日本は津波による大きな被害を受けるだろう UFOアガルタのシャンバラ

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日本人の白色好きはどうやら根が深い。柳田国男の『遠野物語』によると、日本民俗のなかで白はほとんど例外なく聖なる性格の象徴だという。(1)

2018-02-21 18:17:21 | 森羅万象

 

 

『異文化理解の落とし穴』 中国・日本・アメリカ

張競   岩波書店   2011/11/23

 

 

 

文化の境界を越えて異質な世界に入り込むとき、人はしばしば意外なことに出会い、新しい発見をする。>

<縁起のいい色、わるい色>

・まだ中国にいた頃のことである。ある日、友人の結婚式に出たら、とんでもないハプニングに出あった。花嫁はなんと白いドレスを身に着けて披露宴の会場に現れたのだ。わが目を疑ったのは花婿の父母や親類だけではない。列席者も一瞬はっとなり、しばらくなんともいえない沈黙がつづいた。この花嫁はもともと夫の実家とも関係がうまくいかず、結婚までに何度ももめごとを起こした。それだけに、白い服で結婚式にのぞんだのは夫の家族に対する呪いではないかと母親を勘ぐった。なぜ事前に断らず、そんな不吉な服を身に着けたのかと、両親は式のあと息子に説明を迫ったが、なぜ事前に断らず、そんな不吉な服を身に着けたのかと、両親は式のあと息子に説明を迫ったが、困り果てた友人は返す言葉もなかったという。

 中国では白は葬式の色で、病気や死などつねに不吉なイメージがつきまとっている。むかしは親が亡くなったら49日のあいだ、子供たちが白い服を身につけて哀悼の意を表さなければならなかった。娘は髪に白い花をつけたり、赤色の布切れの印をつけた白い靴を履いたりすることもあった。近代に入ってから、西洋に習って黒い喪章をつけて済ませるようになったが、今日でも民衆生活のなかで白色は不吉と弔いを意味している。

 

日本人の白色好きはどうやら根が深い。柳田国男の『遠野物語』によると、日本民俗のなかで白はほとんど例外なく聖なる性格の象徴だという。中国の民話のなかで白い髭の老人、全身白い服をまとうことは凶事の前兆を意味することが多いが、日本では白鬚翁、白太夫などは霊力を持つものとして現れてくる。むろん、例外がまったくないわけではない。どの文化の色彩にも重層的なイメージが込められている。

 

白色とはちがって、中国では赤が縁起のいい色である。だから結婚披露宴では花嫁はかならず真っ赤な服を着ている。

 

・韓国人の色彩感覚は日本と中国を折衷したようなものである。朝鮮文化のなかで白は潔白と高尚を象徴し、人々にたいへん好まれている。この点は東アジアの多くの民族のあいだに共通している。たおえば、モンゴル族も白色を尊び、白い服は縁起がいいとされている。チベットでも敬意と慶賀を示すのに贈る薄絹――ハタには白いのが多い。

 ただ、韓国では白が同時に喪色でもある。この点においては中国と似ている。

 もっともおもしろいのは郵便ポストである。日本の郵便ポストは赤で、中国のは緑である。韓国のはその中間で、郵便ポストの上の部分が赤、下の部分は緑である。

 

<あげるエチケット、もらう常識>

・日本人は互いにおみやげをあげるのが大好きなようだ。お中元、お歳暮だけでなく、バレンタインデーにはチョコレートを、出張帰りにはお菓子をまわりの人にプレゼントするのが慣例になっている。

 

じつはなにも日本だけではない、プレゼントの習慣は東アジアで共通してみられる現象である。たとえば中国人のプレゼント好きは日本人にまさるとも劣らない。

 

・現代中国では盆暮れの習慣はない。そのかわり、親友や隣同士に祝いごとがあるとき、あるいは帰省や引っ越しなどの際には知人や隣にプレゼントをあげなければならない。食事に招待される場合は、丸いデコレーション・ケーキや果物を持っていくことが多いが、日本のようにワインやウィスキーなどの酒類を持っていくことはしない。また、アメリカ風の、手料理の持参も誤解を招きやすい。

 

・人にあげてはいけないものはいくつかある。まず、時計を贈るのが禁物である。中国語では時計を贈ることは「送鐘(スォンフォン)といって、その発音は「送終(スォンフォン)」つまり「臨終を見届ける」と同じである。ただ、同じ時計でも腕時計は「手表(スォビョウ)」という。発音はまったく違うから、人にプレゼントしてもまったく問題はない。

 

