MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1071 若者言葉とハイパーコンテクスト

2018年05月20日 | 社会・経済


 今年で31回目を迎える第一生命の「サラリーマン川柳」に『新人に メールで指示して 返事は「りょ」』(定年間近)というものがありました。

 確かに、若者などの間では、LINEなどで「了解」と書くのを「りょ」と省略するのはもはや定番で、「まいナビ」が昨年6月に行ったアンケート調査では大学生の約5割が「普通に使っている」と回答しているということです。

 中には「りょ」だけでは飽き足らず「り」だけで済ますなど、スマホの普及に伴って言葉の短縮化は驚異的な勢いで進んでいるようです。

 例えば、「MJK」は「マ(M)ジ(J)か(K)」の略で、「ありがとうございます」は「あざお」まで縮んでいます。さらに、チャットなどで「いやいや、お前はそれ言う資格ないやろ」とツッコむときには、「おまいう」と打てば通じるのだそうです。

 昔から若者言葉というのは、仲間内だけで通じる微妙なニュアンスを伝え「ウケる~」と広がっていくものだと思っていましたが、どうやら最近のLINEなどの普及によって、「短縮系」のものが主流になりつつあるようです。

 3月29日のWebメディア「citrus」を覗くと、コミュニケーション研究科の藤田尚弓氏が「ハイコンテクストすぎる若者言葉を前にオトナたちはどうすればいい?」と題する興味深いレポートが掲載されていました。

 氏によれば、若者の間では「コンビニで買ったプリン、ちょーヤバイ(語彙力)」のような言い回しが流行っているということです。

 これは「コンビニで買ったプリンがすごくおいしいんだけど、(残念ながら)それを伝える語彙力がない」というふうに読むのだとのこと。

 しばしば、若者の使う言葉から表現力の低下を嘆く(オジサンたちの)論評を目にしますが、こうした若者言葉を丁寧に拾ってみると、微妙なニュアンスを持たせる表現を生み出し使い分けるなど、むしろ彼らは高度なコミュニケーションをしているようにも見えると、藤田氏はこのレポートに記しています。

 私たち日本人は、言葉の持つ意味だけでなく、雰囲気・表情・背景など、言葉以外の部分にも重きをおいて意味を理解するハイコンテクスト(High context:文脈の抽象度の高い)文化の中で生きていると藤田氏は指摘しています。

 例えば日本では、大きめの音で音楽を聴いているルームメイトに「明日は大事な試験なんだけど」と言えば、音を小さくしてほしいという意味であることは多くの人が理解します。

 しかし、同じ台詞をアメリカなどのローコンテクスト文化で育った人に言っても、「そうなんだ、頑張ってね」などと無邪気に励まされ意図を汲み取ってもらえない可能性が高いということです。

 藤田氏は、こうしたハイコンテクストなコミュニケーションに慣れている大人の日本人であっても、(さらにその上を行くハイパーコンテクストな)若者言葉はいかにも難解に聞こえるだろうとしています。

 例えば…ということで、氏はいくつかの若者言葉を挙げています。

 「先週からメンブレなんだよね」と言えば、「先週から(精神的に)参っていんるだよね」の意。「メンブレ」は「メンタルブレイク」の略で、ショックを受けた状態であることですが、でも深刻だとは思われたくなく、むしろかまってほしいニュアンスの状態を指すということです。

 次いで、「この服ぐうかわ」というものです。「ぐうかわ」はぐうの音も出ないほど可愛いの略で、「ヤバい」で表現される「すごい状態」よりも上の圧倒的な可愛いさを表現する言葉だとしています。

 さらに、「わかりみがある」という言葉はどうでしょう。これは、「わかる部分がある」というという意味で、「それわかる!」よりもマイルドな、「共感できる部分もある」といった程度のニュアンスを表現しているということです。

 日本語の乱れ云々という部分は置いておくとしても、このような若者のコミュニケーションはハイコンテクストに過ぎる部分があるとこのレポートで藤田氏は指摘しています。

 対人関係において常に相手との距離感を意識し、相手の内心に踏み込まないことを身上とするナイーブすぎる彼らの感性が、日本語をさらに細分化し様々に使い分けているということでしょうか。

 このレポートの作成に当たり、藤田氏は、若者世代(中学生、高校生、大学生、新社会人)へのヒアリングやツイッターの分析を通して、若者言葉を大きく5つにグルーピングしています。

 まずひとつ目が「ネット系」というもの。「フロリダ(風呂に入るからラインなどのチャットから離脱するね)」「うぽつ(アップロードお疲れさま)」など、主にSNSやYouTubeなどで使われる言葉だということです。

 次いで、ふたつ目が(先に述べた)「短縮系」のもの。「イキる(意気がるの略)」「マ?(マジ?の略)」など、元々ある言葉を短縮した言葉です。広く知られた「JK(女子高生の意味)」などもここに入るということです。

 三つ目は「人名系」というジャンル。「与謝野る(与謝野晶子の乱れ髪から、髪が乱れているの意味)」「小室る(小室哲哉から徹夜の意味)」など名前から転じて使われるものもあるということです。

 さらに四つ目が「ぼかし系」というもので、「~的な(~のような)」「~みがある(眠みがあるなど)」など、断言をさける言い方です。これは、使用場面を分析すると、責任回避だけでなく周囲への配慮も考慮されているように見えると氏は説明しています。

 そして最後が「程度系」というもの。「激おこ(かなり怒っている様子)」「なしよりのあり(なしに近いけどあり)」など、程度を細かく表しているのが特徴だということです。

 こうして見ると、しばしば“頭のよろしくない子の日本語の乱れ”と誤解されがちな若者言葉も、(平安時代の和歌ではありませんが)言葉遊びの要素が入っていたり、微妙なニュアンスを表すための使い分けがあったり、なかなか高度に使われていると藤田氏は指摘しています。

 実際に彼らの語彙力がどうかと言えば、2016年にベネッセコーポレーションが行った世代間の語彙力の差に関する調査では、(語彙力が)高い順に40~60代の社会人→大学生→20~30代の社会人→高校生の順になるとされているということです。

 一方、新語に絞った調査によると、若者世代は大人世代よりも当然ながら高い語彙力を有しており、一概に語彙力が少ないともいえないと藤田氏はしています。

 相手によっては敬語を使うなど、少なくとも現代の若者は(もしかしたら少し前の世代よりも)使用シーンについては理解しているので、大人世代は若者同士のコミュニケーションスタイルについてはそっと見守っていて良いのではないかというのが、この問題に対する藤田氏の見解です。

 とは言え、(先程の「りょ」の例ではありませんが)社会に出れば、様々な場面で大人のコミュニケーションが必要になるのも事実です。個人の持つ表現のバリエーションは、その人の教養や品格への評価にも影響することでしょう。

 (若者たちの新しいカルチャーを否定するばかりでなく)若者独自の言葉を見守りつつも、正しい日本語、大人社会を生き抜く語彙力をさりげなく見せてあげるのが、大人世代の責任ではないかとこのレポートを結ぶ藤田氏の指摘を、私も大変面白く読んだところです。




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