MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1045 エリートへの信頼

2018年04月18日 | 日記・エッセイ・コラム


 安倍首相や首相夫人への(官僚による)「忖度」があったのはないかと疑惑の目が向けられている「森友学園問題」や「加計学園問題」に加え、陸上自衛隊イラク派遣部隊の日報にかかる不適切な文書管理などの様々な問題が顕在化・長期化する中で、内閣支持率の低下に歯止めがかかりません。

 さらに、そこに今度は財務省事務次官のセクハラ問題なども加わって、近代日本の統治機構を担ってきた官僚制度への国民の不信感が、急激に高まっていると言えるでしょう。

 森友学園への国有地売却問題は、財務省の指示による決裁文書の書き換えが明らかになるという驚きの展開となり、多くの現役官僚やOBも公文書改ざんは「(常識的に)あり得ない」と指摘しています。

 財務省としては佐川宣寿理財局長(当時)個人の指示として収拾しようとしているようにも見えますが、(国会における関係者の答弁の様子などからも)国民の目に「組織ぐるみの不正行為」と映るのはやむを得ないことかもしれません。

 一方、前川文部科学省事務次官の更迭などにより一時は収まったかのように見えていた加計学園問題にも、ここに来て大きな進展がありました。

 同学校法人の獣医学部新設を巡り、柳瀬唯夫首相秘書官(当時)が愛媛県職員らと面会した際に「首相案件」と語ったとされる同県作成の文書がみつかったことで、「記憶の限り会っていない」としていた柳瀬氏の説明が揺らぐ可能性がでてきました。

 さらに、そこに加わった(官僚機構のトップを極めた)財務省の福田淳一事務次官によるセクハラ問題は、同次官の反応やその後の財務省、官邸の対応の拙さもあって、女性有権者の反発の火に油を注いでいる状況です。

 立て続けに発覚した官僚機構の(こうした)目を覆わんばかりの「劣化」を象徴する不祥事に対し、安倍首相は記者団の質問に答え、「信なくば立たず。国民の信頼を得るために、行政のトップである私自身が一つ一つの問題について、責任を持って必ず全容を解明し、うみを出し切っていく決意だ」と強調(4月17日)しました。

 しかし、こうして相次ぐ官僚機構トップの「情けない姿」に接している国民の不信感や諦念は、一朝一夕に払しょくできるものとも思えません。

 混迷する現状に関し、元TBS放送記者でジャーナリストの田中良紹氏は、4月17日のYahoo newsに「日本の統治機構を解体に向かわせるのは誰か」と題する興味深い論評を寄せています。

 言うまでもなく福田淳一氏は財務省トップの事務次官であり、佐川宣寿理氏は財務省の実質ナンバー2ともいうべき国税庁長官のポジションにいました。一方の柳瀬唯夫氏は、現在、経済産業省の(こちらもナンバー2の)経済産業審議官として安倍政権を支える要職にあり、いずれも官僚としての地位を極めた存在であるといってよいでしょう。

 財務省と経産省の中枢が(こうして)相次いで国会に喚問される事態は、日本の統治機構が現在まともに機能していないことを物語っているとこの論評で田中氏は語っています。

 改めて説明するまでもなく、財務省の前身である大蔵省と経産省の前身である通産省は、戦後の日本経済を牽引した輝かしい歴史を持っています。敗戦で焼け野原になった日本を繁栄に導き、高度経済成長によって世界一格差の少ない経済大国を作り上げたのは(我々)大蔵省と通産省の力だと、両省の官僚たちもプライドを持ってきたことでしょう。

 しかし、それが今や信じられない醜態をさらしていると田中氏は見ています。では、それは一体どうした理由によるものなのか。

 日本の「政官業」が「癒着」と批判されるのは、「政権交代がない」ということがその大きな理由ではないかと田中氏は考えています。

 政権交代がスムーズに行われる政治であれば、緊張感が生まれるので「腐敗」は起こりにくい。それは、逆に言えば長期にわたる単独政権は「腐敗」の土壌となりやすいということになります。

 55年体制の下で自民党の長期政権を支えてきた大蔵省もついには緊張感を失い、1998年に発覚した(いわゆる)「ノーパンしゃぶしゃぶ」事件などでその力を削がれ財務省と金融庁に分割された。護送船団方式で日本の産業を守ってきた通産省も、米国による規制緩和の圧力の下で力をそがれ、経済産業省に改組されたと田中氏は説明しています。

 それから20年の歳月が流れ、今度は通産省の後身である経産省が安倍総理を担ぎ上げ、アベノミクスなる「異形」の経済政策で大蔵省の後身である財務省に対抗したのが今回の構図ではないかというのが田中氏の見解です。

 氏は、財務省は国税庁という脱税摘発の強制権力と予算配分を通して、民主党への政権交代後の政権にも影響力を及ぼしてきたとしています。

 ところが政権を自民党に戻した安倍首相は、スタートから財務省を無視する形で経産省主導の人事配置を行った。政権の司令塔を今井秘書官ほか経産省出身の官僚で固め、財務省の財政健全化路線とは真逆の考えを持つ人々の影響の下で「アベノミクス」が打ち出されたということです。

 田中氏は、明治以降の日本で、これほど財務省(大蔵省)が政権に影響力を持てなくなったのはかつてなかったことだとこの論評に記しています。そして、そこに生まれた「焦り」のようなものが、「森友問題」で財務省が総理夫妻の機嫌を損ねないように忖度した背景にあると想像しているということです。

 なので、安倍総理が「関係があれば総理大臣も国会議員も辞める」と発言した際、佐川氏は必死に「関係がない」ことを主張して総理を守る姿勢を見せ、それが「改ざん」につながったのではないかと田中氏は言います。

 ところが安倍総理の強気の「全否定」は逆効果となり、問題は収束する気配を見せませんでした。そこで、官邸や与党は財務省を「悪者」に仕立てて逃げ切りを図る構図が見えてきたというのが、これまでの経緯に対する田中氏の見立てです。

 また、一覧のセクハラ疑惑で福田財務事務次官が官邸や与党の期待を裏切り(意地を張るように)疑惑を否定し続けている背景にも、そうした官邸の「仕打ち」に対する財務官僚としての「抵抗」があるようにも見えるということです。

 しかし一方で、安倍総理を担ぎ上げて官邸を牛耳った経産省にもダメージがないとは言えません。安倍内閣への支持率がこれまでにない低迷を続ける中、政権と運命を共にするしかない経産省にも、(柳瀬審議官の国会招致など)厳しい逆風が吹き始めているということです。

 財務省と経産省は、気が付けば彼らが様々に利用してきた安倍政権を道連れに、死に至る病に陥ろうとしていると田中氏はしています。

 もしも、氏のこうした指摘が正しいとすれば、安倍夫妻の「お友達」関係から生まれた(いたって子供じみた)構図である「森友・加計問題」が(さらに子供じみた)主導権争いの影響を受け、最終的に日本の頭脳集団とも言うべき官僚機構への信頼を大きく失墜させているのは極めて皮肉な結果と言えるでしょう。

 150年間にわたりエリートの手に委ねられてきた日本の「統治機構」は、実際、これほどまでに脆いものだったのか。

 穿ちすぎとの意見もあるでしょうが、若者たちの間で「大人」や「エリート」への信頼が失われていくのも(ある意味)当然のことかもしれないと、田中氏の今回の論評から私も改めて感じたところです。




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