・もひとつはカメを形取ったもの。中国に行くと、みやげ品店にカメの形をした工芸品を目にすることがある。しかし、それは外国人観光客を目当てにするもので、地元の人たちは誰も自分の家にカメなどを飾ったりはしない。というのは、中国では妻が浮気をしたら、夫が「カメ」と呼ばれるからだ。「緑の帽子を被せられた」という隠語と同じように、「カメになった」とは、妻が寝とられた、という意味である。さかのぼれば古代中国では日本と同じように、カメも鶴も長寿のシンボルであった。鶴や松はいまも長生きの象徴である。ひとりカメだけが落ちてしまった。

 

<礼儀心は同じだけれど――文化によるしぐさと身体感覚の違い>

・上海で合弁デパートを経営している会社の部長から、たいへん興味深いことを聞いた。海外進出ブームのなかで、彼の会社も2年半まえに中国ではじめて店を出した。形式では合弁だが、実質上、経営権は全面的に日本側に任されている。かつての東南アジアでの経験を生かし、今回もすべて日本式で管理することにした。

 

・閉店後、営業状況はまずまず順調だが、接客マナーには思わぬ落とし穴があった。日本のデパートでは店員がお客さんに頭を下げて挨拶するのがあたりまえのことだが、中国の現地従業員はなかなかおじぎをしようとしない。社員教育で無理矢理に押し通して、一時なんとか受け入れさせた。

しかし、その後長続きはしなかった。日が経つにつれ、なし崩し的に消えてしまい、最後には日本人管理職のまえで申し訳程度ぐらいにしかしなくなった。「いらっしゃいませ」や「ありがとうございます」などの挨拶が難なく定着したのに、なぜ頭を下げることに対しこんなに抵抗があるのか、と彼は首を傾げた。

 

中国人は日常生活のなかで頭を下げることはほとんどしない。謝罪するときはただ口であやまるだけで、特別のしぐさを伴わない。とくに頭を下げたままの姿勢は2つの場合しか見られない。追悼式典での黙禱と、公判で未決囚が判決を受けるときだけである。また、かつて文化大革命中、つるし上げられた者は大衆のまえで頭を下げて、批判を受けることもあった。

 おじぎとなると、葬儀の告別式で遺体のまえでしかしない。小、中学校の朝礼のとき、生徒たちはただ突っ立って、先生に口で挨拶するだけだ。だから、日系企業の従業員がおじぎに抵抗を感じるのはまったく不思議ではない。

 

<奇数と偶数の民俗学>

<中国人は偶数が大好きだ>

・数年まえのことだが、ある日ひとりの友人から結婚式の日時を知らせるはがきが届いた。意外なことに、それを読んだ家族の者はたいへん驚いた。はがきに挙式は9月9日に行われる、と書いてあるからだ。「なぜよりによってこんな日に結婚するのか」と、不思議そうにしきりにわたしに聞いた。偶数を尊ぶ中国人にとって、結婚という人生の大きな儀式が奇数日に行われるのはまったく理解できない。

 日本では一般に偶数よりも奇数の方が好まれている。むろん結婚式の日は六輝で選ぶ人が多く、必ずしも誰もが奇数日にこだわるわけではない。しかし、どちらでも可能な場合、多くの人が奇数日を選ぶであろう。月日だけではない。ご祝儀の金額も3千円、5千円、1万円など奇数にすべきだと物の本に書かれている。

 

<親族付き合いの常識—―日中の家族観の違い>

国際結婚は思ったよりもたいへんなことである

・日本人と結婚した知人がいる。彼女の話によると、国際結婚でもっとも困るのはやはり常識の違いだという。その最たるは家族観や親族付き合いについての感覚のずれである。

 日本では子供が年老いた親を扶養しないのがふつうである。年金制度が整備され、福祉も充実している。たとえ同居していても、高齢の父母が経済の面で子供の世話になることはまずないであろう。現在、働く世代の人口が老年人口を上回っているから、年金の支給も潤沢である。子供が親に生活費を払うどころか、成人しても親のところに居候している子もいる。

 

・その点では中国はかなり違う。日本人と結婚した中国人女性はほとんど例外なく外で働きたがる。人によって目的はそれぞれだが、親への仕送りを稼ぐことは重要な理由の一つである。

 

・日本では兄弟姉妹が訪ねてきても、だいたいお茶を出す程度で済む。ところが、中国では食事に招待しなければならない。何しろ「食を以て天と為す」国柄だから、兄弟といえども家庭料理では失礼になる。

 

<清潔感と異文化理解>

・日本に永住帰国した中国残留孤児からこんな話を聞いたことがある。彼の子供は小学生だが、学校では同級生から不潔だと言われ、誰も友だちになってくれないという。子供本人はもちろん両親も清潔にしているつもりだし、まわりの大人も不潔とは感じていない。しかし子供たちの目は違っていた。

