昨日高知県から来てくれていた親戚が、今しがた高知へ向けて帰って行きました。
帰り際、少し寂しい気もしましたが、最後にみんなで記念撮影です。
写真の中のVサインは、姉の主人です。
続いて、私がみんなの手を撮ろうと提案すると姉の娘がVサインにすれば星の形になるよとアドバイスしてくれ、もう本当に帰る間際の事、みんなの心が一つになった瞬間がありました。
とどめの1枚です。
姉の娘が言いました。背中が一緒や。
左が母です。 右がそううつ病を抱える姉です。
ホンマ、娘の目は確かな様であります。
この後、高知県に向けて我が家を後にしました。
一泊二日の、ほんのひと時でありましたが、ほっこりとした余韻が部屋の中一杯に残っています。
今度は、私が母を連れて高知県を訪ねてみたいですね。
深まる絆
帰り際、少し寂しい気もしましたが、最後にみんなで記念撮影です。
写真の中のVサインは、姉の主人です。
続いて、私がみんなの手を撮ろうと提案すると姉の娘がVサインにすれば星の形になるよとアドバイスしてくれ、もう本当に帰る間際の事、みんなの心が一つになった瞬間がありました。
とどめの1枚です。
姉の娘が言いました。背中が一緒や。
左が母です。 右がそううつ病を抱える姉です。
ホンマ、娘の目は確かな様であります。
この後、高知県に向けて我が家を後にしました。
一泊二日の、ほんのひと時でありましたが、ほっこりとした余韻が部屋の中一杯に残っています。
今度は、私が母を連れて高知県を訪ねてみたいですね。
深まる絆
高知県からはだいぶ遠いですよね?
はるばる来られていたのですね。
高知県は、赤ずきんちょっと懐かしいです^-^
高知、土佐の新居が母の里なので。
今はもう祖父母はいないので行くことは無くなりましたが、幼い頃、隣町の宇佐の海で泳いだ記憶がよみがえります。
まだ、大橋も高速も無い頃のお話でした^-^;
私の母は私が15歳に亡くなったので生きていれば今年90歳です。亡くなるまで意識があったので「この子らを残して・・・」って泣いてました。
今でもその時の母の顔を覚えています。
姉19歳と18歳、妹12歳と10歳のときでした。
手先の器用な母で、和裁、洋裁、毛糸、レース編みと何でも来いの質素な控えめな女性でした。
大阪の人で「日銀」へ勤めていたと聞いてます。幼いころの母との写真をみると、やはり薄幸な面影をしてますね。私たち姉妹をこの世に送り出すためだけに生きてきた42年間ではなかったのかと思います。両親がいないためか?姉妹みんな元気で仲がいいんですよ。
早くに両親がいなくて寂しい思いをした分、介護の心配は自分達のことだけです。この世の中ちゃんと・・・そういうふうになっているんですよね。
お姉さまそして、お母様を大切に。。。
皆さん、いつまでもお元気でいてほしいですね。
こんばんは
あんなに楽しみにしておられたのに
楽しいことはすぐに去ってしまいますね
でもお姉さまサラダを作ってくださりよかったですね
次回6月にお会いになるときにはもっとお元気になられますことを祈ります
お母様と高知に行けたらいいですね
いつの場合もお別れは寂しいです 泣きたいです
お星さまのお別れになりましたね
おはようございます。
お母様が高知県の方でしたか。
私は、高知駅から西側へ行った事がないので一度は土佐へ行ってみたいですね。
大橋も高速道路もなかった時代は大変でした。岡山から船に乗り香川に着いてからひたすら下道を車でどんどこ走り、高知駅付近に到着した時には、身も心もボロボロになっていた記憶が懐かしいですね。
そんな記憶が甦って来たのは、赤ずきん様のおかげです。
ありがとうございました。 感謝
おはようございます。
確か、里の子様のブログにちゃーちゃん様のご両親が亡くなられた時の事をコメントされておられた様に記憶しています。
あまりにも早くご両親を亡くされ、お若い頃は、大変なご苦労があったに違いないと想っています。
ちゃーちゃん様もよくお分かりの通り、親が亡くなり、初めて親のありがたさが分かるものでございます。
一年一年家族、そして兄弟あるいは姉妹の絆を深めて生きて行きたいものであります。
ありがとうございました。 絆
おはようございます。
「じーんときてしまいました」の椿様のお言葉に、私の方がじーんときてしまいました。
これからも、増々絆を深めて生きて行きたいと思っております。
ありがとうございました。 伝わる心
おはようございます。
そううつ病を抱える姉が、まさかサラダを作ってくれるとは夢にも思いませんでした。
それを作りながら、凄く自分の母親の事を気遣っていた様でありました。
出会うたび、そして別れるたびに人は強くなって行くのではないだろうかと、そう想っています。
ありがとうございました。 心の楽しみは 良薬なり