騎当千の“つわもの”が多く士気は旺盛でした。戦況が味方に完全に有利になったことが、さらに勢いをつけていたのでしょう。
陸軍は幾つかの部隊に分かれましたが、カラフト軍ではやはりジューコフ将軍の部隊が勇猛果敢に戦いました。スパシーバは王子とはいえ、実戦ではジューコフ将軍の指揮下に入ります。彼は首都・トヨハラにいても差し支えないのですが、じっと待機しているのが苦手でいつも戦場に出てきました。それに今回の大動乱の原因は、自分がリューバ姫を奪ったことにあると自覚し、責任を感じていたのです。だから、可愛いマトリョーシカが成長する姿を見るのもそこそこに、たえず前線へと出ていったのです。
他方、ヤマト軍の方はミヤザワケンジ指揮官が司令官に昇格し、一軍を率いていました。海のマミヤリンゾウに対して、陸のミヤザワケンジと言ったところでしょうか。 余談ですが、ある時、カラフト軍のジューコフ将軍がミヤザワ司令官に、ヤマト軍のあの“空気球”はどうしたら作れるのかと質しました。しかし、ミヤザワ司令官は「これだけは軍事機密なので、教えられません」と答えたそうです。共に連合軍として戦っているのに、軍事機密というのはやはり重大なことなんですね(笑)。

ともあれ、カラフト・ヤマト連合軍は敵の拠点を次々に制圧し、敵の本営があるクシュンナイに迫りました。そこにはスターリン総司令官ら軍首脳がいましたが、スターリンもヤマト軍の空気球には驚いていたのです。何とかしてあの「飛行物体」を撃ち落さなければなりません。彼は部下の将軍や軍事専門家を集め対策を協議しましたが、これといった妙案は出てきません。結局、強弓(ごうきゅう)に火矢を仕掛けて射るしかないということになりました。しかし、かなり高い所を飛んでくる空気球を撃ち落す強弓は、まだ軍にはありません。スターリンは、早急に強弓を開発するよう部下に命じたのです。
そうこうするうちに、カラフト・ヤマト軍がロマンス・シベリア軍の本営を攻撃してきました。空気球が活躍したことは言うまでもありませんが、ジューコフ将軍らの突撃命令にロマンス・シベリア軍は防戦一方になり、やがて本営も撃ち破られ敗退していったのです。

 一方、マミヤリンゾウ司令官の艦隊は東海岸のシスカに迫りました。マオカ上陸の時と違って、今回は満潮や霧の発生をあまり気にしていませんでした。それは、シスカの周辺にロマンス・シベリア軍がほとんどいないことが分かっていたからです。 それでも満潮時を狙ってマミヤ艦隊は陸に近づき、敵の攻撃を受けることなく全員無事に上陸しました。マミヤ軍はそこから内陸部に進撃し、敗走する敵部隊を待ち構えることになったのです。
クシュンナイが陥落して、ロマンス・シベリア軍は一路 北へ逃げざるをえません。その頃になると、度重なる敗戦で脱走兵も多くなり、軍の規律が乱れてきました。スターリン総司令官は形勢が極めて不利と見て、かなり北方にあるエストルを次の拠点に決めました。エストルはタタール海峡に面した西海岸の要衝で、ここでカラフト・ヤマト軍を迎え撃つ作戦を取ったのです。

ところで、カラフト国のヒゲモジャ王は、スパシーバ王子とリューバ姫の結婚を公表していませんでしたが、クシュンナイが陥落すると一段落と思ったのか、この結婚を公式に発表しました。カラフト国内では他国の異性との婚姻は正式に認められていなかったので、これは大変な出来事だったのです。古くからの因習を打ち破るというのは容易なことではありません。必ず抵抗や妨害が起きます。
しかし、スパシーバとリューバ姫が一子を儲けた現在、王は現実的で前向きな対応を取らざるをえなかったのでしょう。これに対して、こころよく思わない人も大勢いました。保守的な人はほとんどがそうです。 以前、リューバ姫の居所を敵側に内通したゲジゲジサタンも、もとはと言えば2人の結婚をこころよく思っていなかったのです。彼は極めて保守的な重臣でしたから。
しかし、王室自ら他国の異性との結婚を認めたことは、封建的なカラフト国に新風を吹き込んだことになります。これを改革と見るか、秩序の破壊と見るかはそれぞれの立場で異なるでしょう。 ただし、スパシーバとリューバ姫の結婚を正式に認めるよう王に働きかけたのは、娘のナターシャ姫とソーニャ王妃でした。この2人の説得がなかったなら、ヒゲモジャ王の決断はもっと遅れたかもしれません。 こうして他国の異性との結婚が認められ、カラフト国は以前よりも自由な雰囲気になりました。でも、娘のナターシャがやがてヤマト国の誰かと結ばれようとは、さすがのヒゲモジャ王もまだ夢にも思わなかったでしょう。