 身なりに無頓着な子供が不潔という言葉を口にすること自体興味深いことである。そもそも清潔感は必ずしもはっきりとした基準があるわけではない。文化が違うと、清潔感の尺度も異なる。日本人が不潔だと思うことは、中国では必ずしもそうとはかぎらない。逆も同じである。

 

入浴について日本と中国の常識がだいぶ違う。日本ではよほど事情がないかぎり、誰もが毎日風呂に入る。さもないと、不潔だと思われ、家族にも嫌われるはめになる。中国では地域によって多少異なるが、毎日風呂に入る人がめずらしい。都市部では毎晩シャワーを浴びる人はいるが、お湯につかる習慣はほとんどない。そのかわり就寝する直前に、足を洗う人が多い。

 中国の大学に勤務した頃、日本人留学生が寝るまえに足を洗わないことを聞いて、ショックを受けたことがある。足を洗わないで床につくのはたいへん不潔だと思われているからだ。

 

<裏の作法>

・仕事柄、フィールド・ワークと称して、海外に出掛けることは多い。とくに中国はほとんど毎年のように行っている。とはいっても上海で生まれ育った自分にとって、中国は「海外」とはいえない。とくに長年生活していた上海は知り尽くしているつもりでいる。だが、ここ数年、その自信が揺らぎ始めた。

 2ヵ月まえ、約1年ぶりに上海に帰った。ちょうど数人の同僚も資料調査で来ていたので、ついでに市内を案内した。

 上海の目抜き通りである南京路を歩いていると、「日本人ですか。きれいな女の子がいます。足が長いです」と。ポン引きたちがあやしい日本語で寄ってきた。「まちがわないでほしい。地元の者だぞ」と上海語で言うと、「おまえが上海人だとは最初からわかっている。隣の日本人に言っているんだ」と言ってまったくひるまない。黙って歩いている同僚のそばにくっついて、しばらくうるさく付きまとっていた。

 黄浦江のほとりでビルのライトアップをカメラにおさめようとしていたら、どこからか突然若い街娼が現れ、「友だちになりませんか」と話しかけてきた。こちらは撮影に夢中になっていたので、「なりません」と答えると、ひどく怒られた。

 ここまでなら、なるほどいまどきの上海か、と納得できなくもない。だが、新世界のデパートの近くでは目を疑う光景に出会った。東京でいうなら銀座三越に当たる高級デパートだが、なんとその真向いで麻薬の売人に声を掛けられた。一人は隠語を使っていたが、もう一人は何の忌憚もなく、堂々と普通の言葉で聞いてきた。しかも隣の人にも聞こえそうな大きな声で。麻薬の密売が死刑になる国とは思えないほどの大胆さである。

 

<腐敗の経済学>

・いまからさかのぼること16年、1995年のことであった。

 上海でひさしぶりに会った友人は帰り際、これからケンタッキーへ昼食にいくとぽつりとつぶやいた。当時、ケンタッキーは値段が高く、高級レストランのように見なされていた。「きみの給料で1食25元もするケンタッキーを?」とぼくが訝ると、彼はにっこりと1枚のチケットを出した。公務員をしている彼が管轄している地域の企業から贈られた食事券である。

 役所勤務の彼はほんらい市場経済の恩恵を受けられず、月々の収入もサラリーマンの平均給料ぐらいしかない。まわりが豊かになっているのを、ただ指をくわえて見ている立場のはずであった。しかし、役人は金はないが、権力はある。上手に利用すればそれ相当の金に換えられる。とはいっても、現金の受け取りは収賄罪にあたる。しかし、物品の授受やただ飯ぐらいなら何ということはない。

 そこを見透かしたのは、目ざとい私営経営者である。役人を取り込まないと、規制の多い上海では何事もうまく行かない。もっとも簡単なのは会議を利用する手口である。1990年代、中国では会議の出席者に記念品を配るのが慣例であった。

 

・商品券の悪用がフォーカスされ、廃止されたあと、「商品受取書」のプレゼントが考え出された。

 

・役人の不正は政治的には悪くても、経済にとっては必ずしもマイナスばかりではない。これまで腐敗のもたらした経済効果は少なくとも2つある。ひとつは商業や外食業などの第3次産業における外資の参入と拡大を早めたこと、もうひとつは私営企業の発展を加速させたことである。

 

