真崎です

沖縄にいます

「こころ平穏に生きていく」には汗と涙と部活が必要

 

肩こりが、改善した。

 

いやいやいやいや。

まてまてまてまて。

 

まじかー!

そうきたかー!

 

もう肩こりが治るのとか諦めてた。高校の吹奏楽時代に発症してからもう丸12年目のお付き合い。クラリネットってめっちゃ肩こるんだって。

いまの仕事もパソコン作業だしFカップだし他人の目に対して神経質なの身体に出るし巨乳だし肩こりから逃れられる日がくるなんて思ってなかったからビックリしたよ。あとセブ行く前に下着買いに行ったら「もうすぐGですね」って言われたよ。その時は爆乳を名乗る。

 

 

最後のメンヘラナイトがいつだったか思い出せないけど、たぶん去年の春、沖縄移住を決める前後あたりはまだまだヘラってた。メニエール病もどき(脱水症状だった疑惑が濃厚)こじらせてた辺りは「もう1秒たりとも何かを頑張りたくない」みたいな精神状態だった。

 

 

去年のわたしは、頑張っていた。

 

他人様の努力に比べりゃなにを?って感じだけど、わたしは頑張っていた。立派なライターになるために頑張ろう頑張ろう頑張ろうとがむしゃらに仕事をしていた。そしていろいろ省略して最終的には「ただこころ平穏に生きていきたい」に願望がシフトした。

 

ロクな計画もなくこの半年ほどふらふらやってきたけど、いろんな縁と人の厚意によって結果的にいま肩こりが解消して「このまま朝が来なければいいのに」と思う夜も来なくて漠然とした”何か”に怯えることなく飄々と生きてるってことは、人生の路線チェンジはひとまず成功中ってことでいいと思う。

 

 

本題。 

 

 

 

「もったいない」

 

「平穏とか言いだすには早い」

「若いうちに頑張ったほうがいい」

「もっと東京で経験を積んだほうがいい」

「いろんな人と出会って視野を広げたほうがいい」

 

 

移住前からちょこちょこと発信してきた「こころ平穏に生きていきたい(だから沖縄へ行く、だから仕事は無理せず減らす)」に対して、ときどきこういったレスポンスをいただく。

 

たぶん「こころ平穏に生きていきたい」という言葉の響きは「刺激の少ない環境と安全な人間関係の中で無理せず粛々と隠居生活したい」に近い願望を連想させているのではと思った。違ったらすいません。

 

 

でも、だとしたら、それはNO。

 

理由の代わりに部活の話をする。

 

 

 

 

 

 

上記、私がここ1年で大人買いした漫画。

 

 

いま私のこころをいちばん揺さぶる存在は「部活に熱中する高校生」である。

 

もちろん漫画なのでフィクションだが、青空エールにおいては「初心者で吹奏楽部に入って経験者たちの中で奮闘するも2年生でひとりだけコンクールメンバー落ちして号泣」まで状況が被っている(しかし漫画と違って号泣時に胸を貸してくれる野球部のエースは不在)ため、完読までに5リットルは泣いた。

 

 

今は、とてもいい精神状態。

毎日楽しいなと思えて、悩みもない。

仕事も楽しく、気持ちよく活動できている。

 

 

でも、圧倒的に、足りない。

 

私は元来、超スポ根気質なのだ。 

 

 

「人生で一番充実していた時は?」

「それが”今”だと胸を張って答えられるか?」

 

自己啓発大好きな人たちに教えてもらったこの言葉を借りるなら、私の人生で一番充実していた時は 

 

・中学のソフトテニス部時代

・高校の吹奏楽部時代

・大学のバレーボールサークル時代

・同じく大学の教育NPO時代

 

ダサく潔く、秒でこの4つの時期だと答える。

残念ながら今ではない。 

 

