老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

節分から

2016-02-03 10:05:37 | 俳句
             

 子供が確か小学六年生だっと思う。
我が家の歴史について、作文を書いてきなさいと宿題があった。
「お母さん、僕が生まれてから今日までの、我が家にあったことだって」  えええ。
「何にもない」

強いて云えば、嫁(私)と姑の関係がうまくゆず、近所に家を建て別居をしたくらいである。
実家は、田舎の行事で秋祭りに、頭屋が、当たり、大勢の人に助けられて、役目を果たした。とか、孫が生まれた。  などなど目出度いこともあったが、我が家は毎日が平凡でこれと云った。。。。
そして、五節句などの行事もやっていない。
何を書く。全く無い。
私は、身体がおもわしくなく、毎日ぶらぶらというか、暇があると、身体を横にしていた。
肝臓を悪くして、今のように、B型だC型だとはっきりしない時代であったから、ひたすら安静にしていた。
どこかで(神戸)かな?博覧会があったり、毎年、春休み、夏休みには、夫が息子の想い出つくりの旅行に連れて行ったくらいである。
五節句といえば、五月五日の子供の日に、武者飾りを出して祝うくらい。
歴史なんて何にも無い。

    

 夫が友達を連れてきて、カラオケ大会。
私の友達の子供が、泊りに来た。息子のクラスの仲の良い友達が泊まりに来た。
全く、歴史なんて。。。。。
「困ったな~。何にも書くことないね~。」

どうして、先生はこんな宿題を出したのだろう。。
今だと、なにも有りません、平々凡々と恙ない暮らしをおくっています なんて一ト言でかたづくのだけれど、六年生の子供にそれは、通じない。
本当に迷い、困ったことを思いだした。

以後、ささやかに、できる限り、身体は思うように動かないが、子供の喜ぶ行事はやるようにした。
節分の豆撒きも、店で買ってきた、豆撒きセットで、お茶をにごした。
私が子供の時は、母が豆炒で炒った豆で、(福は内 鬼は外)と、鬼こそいなかったが、豆撒きをした。
それが、楽しい想い出で残っていることは、
先生も、そんな想い出を子供に残せるようにと、遠まわしの提起をしたのかもな。

       

      
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