郷鎮企業(農村に発祥する私営企業)が大きく発展できたのも、腐敗のおかげと言える。まだ競争力のなかった時代に、郷鎮企業は次から次へと国営企業の仕事を奪い、超低価格で機械設備を購入し、品質の悪い製品をどんどん市場に出した。こうした初期の企業活動を成功させたのは技術力でも生産力でもない。国営企業の幹部たちに対する贈り物攻勢であった。時間的にはやや遅れるが、後発の私営企業も同じ手口を使った。香港との合弁企業は成功率が高い。その裏には同じ事情があることはあまり知られていない

 上海は中国で腐敗がもっとも少ないと言われている。それでもまわりの地域からつねに腐敗退治を迫られているという。上海の中、下層役人が収賄をやめれば、ビジネスチャンスは自動的に自分たちの省、市にまわってくる、というのがその理由である地方経済にとって腐敗がいかに重要なのかはこのことからも窺い知ることができる。

 中国経済の高度成長は20世紀の七不思議の一つである。謎の真相が意外なところにあるとは、おそらく中国の指導部も知らなかったであろう。

 

<下半身の経済学>

・中国の奥地を訪ねた友人から興味深い体験談を聞いた。

 出張で福建省の小さな町に行くと、なんと遊郭で取引先の接待を受けたという。ただ、遊郭とははいっても、中国では売春は建前として禁止されているから、地下の売春窟である。表向きは料理屋で、1階はふつうのレストランと何ら変わりはない。その手の客が来ると、2階に案内される。出された料理は悲しいほどまずいが、1つのテーブルに2、3人の娼婦がついている。彼女らは客に酒を注いだり、いっしょに飲み食いをしながら談笑する。明清の小説に出てくる廓とそっくりの光景である。数百年もまえの風俗がこれほど見事に復活するとは驚嘆すべきことだ。

 娼婦たちは貧しい農村の出身者だが、みな驚くほどの美人である。まともな教育を受けていないからか、席上、客を誘惑する言葉はきわめて赤裸々で、とても20歳前後の女性の口から出たとは信じられないという。客が気に入ると、そのままホテルにつれていく。地下の遊郭とはいっても、社員派遣会社のようなものである。

 

<3グラムの理由>

・中国の南部には雲南省という物産の豊かな省がある。黄金のトライアングルと呼ばれた麻薬の産地に近い分、90年代に入ってから、ドラッグの被害が年々増大している。

 雲南省の町を訪ねると、どこでも売人に出会う。不思議なことに街角に立って通行人に声をかけるのはみな2、30代の女性である。彼女らはきまって2人の子供をつれており、1人は4、5歳で、もう1人はまだ抱きかかえている乳飲み子である。これはむろん偽装工作ではなく、実の子である。彼女らはヘロインを3グラムしか所持しない。それを売りさばくと、アジトに戻り、また3グラムを仕入れて街に出る。

 警官は彼女の正体をよく知っている。しかも誰もが見て見ぬふりをしている。理由はその3グラムである。

 

・警察当局にとって、1人や2人なら問題はない。しかしそれが数百人単位で来ると、食費といってもばかにならない。ましてや政府機関もリストラの時代、勾留者が多くなったからといって、予算が増えるわけではない。

 中国の法律によると、3グラムの麻薬所持は懲役にならない。最終的には略式処分となるだけだから、いずれまた娑婆に出られる。だから、安心して拘置所で「養生」すればよい。「3グラム」という数字がこうしてはじき出されたのである。

 

<大衆感情に流されない陪審団>

・私はアメリカでの在外研究を終え、東京に戻る準備をしていた。荷造りをしたり、海外引っ越し会社と連絡したりしている最中に一通の封書が届いた。マサチューセッツ州裁判委員会からのもので、封を開けて読むと、びっくり仰天した。何と私はコンピューター無作為抽出法によって裁判の陪審員に選ばれたのだ。通知書によると、10日以内に同封の書類に記入し、郵便あるいはインターネットを利用して返送しなければならないという。正当の理由がなく、陪審員の就任を拒否したり、あるいは裁判を無断で欠席したりするのは犯罪にあたり、2千ドル以下の罰金を科せられることになる。通知書とともに、陪審員の手引き書も同封されている。

 どこでどう間違ったかはともかく、陪審員に選ばれている以上、ほったらかしにしておくわけにはいかない。さっそく先方に連絡して事情を説明し、取り消してもらってやっと一件落着した。

 

・市民権のない者が陪審員に選ばれた。そのような初歩的なミスをする国の司法は果たして信頼できるか、という疑問は当然あるのであろう。ところが、それがどうやら杞憂のようだ。アメリカの裁判には感心させられることが多いが、全米を騒然とさせたケーシー・アンソニー裁判にはまたまた驚かされた。

 