 ロマンス・シベリア軍は西海岸の要衝・エストルへ撤退しました。当然、カラフト・ヤマト軍はそこを攻撃するわけですが、タケルノミコト大将軍はマミヤリンゾウ軍の来援を待ちます。タケルノミコトはオオドマリでも行なったように、ここでも大包囲作戦を考えていました。したがって、補給を十分に整えじっくりと進撃していったのです。
一方、ロマンス・シベリア軍はエストルで敗れれば、もう北緯50度の国境線へと退却せざるをえません。何がなんでもここを死守しようと、万全の態勢を固めていました。得意の火矢を十分に用意し、新たに“騎兵部隊”もつくりました。この騎兵部隊はシベリア軍の伝統的な戦法で、ロマンス軍の協力を得て編成したものです。敵が攻めてきたら、両翼に部隊を配置し、むしろこちらから打って出ようという作戦でした。

 やがて、タケルノミコトが率いるカラフト・ヤマト軍がエストルに到着しました。しかし、すぐに攻撃を仕掛けません。彼はマミヤリンゾウ軍が敵の背後に回り込むのを待っていたのです。 シスカに上陸したマミヤ軍ですが、東海岸から西海岸まではかなりの道のりがある上、この地域は「山並み」が広がっていてスムーズに進軍はできません。かなりの時間を要するのです。
カラフト・ヤマト軍がすぐ攻撃に出てこないので、戦線は膠着(こうちゃく)状態になりました。いわば持久戦のようになったのです。持久戦になれば、補給路がしっかりしているカラフト・ヤマト側の方が有利になると見られますが、相手のスターリン総司令官も十分な態勢を取っていたので、長期戦に耐えられる力を持っていました。こうして10数日がたち、マミヤリンゾウ軍がようやくエストルに近づいてきました。それでも、タケルノミコトは攻撃命令を発しません。
実は、彼は“奇策”を練っていたのです。敵を一気に壊滅させるには、例の空気球からの攻撃ぐらいでは無理です。相手ももう驚かないでしょう。空気球を撃ち落とす強弓などを用意しているはずです。事実、スターリンはその準備に取りかかっていました。しかも、兵力はまだロマンス・シベリア側の方が多いぐらいです。 そこで、タケルノミコトがミヤザワケンジ司令官と相談したところ、ミヤザワ司令官はぜひ「火牛」の戦術を使うべきだと進言したのです。

火牛の戦術とは、多くの牛の角に剣を、また尻尾には松明(たいまつ)をくくりつけ敵に襲いかかるというものです。古来、中国などで用いられた戦法で、松明で尻に火がついた牛は敵陣に突進していきます。何十頭という牛の群れが突進していけば、敵は必ず大混乱に陥るでしょう。ミヤザワ司令官の進言に、タケルノミコトもこれを了承しました。
エストルの周辺では牛が数多く飼われていましたが、ミヤザワ司令官はカラフト軍の協力を得て、百数十頭の牛を用意しました。あとはいつ攻撃を仕掛けるかです。援軍のマミヤリンゾウ軍が敵の背後に回ったことを確認すると、タケルノミコトは“深夜”に火牛の戦術をとることを決めました。そして、その時がきたのです。
合図とともに、尻に火がついた百数十頭の牛が剣先をそろえて敵陣に突進しました。怒り狂った牛の突進に、ロマンス・シベリア軍の陣営はひとたまりもありません。剣に刺される者、牛に跳ね飛ばされる者が続出しましたが、松明の火の粉が飛び散り火災も起きたのです。案の定、敵は大混乱に陥りました。火牛の突進の後から、もちろんカラフト・ヤマト軍が総攻撃をかけます。勝敗ははっきりとしました。ロマンス・シベリア軍は支えきれなくなり敗退したのでした。
これとほぼ同時に、敵の背後に回ったマミヤリンゾウ軍も猛攻撃をかけました。ロマンス・シベリア軍は総崩れとなり、兵士は四方八方へと落ち延びるしかありません。こうして、エストルの戦いはカラフト・ヤマト軍の圧勝に終わり、北緯50度の国境へと進撃していったのです。

