老乱
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有吉佐和子の「恍惚の人」を最初に読んだのは、まだ20代のころで、全くの他人事だった。ババモンが呆けだしてから、読んだときは、身につまされたが、現代とはまた状況が違う古い小説だな、という印象は持った。
この「老乱」は、現代の認知症小説だ。
まだ私たちの記憶に新しい、「認知症老人の列車事故で、監督責任を問われた家族が、鉄道会社から賠償を迫られる」というニュースから物語は始まる。
息子家族と、老人本人の二つの視点から書かれている。
死ぬまで自由気ままに暮らしたい老人のエゴと、何かあったら自分たちが困る(家庭崩壊の恐れもある)と心配する子どもたちのエゴが、ぶつかる。
老いていく親の変化におたおたする家族の気持ちは、ものすごくわかる。
子どもたちが自分をぼけ老人のように扱うようになったことに傷つく、老人の気持ちも切ない。いろいろと世話を焼いてくれる代わりに、観察され、監視されているようにも感じる老人。うちのババモンも同じようなことを感じるのだろうな、と思う。
主人公の老人は男性だが、ババモンと似ているところも多々ある。毎日漢字の練習をして、「今日も漢字が書けたから大丈夫」と安心する心理。ババモンも、「自分が呆けているのか」と不安になるような出来事があったときは、とりつかれたように、漢字の雑誌に取り組むのだ。
「まだらボケ」についても、全く同じだ。おかしな言動をするときもあれば、呆けているとは思えない、しっかりしている日もある。
この本は、小説だから、最後はうまくまとまりすぎているところもあるが(泣ける結末だ)、細部は、介護家族にとって、「わかるわかる」と同意するところが多く、ほとんど一気読みだった。