この事件は全米の関心を惹き、裁判の様子は連日、テレビで中継された。事件後にケーシーの車に死体の腐臭が漂っているという証言があり、被害者の遺体発見現場で見つかったテープはケーシーの自宅のものと一致した。さらに窒息死に使われた麻酔剤を検索した記録も発見された。メディアも世論もケーシー被告が有罪であるに違いない、と確信した。

 そんな社会的な雰囲気のなかで、2011年7月5日、12人からなる陪審団は予想もしない評決を下した。第1級殺人罪などについては無罪、捜査当局に対する虚偽の証言だけが有罪、というものであった。世論や民意を無視し、全米の「空気」をまったく読めない評決であった。

 

・アメリカの裁判員制度は、陪審団がメディアの報道に影響されないよう、さまざまな方法が取られている。しかし、それだけではない。より重要なのは、陪審員の1人1人が法律をよく勉強し、量刑に際して、けっしてメディアの影響を受けず、また大衆感情に流されないことである。陪審員制度が成功した理由の一つはここにあるのであろう。

 

・だからといって、日本はアメリカに倣って、裁判員制度を取り入れるべきだとは思っていない。アメリカの裁判制度はその文化と精神風土の中から生まれたもので、無条件にほかの国にもそのまま適用できるものではない。

 アメリカ人はコミュニティを大切にしており、公共のことには熱心である。病院にも図書館にもボランティアが多数働いており、小中学校で校庭の掃除をするときは、保護者たちは積極的に参加している。

 

日本では一寸の土地のために近隣同士が裁判沙汰になることは珍しくはない。アメリカは宅地が広いこともあって、土地の境界に対してそう神経質ではない。というより、きわめておおらかである。

 私が住んでいた家と隣の家の間には高さ70センチの石垣がある。ある日、隣のボブさんと雑談したときに、これが境界線なのかと聞いたら、違うらしいという。では、境界線はどこだ、と聞くと、いやーぼくも知らないね、と笑って、興味も示さなかった。

 わが家の庭には大きなシュガー・メープルの木がある。秋になると、落ち葉はよく隣の庭やドライブウェーに飛んでいった。ボブさんが怒るどころか、私の了解をえて、こちらの庭の落ち葉まで掃除してくれた。

 

・最大の違いは世論が一つの方向に流れないことだ。子供のころから鍛えられてきただけに、1つの意見に対して、賛成と反対という2つの視点から考えることができる。食品の化学着色添加剤のような問題でさえ、全員反対ではない。「それがどうした?」と言って、ガンになるリスクを知りながらも、平気で口にする人がいる。それがアメリカの強みである。

 アメリカと比較するのは、何も日本がだめだ、というのではない。むしろ日本には独自の文化や歴史があるから、無理に真似る必要はない、と言いたい。裁判制度は社会の習俗や、人々の物の考え方の上で成立したものである。社会構造や精神風土の違いを無視して、強引に導入してもろくなことはないであろう。

 

<「米国が標準」ではない>

グローバルス・タンダードとよく言うが、いくら生活様式が近くなったとはいえ、人々の物の考え方や感覚がまったく同じになることはありえない。アメリカ滞在中に、スーパーマーケットで蚊よけの貼り薬を見たことがある。さすがに創造力豊かな国アメリカ!と感心したが、面白半分で説明書を読むと、びっくり仰天した。それによると、この薬を貼ると、24時間以内に尿が醤油色になるという。それは通常の薬の作用で、心配することはないとも書かれている。たかが蚊よけ、そのために、東アジアの人々は果たしてそこまでするのだろうか。

 

現在、アメリカがやっていることは無意識のうちにすべて「標準」とされている。遺伝子操作もクローン技術もヒト受精胚の利用も、アメリカがやれば無条件に「普遍的価値」であるかのようだ。そういう私も米国に行く前に、アメリカ式の自由に憧れており、それが世界のどこにも通用する普遍的価値だと思っていた。

 しかし、長く滞在するようになると、徐々に疑問に感じるようになった。アメリカの自由は移民国家の歴史や文化のなかで生まれたものであり、普遍的どころか、むしろかなり特殊なものではないかと思った。そもそも、時代を超え、文化を超えるような普遍的な価値というものが世の中にあるのだろうか。そのことについて思いをめぐらすとき、いつもあるアメリカの友人の言葉を思い出す。

「アメリカのさまざまな問題はわれわれが受け入れるしかない。アメリカは自由の国で、われわれが自由を選んだ。それらの問題は自由の代償だ」と。

 

 

 

 

『赤い帝国  中国が滅びる日』

経済崩壊 習近平暗殺 戦争勃発

福島香織   KKベストセラーズ   2016/11/5

 

 

 