今の日々を気に入ってはいる。

でも、目の前のボールや仲間や生徒と夢中で向き合って泣いて笑って感情ヨリドリミドリな毎日を過ごしていた、あの頃の「熱中する」という感覚を、今のわたしは持っていない。

 

 

もちろん部活は、楽しいことだけではない。

つらい練習もあったし仲間とも幾度となく言い争った。それこそ仕事と同じで「辞めたい」と漏らしたことも1度や2度ではない。

 

 

そう、つらかった。

めちゃくちゃしんどかった。

 

 

「もっと頑張ったほうがいい」

「いろいろ経験を積んだほうがいい」

 

善意で大きなお世話であるこれらの言葉通り、めっちゃ頑張って、いろんな経験を積んだ。

その結果、「優勝」や「入賞」などの成果、仲間と分かち合う感動、スキル面メンタル面での成長を得ることができた。

 

 

じゃあこの経験を仕事にも置き換えて。

去年の今頃、東京にいた頃のように。

つらくても頑張って、いろんな経験を積んで。

その先にある成果や感動をつかもう。

 

という話には、ならない。

 

 

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"目標を成し遂げるためには、やらなければならない事がいくつか出てくるね。それは大抵とても骨の折れることで、人はそれを努力と呼ぶ。"

 

”多くの人はここで辞めちゃう訳だな。壁が高すぎた、この道は自分に合ってなかったんだって。”

 

”私は、それでいいと思う。だって努力は苦しいじゃないか。それは皆同じだ。”

 

 

”問題なのは、イヤだと感じるかどうか。”

 

 

”夢への努力をイヤだなとか面倒だなとか感じたならば、もしかしたらその夢はそれほどやりたいことじゃないのかもしれない。だったらやめたっていいじゃないか。”

 

”キミは心の底から飛びたいと思っている。そういう人にだけピッタリの言葉があるよ。”

 

 

”努力を続けていれば、夢は叶う”

 

 

 (SKET DANCE29巻、竹内先生から航空部の飛鳥への言葉)

 

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部活は、つらいけど嫌じゃなかった。

ボールを打つのは楽しかったし、楽器を吹くのも楽しかったし、とにかく上手くなりたかったし、試合でも勝ち続けたかったし、優勝しまくりたかった。

 

未来を見据えて努力を重ねる、その”今”自体が楽しくて仕方なかった。とても刺激的で、ただただ夢中だった。

 

 

”今、イヤなこと”を頑張るのは「熱中」ではない。

 

将来への不安、つまるところ金と社会的評価への不安を動機に自分をだましだまし、なんなら「わたしは熱中している」と言い聞かせながら仕事をしてきた反動はどこかでくる。

会社を辞める前と沖縄移住前、私にはもうきた。

”今”を犠牲にした将来に執着する価値はない。

 

 

部活をしていた頃は「こころが平穏云々」などと考えるヒマもないほど”今”に夢中だった。その状態こそまさに「こころが平穏」だったのではと思っている。だってあの頃、毎日こころが沸き立って喜んでいたの、今になって分かるもの。

 

 

だから、ここで、話を戻す。

 

 

私は、こころ平穏に生きていきたい。

 

つまり私は、猛烈に「今に熱中」しながら生きていきたい。

 

 

中高大学時代のアツくて青臭いあの青春を、アラサーなこのタイミングで遠慮なく再現したい。何かに打ち込んで目標もって頑張って、できれば仲間と泣いたり笑ったり感動を分かち合うみたいなことを超したい。

 

その”何か”は仕事だったり会社だったりスポーツだったり人それぞれ違う。

 

 

わたしの「熱中できそうなことリスト」は増える。

スポーツに仕事にその他活動に、「ここに第2の青春かけてみたいな」と思えるものがたくさん浮かび上がる。

 

今もウズウズしている。帰国したらすぐ動く。

 

本当の意味で「こころ平穏に生きていく」ために、今年は「若いうちに頑張って」「いろんな経験を積む」を、全力で楽しく実施していく所存です。

 

 

真崎

 

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