自分自身の心のいびつさに気づいたとき、最初私はそれを「鬱」ではなく「発達障害」だと認識した。(本当はその時点で既に鬱は発症していたのだが)
自分の不安や、落ち着きのなさ、絶望感、虚脱感、…、すべて発達障害から産み出されていると感じた。そう認識するに至った決め手は
先延ばし
という言葉をネットで知ったとき。発達障害の最大の特性だ。私を苦しめる私の悪癖、その真ん中をズドンと撃ち抜く言葉だった。発達障害を克服するためには、この「先延ばし」というラスボスに立ち向かわなければならないのだ…


imageなぁんて考えているうちはまだ良かった。幾分前向きというか、建設的だったように思う。しかし、数年間立ち向かった「先延ばし」は強敵だった。どんな手を使っても一矢報いることすら叶わない。立ち向かえば立ち向かうほど、心も体もズタボロになった。攻略の仕方は正直もうわからない。…そうして私はある妥協点にたどりついた。
あえて先延ばしという選択をする
という荒業を身に付けたのだ。これは、言い換えれば
見て見ぬふりをする
という、とことん後ろ向きで破滅的な方法論だったりする。しかし、自分で自分を傷つけることもなくなり、私は随分救われた。

決して、決して、部屋の片付けを放棄したわけではない。問題意識を捨てたわけでもない。ただ、
今の優先順位は片付けではない
と、納得した上で毎日「汚い部屋だな」と思い続けているのだ。

来週、今年最後の工作教室がある。それが済んだら、年末年始は自分の時間だ。その時に「部屋の片付けをする」などと、決して意気込んだりはしない。ただ、年末年始に「この部屋に正月飾りを置きたい」ので、そのスペースを作りたいのだ。

今はそれ位モチベーションが、重くも軽くもない心の負荷なのだ。




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