さて、カラフト国が領土を回復した後はどうするのか、前にも述べましたが、カラフト・ヤマト両国の間では意見が割れていました。ヤマト側の考えは、このままロマンス国に侵入してこれを倒し、シベリア帝国の影響力を根こそぎ排除しようというものでした。しかし、カラフト側は違います。戦乱で国土が非常に荒廃し、これ以上戦いを続けるのは国力を損なうだけです。
ヒゲモジャ王はロマンス国との「停戦」を望んでいました。たぶん、ロマンス国のツルハゲ王も同じ考えだったでしょう。2人の王は、スパシーバ王子とリューバ姫が孫(マトリョーシカ)を生んでくれたことで、考えがずいぶん変わってきたのです。王子と姫の結婚は、もう“事実”として認めざるをえません。そうなると、両国の和平にとってむしろ好都合だと言えます。結果的に、政略結婚が成立するわけです。これは将来のサハリンの平和的な統一へ向けても、プラスになるでしょう。ところが、事態は思わぬ方向へと進んでいくのです。

 カラフト国が北緯50度線の国境を回復したことから、ロマンス国との間で停戦の気運が高まってきました。ヤマト・シベリア両帝国には違った思惑があるのですが、戦争の直接の当事者がそういう意向だとこれを無視するわけにはいきません。先はどうなるか分からなくても、とりあえず停戦交渉に応じることになりました。両国内には厭戦気分も高まっていたのです。
そして以前、交渉が行なわれた国境近くの同じ場所で会議が始まりました。カラフト・ロマンス両国からイワーノフ、ラスプーチン両宰相が出席、またスパシーバ王子もかつて交渉に臨んだ経験があるため同席しました。この他、ヤマト帝国を代表してタケルノミコト大将軍も出席しましたが、当然現われるはずのシベリア帝国のスターリン総司令官の姿が見えません。
実はこの時、スターリンは大急ぎでシベリアの首都・ヤクーツクへ向かっていたのでした。それは、イワン・レーニン皇帝が危篤状態に陥ったからです。前にも言いましたが、皇帝は脳卒中で倒れたあと療養していたものの、症状が悪化していよいよ臨終まぢかとなり、帝国内の将軍や重臣らが馳せ参じているところでした。スターリンも遅れを取ってはなりません。腹心のガガーリン将軍らを連れ急いで帰国したのです。

ところが、この情報がロマンス国に入っていた“密偵”からカラフト側にもたらされました。当然、タケルノミコトもそれを知ったのです。スターリン総司令官がいない! しかも、ガガーリン将軍らも帰国しているなら、シベリア軍は極めて手薄な状況になったと判断できます。さらに密偵が調べると、シベリア軍の残存部隊を指揮しているのはチェーホフ将軍だけで、兵力も以前の半分ぐらいに減ったというのです。
これを聞いて、タケルノミコトだけでなくカラフト国のジュ-コフ将軍らも、今が「攻め時」だと判断しました。敵は完全に劣勢に立たされているのです。ヒゲモジャ王やイワーノフ宰相は“和平派”でしたが、ジュ-コフ将軍ら軍人は違いました。さんざん攻撃され、あわや国が滅亡寸前にまで追い込まれたのは敵のせいです。しかも、ジュ-コフらはいつも実戦の矢面(やおもて)に立たされていました。こんな絶好の機会はありません。今こそロマンス国に攻め込むべきたと考えました。また、スパシーバ王子も絶えず戦線に出て苦労していたので、どちらかと言うとジュ-コフらに近い考えを持っていたのです。