<チャイナリスクは一つではなく、複合的なものだろう>

私が伝えたいことは、中国のリスクを軽く見てはいけない、という一点に尽きる。タイトル『赤い帝国・中国が滅びる日』は、中国が滅びるのを期待しているという意味ではない。国際秩序に挑戦する社会主義的覇権国家・赤い帝国としての中国の崛起を防がねば、日本の将来に非常に暗い影を落とすことになる、というメッセージである。

 

中国経済のクラッシュは在中国日本人の危機

・権力闘争のために、経済政策が安定せず、しかも習近平は経済よりも軍事をプライオリティーの上位に持ってくるので、経済の悪化はとどまることを知らない。不動産バブル、債務膨張が一気にはじけて、中国経済はハードランディング不可避の様相を呈している。

 これは日本経済に大いなる打撃を与えることは言うまでもないが、それだけではない。中国経済が悪化すれば、失業者が増え、中国の社会不安は増大する。当局に向けた抗議活動や官民衝突、貧困テロのような大衆の暴力事件を現状の治安維持力では抑えきれなくなってくると、その矛先が党中央・政権に向かないように、また反日デモや愛国主義運動などが利用される可能性が高くなってくる。胡錦濤政権のときよりも、日中の軍事的緊張は高まっているので、そのときの反日デモは流血沙汰になるかもしれない。経済クラッシュは、在中国日本人の安全の問題にもつながってくるのだ。

 

中国にはいつはじけてもおかしくないチャイナリスクがある。日本人がそれにいかに備えるかを考えるには、そのリスクの所在と背景、その大きさをもきっちり認識することだろう。

 

<杜撰な都市開発計画にゴーサインが出される背景は何なのか>

・突き詰めて言えば、自分の出世を中央政府や上級政府に向けてアピールすることだけを考えた官僚政治家たちの浅知恵と汚職体質が、冷徹で客観的なプロフェッショナルの分析や調査よりも優先されて、開発計画や投資規模を決定したことにある。その計画が失敗と判明するころには、計画にゴーサインを出した官僚政治家たちは出世して別の土地で要職に就いている。

 

<恐るべき中国債務リスクの増大>

・このように各地でゴーストタウン問題が表面化しているにもかかわらず、不動産バブルに歯止めがかかっていない。北京、上海、深圳などの一級都市の不動産価格は年初から急上昇し不動産バブル再燃と騒がれた。ちなみに2016年上期のGDP成長率は6.7%とデータ上は横ばい状態だが、たとえば深圳の平均不動産価格は2016年3月までの1年の間に62.5%上昇。これは世界の主要都市150中でトップだった。

 

<銀行の異常すぎる不良債権の額とは>

・じつのところ、多くのアナリストが中国の銀行の不良債権比率は公表されている数字の9倍前後と見ている。CLSA(1986年に香港で設立された証券会社)中国・香港戦略主管の鄭名凱が5月に出したリポートによれば、中国の商業銀行の不良債権比率は15~19%と分析され、2020年までに20~25%に上昇すると予測されている。

 

<企業債務の拡大とシャドーバンキングリスク>

・こうした状況から、いよいよ中国もバブルが崩壊する、との観測を多くの人が持っている。もちろん、完全な市場経済における債務問題と違い、中国の場合、国家の介在によって債務危機を先送りにすることもできる。ゾンビ企業を淘汰せず、ゴーストタウンをあちこちに造りながらも、債務企業も銀行も政府も党組織を通じて身内同然なものだから、銀行に融資を返済せずとも、企業は潰されることがなく、銀行も潰されることがなく、地方財政が事実上破綻していても、党中央がなんとかしてくれるので、破綻していないことにして、処理を先延ばしにできる。

 

AIIBと一帯一路構想の行き詰まり

・結果的に日本がAIIBに入らなかったことは、好判断であった。なぜなら今の時点で見てAIIBもシルクロード基金も一帯一路も失敗であったという見方が中国国内ですら広がっているからだ。

 

人民元の暴落はもうすぐそこだ

・中国の予想では、この人民元SDR(特別引出権)加入後、人民元決済や元建て債券発行が急速に広がり、AIIBの資金調達も順調となり、中国は各国への投資を人民元で行い、人民元経済圏を拡大してき、やがて米国のドル基軸に挑戦する覇権通貨となる。

 だが人民元のSDR入りはリスクもある。人民元の変動為替相場制への移行の圧力となり、中国の金融市場の完全な自由化時代をもたらす。ドルにペッグされ、実際の経済実力に比して元高に誘導されていた人民元は自由化が進むにつれて下落し、人民元資産の流出が加速し、中国経済の空洞化が進むだろう。