戦争の話ばかり続いたので、ここで話題を変えましょう。停戦交渉にタケルノミコトが出席したので、留守を預かるスサノオノミコトは首都・トヨハラにいました。束の間の平和が訪れたのです。彼は「仮王宮」に何度も足を運び、憧れのナターシャ姫に面会を申し入れました。ところが、姫の侍女頭であるカリーナがその都度、姫はいま都合が悪いので会えないと断るのでした。実はカリーナは、ヤマト帝国の人たちに非常な警戒心を持っていたのです。スサノオノミコトがナターシャ姫に好意を抱いていることは知っていましたが、だからこそ余計に警戒心を強め面会を邪魔していました。
それをうすうす感づいたスサノオノミコトは、ある日、カリーナがいない頃を見計らって仮王宮を訪れました。今度はベルカという侍女が応対しましたが、彼女はこころよく彼を迎え入れました。ベルカは故オテンバ姫の親友でしたが、彼女が戦いで亡くなった後、ナターシャ姫に仕えていたのです。ようやく姫に会えたスサノオノミコトは、凱旋の報告をした後で、肝心の“お願い”をすることになりました。彼はひたむきに包み隠さず、自分の愛する想いを姫に伝えました。そうです。求婚のお願いでした。ナターシャの方も以前から、スサノオノミコトの好意を受け止めていたので、彼の“お願い”に違和感はありませんでした。彼女も彼に好感を抱いていたのです。

ただ、ナターシャは言いました。「父母や兄の了承を得なければなりません」 これは当然のことでしょう。スサノオノミコトもそれを素直に受け入れました。その後、2人は長い間 話し合いましたが、ナターシャはこの件については兄のスパシーバ王子が停戦交渉から戻ったら、まず彼に伝えたいと述べました。ナターシャにとっても兄は最も頼りになる人だったのです。
いくら王室が自由で開かれた所になったとはいえ、他国の異性と結婚できないという「掟」がつい先頃まで続いていたのです。それを打ち破ったのはスパシーバとリューバ姫でしたが、王女がヤマト帝国に嫁ぐとなると、父王夫妻がどう考えるか分かったものではありません。ナターシャがまず兄の了解を取り付けようというのは、当然だったでしょう。その方が上手くいくと思ったからです。 しかし、その間にカラフト・ロマンス両国の関係は再び緊迫の度を強めていきました。

 スターリン総司令官がシベリア軍のほぼ半分を引き連れて帰国したという情報は、カラフト・ヤマト側の主戦論をがぜん高めました。停戦交渉の主席代表であるイワーノフ宰相は和平派でしたが、タケルノミコトやジューコフ将軍の意向に押され、次第にロマンス国へ“難題”を突きつけるようになったのです。
それは、国境線をより北側(ロマンス側)に設けるとか、ロマンス国内にカラフト国の治外法権区域を設定するなどの強硬なものでした。つまり、停戦条件を厳しくすることで、カラフト側の国益を得ようというものです。これにはロマンス側も困り果て、譲歩するか突っぱねるかで意見が割れました。
この話を聞いたロマンス国のジェルジンスキー将軍は烈火のごとく怒りました。彼は正義感の強い熱血漢なので、そんな理不尽な要求をしてくるなら、カラフト国ともう一度戦えと主張したのです。主席代表のラスプーチン宰相はますます困り、ツルハゲ王に使者を出して裁断を仰ぐことになりました。ところが、ツルハゲ王もなかなか決断ができません。王は今や和平派でしたが、カラフト側の条件を呑むことは余りにも屈辱的な外交になります。どうしようかと迷っているうちに、とんでもないことが起きました。

ジェルジンスキー将軍が率いる一軍が国境を越え、カラフト側の陣地を攻撃したのです。ジェルジンスキーにしてみればもう我慢ができず、ロマンス側の不甲斐ない外交姿勢に活を入れるためにやったのでしょうが、これはカラフト側を大いに怒らせました。ジェルジンスキーへの処罰を要求したのです。また当然、ロマンス国を討つべしという強硬論が高まってきました。
停戦交渉中の武力行使は言語道断で許されるものではありません。しかし、カラフト側の停戦条件が余りにも厳しくなったことが最大の原因でしょう。これではロマンス側も受け入れるわけにはいきません。 ジェルジンスキーの処罰をどうするかで協議している最中に、カラフト側はついに軍事行動を起こしました。イワーノフ宰相はもう匙(さじ)を投げた形で交渉を打ち切り、替わってタケルノミコトとジューコフ将軍が前面に出てきました。2人はスターリンがいない今こそ、ロマンス国を制圧できるチャンスだと判断したのです。こうして停戦交渉は失敗に終わり、再び両国の戦闘が始まりました。


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