 中国政府は、さらに大量の人民元を刷るだろうが、それがさらに元安を誘発し、人民元価値は地に落ち、ドル建てや香港建ての債務を抱えている中国企業はいよいよ追い込まれるかもしれない。

 

・2016年6月末の中国の外貨準備高は3.2兆ドル。5月末に3.19兆ドルまで減少して、多少予想外の増加に動いたこともあったが、このままでは中国にとっての安全ライン2.8兆ドルのラインに早晩達するペースとみられている。

 この外貨準備高の急激な減少の背景に、一帯一路構想がある。もともと一帯一路構想が練られていたころは、巨額の外貨準備高を減らして、人民元の国際化を後押しし、中長期のドル安リスクを軽減することも狙いだった。

 だが、英国とのEU離脱騒動による欧州金融の不安定化、中国の資金流出の加速で、この一帯一路構想もあやうくなってきている。

 

・一帯一路周辺国は外貨準備高が相対的に低く、対外経済に対する依頼心が強い。しかも法律水準も低く、貿易投資、協調のメカニズムも不備なところが多い。こういう状況できちんと機能する投資・融資のメカニズムを打ち立てるのはもともと困難である。

 

・こういう状況をAIIBの支援でなんとかしたいところだが、肝心のAIIBはいまだ格付け問題を解決できておらず、機能不全に陥っている。しかもドイツ銀行の経営不振などの不穏な噂を耳にすれば、中国が当初頼りにしようとしていたEU金融もあてにならないどころか、リスクの引き金になりそうな予感が漂っている。

 

世界恐慌の引き金になる日

こうして見てみると、中国経済は、銀行、企業の債務破綻、人民元の信用暴落といったきわめて深刻なリスクに直面しており、実際、いつ何が起きても不思議ではない。

 その背景に、南院・北院の“明争暗戦”があり、国内の経済官僚、ブレーンはお互いの足を引っ張りあうかサボタージュを決め、そのことによる不透明さが国際社会のさらなる不安をあおっている。

 

さらに恐ろしい状況を想像すれば、中国経済が破綻したとき、追い込まれた中国が対外強硬策を取ることで、共産党に対する求心力と執政の正当性を維持しようという方針をより強化し、実際の軍事行動をとるリスクが高まるとも考えられるのである。

 とすると、中国経済破綻リスクは、単に日本の経済や金融への衝撃だけでなくて、領土の主権や国民の安全にかかわる問題に発展する可能性もあるといえる。

 

・今のままでは、最悪の形で経済はクラッシュする。できれば、政府の多少のコントロールが利く形で、経済改革という形で、クラッシュさせるほうが傷は浅く、回復は早い。

 

・だが、中国にも多少なりとも変化の兆しがあり、民意というものが多少なりとも政権の方向性に影響力を持ち始めている。だとすれば、今の中国経済がどれほど危機的状況であるかということを、国際社会が中国の大衆に向けて発信していくことも重要だろう。

 同時に、日本経済としては意識的に中国依存度を軽減していくことと同時に、中国経済が破綻した際に起きる政治的、安全保障的ハレーションに対する覚悟を持っておくことも必要だ。

 

<中国5つの未来シナリオ>

・可能性としてはいろいろ考えられるのだが、私はここで、いかにもありそうな5つの近未来シナリオを提示してみたい。具体的な事象を想像することで、日本がこうしたチャイナリスクに備えるべき姿勢も見えてくるのではないだろうか。

 

<習近平の引退と新世代の台頭>

・こうした権力闘争の激化として予想される一つ目の未来は、習近平の引退である。あるいは事実上の失脚というべきか。つまり政治局拡大会議などで引退を勧告され、それに抵抗できず辞任するという可能性である。私は、これが中国にとって一番、平穏に今の政治の方向性を軌道修正でき、国際社会にとってもベストな結果につながるのではないか、と考えている。

 

・もう一つ望ましいシナリオとは、習近平が突然、独裁者志向を放棄し、政治改革に着手する、という習近平隠れ改革派シナリオだ。習近平は一党独裁維持のために自分に権力を集中させ強軍化政策を進めていると今のところ思われているが、それは実はかりそめの姿で、習近平こそが共産党体制に引導を渡し、民主的選挙による大統領制を導入する“ゴルバチョフ役”を引き受ける。そして共産党最後の総書記にして最初の大統領となる。

 

可能なら避けたいネガティブシナリオ

・前述の2つのシナリオに比べれば、実現となれば日本も無傷ではいられない事態も予想しておこう。

 比較的可能性が高いとみられているのは、クーデターや暗殺といった軍部による政権転覆である。何があっても不思議ではないリスクを中国がはらんでいるということを忘れないでほしい。南シナ海や東シナ海の軍事挑発行動が失敗に終わり、軍のメンツがつぶされたことがきっかで軍内の不満の矛先が習近平に向かうかもしれない。

 

・たとえ東トルキスタン独立勢力やチベット独立勢力が、これを好機と捉えて行動を起こしたり、社会不満分子が反乱を起こしたり、民主化運動が起きたり、といった事件が続くことになるやもしれない。財産とコネを持つ官僚たちの国外脱出や、国民の移民ラッシュに拍車がかかることになるだろう。

 

もう1つもかなり可能性が高いシナリオだ。権力闘争は激化しながらも、習近平に引導を渡せるだけの政治勢力も存在せず、習近平は総書記・国家主席・党中央軍事委員会主席の地位を維持したまま集団指導体制2期目を迎える。つまり、本来予想されていた展開である。

 

<絶対に避けたい「赤い帝国」の世界支配>

・5つ目の最後のシナリオは、習近平を中心とした赤い帝国が米国をしのぐ国際社会のルールメーカーとなり、世界の3分の1から半分が中華秩序に支配される可能性である。

 

・日本は米国と中国の緊張の間にあって、地政学的にいちばん軍事的リスクを負いやすいポジションに置かれる。世界大恐慌というような厳しい経済条件が重なれば、本当に米中戦争の危機は訪れるかもしれない。

 

“日本人スパイ”逮捕事件が続発する理由

警戒すべき点について、まず少し述べておこう。中国で日本人がスパイ容疑で捕まることが増えた。もちろん日本人だけが対象ではなく、いま中国で、スパイ容疑で多くの人が捕まっている。中国では外国人スパイがいかに暗躍しているか、といった報道が急激に増え、スパイに気をつけましょう、といった標語や警告の載ったポスターが街に張られている。

 2014年に反スパイ法が制定され、密告が奨励され、市民たちが疑心暗鬼になり、相互監視が強化され、冤罪で訴えられる………。まるでジョージ・オーウェルの近未来小説のような光景が今の中国で広がりつつあるのだ。だが、実際のところ、米国や英国や韓国などと違って日本には正規の諜報機関は存在しない。米国のCIAや英国のSISや韓国のKCIAに相当するインテリジェンス機関は存在しないのである。

 だが、それでも、中国では日本人スパイの暗躍に気をつけよ、と喧伝されている。

 

・なかでも衝撃的なのは、2016年7月の某日中友好団体の理事長の突然の逮捕だった。中国で国家安全危害に関わる容疑で拘束されていることを中国外交部が7月30日に確認した。

 この団体は2010年に創設されて比較的新しいのだが、彼自身は30年以上、中国との関りを持つ典型的な日中友好人士である。団体の目的は日中両国の青年交流を通じて中国の緑化、植樹活動を支援することだ。

 

私から見れば、2015年から表面化している一連の“日本人スパイ”逮捕事件と同様、不当逮捕である

 この拘束された友好人士の人となりに対する評判は、正直芳しくない。共青団人脈の太さを自慢したりしていた。女性に対する不埒な行動なども私が北京駐在期間中には耳に入った。だがここで強調したいのは、彼が実際に何をしたのか、何かしたのか、ということではなく、近年急激に目立つ中国の日本人スパイイメージに対する喧伝とその裏にある意図についてだ。

 

<「日本は中国にとって北京ダックと同じで3度おいしい」>

・つまり骨から皮まで余すところなくおいしく食べられる。日本も同じで、骨から皮まで中国共産党にとって無駄なく利用価値がある、という。

 日中戦争の歴史を持ち出せば、共産党の正当性を主張できる。中国経済がひっ迫するとODAなど経済援助をしてくれる。社会不満が溜まれば尖閣問題をとり上げ、反日でガス抜きできる。まったくもって、日本は中国共産党にとって都合のいい国であり、3度おいしくいただける、というわけである。

 日本が黙って利用されているお人よしの国である、という揶揄であるが、まんざら誇張でもないので、怒るに怒れない。

 

 

<●●インターネット情報から●●>

「産経ニュース」から引用

(2017/2/24)

「中国、拘束の日中青年交流協会の鈴木英司理事長を正式逮捕 スパイ行為で取り調べ」

昨年7月に中国当局に拘束された日中青年交流協会の鈴木英司理事長が今月、正式に逮捕されたことが24日、分かった。

 

 鈴木氏は日中交流のイベントに参加するため北京に渡航後行方不明になり、中国側が拘束を認めていた。

 

 スパイ行為に関与した可能性があるとして取り調べを受けており、国家安全危害容疑が適用されたとみられる。(北京 西見由章)

 

 


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